[#表紙(表紙.jpg)] 平岩弓枝 御宿かわせみ22 清姫おりょう 目 次  横浜から出て来た男  蝦蟇の油売り  穴八幡の虫封じ  阿蘭陀正月  月と狸  春の雪  清姫おりょう  猿若町の殺人 [#改ページ]   横浜《よこはま》から出《で》て来《き》た男《おとこ》      一  大川が浅草御蔵と呼ばれる幕府の御米蔵の脇を入って鳥越橋の下をくぐり、御蔵前片町のところをまがって、まっすぐに東本願寺の横から浅草田圃まで続く堀割を、このあたりでは新堀と呼んでいた。  その流れが浅草福富町二丁目を抜けたところの東岸に、浄念寺という浄土宗、芝増上寺の末寺がある。境内は二千百五十坪、福富町に向って門前町があり、茶店や花屋、子供相手の玩具屋などがちまちまと軒を並べている。  秋の彼岸に、神林東吾《かみばやしとうご》が|るい《ヽヽ》と二人、浄念寺へ墓参に訪れたのは、ここがるいの生家、庄司家の菩提寺の故であった。  墓地は本堂の北側にあり、すでに香華をたむけられている墓も少くない。  門前町で用意して来た線香と花をるいが持ち、東吾は井戸から汲み上げた水の入った手桶を提げて墓石の並ぶ細道を奥へ向っていた。  突然、前を歩いていたるいが小さな悲鳴を上げたのは、墓の間からとび出してきた男がいきなり立ちふさがったからで、東吾は咄嗟《とつさ》にるいの肩を引き、手桶を持った手を相手に突き出すようにして女房をかばった。 「申しわけございません」  上体を泳がすようにして、それでも危くふみとどまった男は、みたところ五十のなかば、風体からしてかなり大店《おおだな》の旦那といった様子であった。 「無躾《ぶしつけ》ながら、ものをお訊ね申します。こちら様は只今、この道でどなたかに行き違いはなさいませんでしたか」  そういいながらも、目はせわしなげに、墓地の中を見廻している。 「墓地の入口あたりでは数人と行き会ったが、この道に入ってからは誰も……」  東吾が答えると、 「ありがとう存じます」  深く腰をかがめたのももどかしそうに、あたふたと走り去った。 「なんでございましょう」  見送ってるいが眉をひそめ、 「大方、掏摸《すり》でも追いかけていたんじゃないのか」  東吾が笑った。 「こんな墓地の中に掏摸が出ますかしら」  とるいが反論するように、東吾にしても本気で盗難と考えたわけではなく、男が墓地の入口へ行くあたりまで見届けて背を向けた。  庄司家の墓は昨日、嘉助《かすけ》とお吉《きち》が一日早くお詣りに来て、すっかり掃除をして行ったから雑草一本生えて居らず、東吾とるいはきれいに洗い清められている墓石に新しい水を汲みかけ、花を供え、香をたむけて合掌した。 「これで、今年の墓参はおしまいだな」  と東吾が呟《つぶや》いたのは、彼岸の入りの日に神林家の墓には兄夫婦とるいと共に揃って詣でていたからで、暮の墓掃除はどちらも女の役目になっていた。  空はよく晴れていたが、秋の陽ざしはどんなに強くとも、夏ほどには照りつけない。 「暑さ寒さも彼岸までとは、よくいったものだな」  るいをうながして帰りかけようとしたところへ、先刻の男が戻って来た。 「さきほどは、とんだ御無礼を致しました」  改めて丁重に挨拶したので、 「どうした、誰かを探していたようだったが、みつかったか」  気軽く東吾が声をかけ、初老の男は肩を落して苦笑した。 「いえ、もともと、あてのないことでございまして……」  ちらと目をやったのは、この墓地の片すみで、杉の大樹の下に小さな墓石があり、その前に手桶や花や線香が放り出したままになっている。初老の男がひっくり返った手桶をおこしたり、ばらばらになった線香を拾い出したので、つい、るいはそれを手伝った。で、東吾も墓地の入口の井戸まで行って、新しい水を汲んで来てやった。一つには、男の様子が、どうにも物悲しげであったせいである。 「ありがとう存じます。とんだお手数をわずらわせまして……」  何度も礼をいい、男は手にした線香を、すでに墓前に供えてある香華とみくらべるようにした。 「手前は横浜で商いをして居ります川崎屋利兵衛と申します。お恥かしいことでございますが、四十年ぶりに親の墓参にまいりまして……」  墓の前に、たった今、供えたばかりのような線香と花があるのをみた。 「墓参をして下さるからには、親にゆかりのあるお方……もし、お目にかかれるものならと……慌ててとび出しましたのですが……」  寺の境内まで行ってみたが、どうも、それらしい人はみつからなかったという。  なにやら事情ありげとは思ったが、東吾もるいも、それ以上、他人の私事に立ち入る気はなくて適当に挨拶をして別れた。  寺の方丈へ寄って顔見知りの納所《なつしよ》坊主に少々の供養料を包み、門前町へ出てから一軒の店へ寄ったのは、そこが子供の玩具や駄菓子を売っていて、るいは寺詣りのたびにここで千代紙や独楽《こま》などを買う。  なにしろ、東吾もるいも子供好きなので、自分達に子はなくとも、始終、あちこちから子供が遊びにやって来る。その子供達のための買い物であった。  新堀に待たせてあった舟で大川へ出て「かわせみ」へ戻りながら、東吾は墓地で出会った男のことを考えていた。  四十年ぶりの墓参に横浜から江戸へ出て来た男は、一足先に親の墓に供えられていた香華に、いったい、誰を連想したのだろうかと思う。 「東吾様、ほら、あそこに……」  るいの声で東吾が目を上げると、「かわせみ」の庭続きになっている大川の石垣の上に、女中頭のお吉が女の子の手をひいて立っている。友禅の着物に赤い帯を締めている女の子は、本所の麻生《あそう》家の花世《はなよ》であった。  東吾達の留守に遊びに来て、帰りを待ちかねて堤に立っていたものらしい。 「花世ちゃん、お土産《みやげ》ですよ」  るいが嬉しそうに、買って来たばかりの千代紙を高くかざして、花世に振ってみせるのを、近くにもやっていた野菜舟の船頭が驚いた顔で眺めている。  石垣の上からは花世とお吉が盛大に手を振りはじめた。  翌日、とうとう昨夜は「かわせみ」へ泊った花世を本所の麻生家に送り届けて、東吾が大川端町へ戻って来ると、帳場のところにるいが立って、番頭の嘉助と話をしていた。 「お帰りなさいまし、お早うございましたね」  とるいがいったのは、本所の麻生家へ出かけると大抵、長話になるのを知っていたからだが、 「いい具合に伯父上は御城内、宗太郎《そうたろう》は患家へ出かけていてね、愚図愚図していると、七重《ななえ》に亭主と子供ののろけをきかされるだけだから、早々に帰って来たんだ」  花世は乳母のお供で、いやいやお琴の稽古へ行ったという。 「あいつ、どうも稽古事がいやになるとここへ逃げて来る癖がついたな」  帳場の脇に、日本橋の桔梗屋《ききようや》の菓子包みがおいてあるのに気がついた。 「誰か、来たのか」  桔梗屋の菓子は花世の好物であった。 「今しがた、馬籠町の藤屋の御主人が……もう少し早ければ、花世ちゃんのお土産に出来ましたのに……」  馬籠町の藤屋というのは旅籠屋《はたごや》であった。  昔、るいの父親が町方同心であった頃からのつきあいで、るいがこの「かわせみ」の店をやるようになった時も、随分と力を貸してくれた。 「お客様をお一人、うちのほうへ移してもらえないかとおっしゃって、わざわざ御自分で挨拶にみえたんです」 「藤屋さんでは、今日、公事《くじ》のために江戸へ出て来るお客が二十人近くもおありだそうでして、お一人のお客をそちらと相部屋にするのでは御窮屈だろうし、公事のほうのお客も同じ部屋に一人だけ、知らぬ方がお出でではなにかと話に都合が悪いということもありまして……」  るいと嘉助がこもごもにいい、 「東吾様は、川崎屋利兵衛という名前をおぼえていらっしゃいます」  悪戯《いたずら》っぽく、るいが笑った。 「川崎屋利兵衛……なんだ。それは……」 「昨日、お寺で会った方が、たしか、そんなお名前じゃございませんでしたか」  いわれてみれば、そんな気がする。 「あいつが、藤屋の客か」 「わかりませんけれど、横浜から出て来たお方で川崎屋利兵衛と申されるとか……」  藤屋の主人から、「かわせみ」へ来る客の名を聞いた時、おやと思ったという。 「同じ奴なら、奇遇だな」 「四十年ぶりに江戸へお墓まいりにいらしたというのは、もともと、浅草辺で生まれなすったんじゃございませんか」 「そうだろう。墓は小さいが、きちんとしたものだった。生まれた家はおそらく、それなりのいい身分だったかも知れないな」  東吾が嘉助と、そんな推量をしている中《うち》に夕方になり、川崎屋利兵衛が藤屋から駕籠で送られて来た。  やはり、昨日、浄念寺で会った男である。  改めて、るいが挨拶をし、利兵衛は驚きながらも喜びを表情にみせた。 「藤屋の御主人から、こちら様はお奉行所とかかわり合いがおありだとか。手前は江戸へ尋ね人があって出て参りました。御迷惑でもございましょうが、話を聞いて頂けますまいか」  という。で、るいが東吾に取り次ぐと、 「晩餉《ばんげ》の前にでも、ちょいと聞こうか」  あっさり承知した。  居間へ通された利兵衛は少し固くなっていたが、 「手前は、只今は女房の父親の名を継ぎまして、利兵衛を通称にして居りますが、本名は長吉と申します」  しっかりした口調で話し出した。  祖父の代までは、浅草で米屋をしていたが、相場でしくじって店が潰《つぶ》れ、一人娘のおはまが芸者になって両親を養った。 「おはまと申しますのが、手前の母親でございます」  物心ついた時、母親は芸者をやめていて、橋場の小さな家に住んでいた。 「手前の上に、姉が一人、おみのと申しまして三つ年上でございます」  母子三人の暮しは、母親の旦那からの仕送りでまかなわれて居た。 「日本橋の穀物問屋、柏屋の主人、長左衛門と申しますのが、手前の父親だと、これは母から聞かされて居りました」  長左衛門が妾宅へ来る時は、必ず、姉と共に外へ遊びに出されていたから、顔もろくに憶えてはいないが、正月には年玉をもらったり、母を通して土産を渡されたことはあったという。  その父親が、八つの時に歿《なくな》り、二年後に母が病死した。 「どなたのお世話で、そういうことになったのかはわかりませんが、手前は品川の廻船問屋へ小僧にやられまして、姉とも別れ別れになりました」  姉もどこかに奉公に行くといっていたが、その行く先は何故か教えてもらえなかった。 「今にして思うと、売られたのではないかと考えて居ります」  十五の年に廻船問屋が潰れてしまって、暫くは転々としたが、品川で働いている時分に知り合った糸問屋の旦那が横浜で店を持ち、そっちから声をかけてもらって奉公することになった。 「それが、今の女房の父親でございます」  幸い、店は繁昌を続け、夫婦の間には新太郎とおみつという二人の子まで出来た。 「この春、悴《せがれ》に縁談が決りまして、十一月には祝言という運びになりました」  働き続けて、ほっと一息ついて、心にかかったのは、浅草の寺にある母親の墓まいりと、四十年間、音信不通の姉のことだったといった。 「成程、それでわかった」  東吾がいたわるように相手をみつめた。 「浄念寺の墓地で、あんたが探していたのは姉さんだったんだな」  母親の墓の前に、たった今、誰かが供えて行った線香と花をみて、利兵衛は別れた姉に違いないと思った。 「おっしゃる通りでございます。手前は新堀まで出て、姉らしい人はみえないものかと探しましたが……」  ほんの今しがた、墓前から立ち去ったに違いない人の姿は見当らなかった。 「実を申しますと、手前はあのあと、思い切って日本橋の柏屋を訪ねたのでございます」  姉の消息を知っていそうなのは、柏屋しかないと考えてのことだったが、 「柏屋では、手前の父親の長左衛門の本妻の子と申しますのが跡を継いで居りまして、会うには会ってくれましたものの、お前の姉のことなぞ知るわけがない、墓がどこにあるのか聞いたこともないと大層な剣幕でございました。ですが、考えてみるまでもなく、手前どもは妾腹の子、本宅の人々が手前どもにいい感じを持っていなかったのは当り前でございます」  追い払われて、柏屋を出て、やはり、今日、墓まいりをしたのは、姉に違いないと思ったという。 「それまでは、ひょっとして柏屋のどなたかが、と考えもしていたのでございますが、柏屋へ行ってみて、それはあり得ないとわかりました。あとは、親の墓に詣でてくれるのはたった一人の姉の他には思い当りません」 「寺ではなんといっているのだ」  東吾が訊いた。 「もし、あんたの姉さんが長いこと、墓を守って来たのなら、当然、寺では姉さんの消息を知っているだろう」 「お寺には参りました。ですが、あちらの御住職は先頃、歿って、新しく増上寺からみえられたお方は何も御存じなく、墓のことなどを取りしきって居られる執事さんは、御自分の川越にあるお寺の大|檀那《だんな》がお歿りになったとかで、その法要のために川越へお帰りになって居りました」  月の終りには江戸へ戻って来るから、なにか訊ねたければ、その頃、出直して来るようにとの返事で、こちらも今のところは手がかりがないと、利兵衛は肩を落した。 「そりゃあ、納所坊主が顔見知りの檀家ではないと思って、ろくに調べもしないで厄介払いをしたんだろう」  彼岸で、寺は客の多い日でもあった。 「明日にでも知り合いを寺にやって聞かせるから、その上でまた思案をしてみようじゃないか」  東吾の言葉に、利兵衛は頭を下げ、何分よろしくと繰り返して自分の部屋へ案内されて行った。      二  翌朝、東吾は起き抜けに深川の長寿庵へ出かけた。ここの主人の長助《ちようすけ》は、本来は蕎麦屋《そばや》だが、若い時からの捕物好きで、八丁堀の定廻り同心、畝源三郎《うねげんざぶろう》から手札をもらって御用聞きをつとめている。東吾の話を聞くと、 「そういうことでしたら、早速、浄念寺まで行って参りましょう。お寺は支配違いですが墓のことを訊くぐらい、なんということはありません」  気易く請け合った。  で、東吾はいったん大川端へ戻り、朝餉をすませてから軍艦操練所へ出かけた。  この節、外国から黒船はやって来るし、京洛の地では攘夷の倒幕のと、きなくさい臭いが立ちこめているらしいが、江戸はまだ、のんびりしていた。  何百年も続いた徳川様の世がひっくり返るとは誰も思っていないし、幕閣の上のほうはともかく、武士の間でも危機感は薄かった。  軍艦操練所にしてからが、上層部の首はすげ替っても、下で働いている東吾達にはなんの変化もなく、ただ学問と実習で日が過ぎている。  夕方になって「かわせみ」へ帰って来ると、帳場のところに長助がいた。 「ざっとしたところですが、お知らせに参りました」  と嬉しそうな顔をしたので、東吾が、そういうことなら利兵衛を呼んで来い、一緒に聞こうと嘉助にいうと、 「その利兵衛さんでございますが……」  と困った表情で告げた。 「午《ひる》少し前に、柏屋さんから使いが参りまして、昨日はだしぬけだったので、面くらって不人情な扱いをしたと主人が後悔している。是非、もう一遍、話をしたいからと申しまして、利兵衛さんを連れて行きました」  柏屋ではてっきり利兵衛が馬籠町の藤屋へ泊っていると思っていて、そっちへ行き、藤屋で「かわせみ」を教えられてやって来たらしい。 「柏屋さんのお使いをうちに案内して来た藤屋の番頭さんがいってましたけど、柏屋さんじゃ、いきなり、先代のお妾さんの子が訪ねて来たんで、財産を分けろとか、金をよこせとでもいわれるんじゃないかと早合点をして慌てて追っ払ったみたいですよ。その証拠には、昨夜、柏屋の旦那が藤屋へやって来て、利兵衛さんのことを根掘り葉掘り訊いて、藤屋の旦那が、あちらは横浜で手広く商売をしている大金持だと話したら、急に態度が変って、そういうことなら、もう一度、会いたいから、明日にでも使いをやろう、大川端の宿まで道案内を頼むと頭を下げて帰ったそうですから……」 「ゆすり、騙《かた》りじゃないとわかったから、義兄弟の挨拶をしようってわけか」  東吾が皮肉っぽくいい、 「まあ、堅気の大店なら、どちらさんもそんなものじゃありませんか。四十年も経って、先代の悴だなんていうのがやって来たら、一応、用心はするものですよ」  お吉は割り切っている。 「それじゃ、先に長助親分の話を聞かせてもらおうか」  遠慮する長助を居間へ通し、お吉が茶碗酒と鉄火味噌を運んでいる間に、東吾は着替えをすませた。 「利兵衛さんの親の墓のことは、浄念寺の寺男の甚平と申しますのがよく知って居りました」  茶碗酒を押し頂くようにして一口飲み、長助が話し出したのによると、墓を建てたのは利兵衛の祖父の時で、 「その頃はまがりなりにも米屋をして居りましたんで、あれだけの墓が建てられたようでして……」  結局、その墓には、利兵衛の祖父母と母親のおはまが入っている。 「甚平爺さんの話によりますと、おはまさんが柏屋の旦那の厄介になっていた時分、まとまった金をお寺におさめて永代供養を頼んだとかで、お寺じゃ、おはまさんが歿ったあとも三人の命日にはお経をあげて、無縁仏にならぬよう墓の掃除もしているそうです」 「すると、彼岸の日に香華がたむけてあったのは、寺のほうがしたことだったのか」 「いえ、それがそうじゃねえそうでして……」  七、八年前に、浄念寺の門前町に子供相手の玩具などの小店を出したお染という女が、歿ったおはまの知り合いということで、 「春秋の彼岸や命日なんかに線香をあげているそうで、あの朝にも墓地へ入って行く姿をみたと申しますから、大方、そのお染ってのが供えたんだと思います」  長助はその足でお染の店へ行ったが、 「どうも間が悪いと申しますか、お染は小田原のほうの知り合いから至急、用事があると文が来て、あの彼岸の朝に慌てて出かけて行ったそうでして……」  店は隣の茶店の娘が留守番かたがたみているという。 「そういえば、あの日、あたしが寄った時も、いつもの女主人はいませんでしたよ」  東吾の茶をいれていたるいが思い出した。 「あの人が、お染さんっていうんですか」  優しい感じの人だったとるいはいうが、東吾はその女の記憶がない。 「東吾様も何度か、あの店へお入りになっているのに……」  るいが笑い、 「若先生は、若くてきれいな人でないと憶えていらっしゃらないんでございますよ」  お吉が冷かした。 「お染っていうんじゃあ、利兵衛の姉じゃないな」  利兵衛の姉の名はおみのであった。 「ですが、利兵衛さんのおっ母さんの知り合いってことですと、ひょっとすると、おみのさんの行方を知っているかもわかりませんので、小田原から帰ったら、ちょいと知らせてくれるよう甚平爺さんに頼んできました」  お染が小田原へ行くことは、寺の者も前日から知らされていたようだし、おそらく、お染はあの朝、墓まいりをした足で小田原へ発って行ったのではないかと長助は推量している。 「とすると、利兵衛がみた線香も花も、お染があげたものだな」  もしや、姉ではと期待した利兵衛の思いはあてはずれかと、東吾はその報告を聞いた時の利兵衛の心中を思いやっていたのだが、夜になって帰って来た利兵衛はかなり酔っていて、しかも上機嫌であった。 「血は水よりも濃いと申しますのは、本当でございました。手前は今日ほど楽しい思いをしたことはございません」  心配して出迎えたるいや嘉助に相好《そうごう》を崩して話した。 「柏屋の義兄《あに》は、手前に詫びてくれました。血を分けた義弟が訪ねて来てくれたというのに、自分は騙《かた》りかなんぞのように思い込み、不人情な仕打ちをしてすまなかった。どうか勘弁してくれと申しまして……」  女房のおたつと長男の与之助、姉娘のおふじ、妹娘のおすえと三人の子とをひき合せ、番頭や手代までもに挨拶をさせた。 「それからは手前の身の上話を聞いてくれまして、義兄《あに》も泣いてくれましたし、手前も泣きました」  長話は果てしなく、夕餉を御馳走になり駕籠を呼んでくれて漸《ようや》く帰って来た。 「義兄は泊って行けと申したのですが、兄嫁が、それではかえって気がねだろうからといってくれまして……」  明日は町内の者にも紹介するといわれたと、利兵衛は子供のように喜んでいる。 「今までが余っ程、寂しかったんでしょうかねえ」  利兵衛を部屋まで送って行ったお吉が東吾に訴えた。 「酔っぱらったせいもあるんでしょうけど、着がえをしながら泣いているんですよ」  縁側へ出て、るいと夜空を眺めていた東吾が苦笑した。 「考えてみろよ、十歳《とお》の年齢《とし》から他人の飯を食って四十何年だ。血の続いた者から優しいことをいわれりゃあ、涙もろくもなるだろうよ」 「でも、横浜には女房子がおありなんですよ」 「夫婦の情と、親兄弟への情とは別なんだろうな。まして、子供の時から親兄弟と縁が薄けりゃあ尚更だろう」 「長助親分の話は、どうしましょう」  そっと、るいがいった。  利兵衛が酔って帰って来たこともあって、さっきは話しそびれた。 「急ぐことはない、どっちにしても、お染って女が帰って来なけりゃ、なんにもわからないんだ」  立ち上って東吾が居間へ入り、お吉は雨戸を閉めながら夜空をのぞいた。月はないが、白く天の川が流れて、風がひんやりと肌寒い。  たて続けに大きなくしゃみをして、お吉は慌しく雨戸を押した。  柏屋からは毎日のように、「かわせみ」へ利兵衛を迎える駕籠が来た。帰って来るのは大方、夜である。 「折角、江戸へ出て来たのだからと、今日は兄嫁が娘達と一緒に芝居見物に連れて行ってくれました」  とか、 「子供の頃がなつかしかろうと、義兄が浅草の観音様へおまいりしたあと、橋場まで案内してくれたのでございますが……」  母親と姉と三人で暮していた妾宅は取りこわされて煙草屋になって居り、その近所で訊いても昔のことを知っている人はみつからなかったという。 「母は人様の囲い者という身の上で、あまり近所と親しくつき合いもしなかったのだと思います」  利兵衛自身の思い出の中でも、子供同士で遊んだ記憶が殆どないらしい。 「ただ、義兄が申しますには、手前の姉のおみのについては少々、心当りがあるという人がいて、そっちに問い合せをしているから、早ければ二、三日の中にも返事がもらえるだろうと……」  そのためにも、もう暫く「かわせみ」に厄介になりたいとのことであった。 「私どもは一向にかまいませんが、横浜のお店のほうはよろしいのですか」  と、るいが訊き、 「横浜には文をやって事情を知らせ、少々帰るのが遅れると申してやります」  利兵衛が返事をした。 「なかなかお内儀《かみ》さんがしっかりしたお人のようでございまして、奉公人もみんな先代からひき続いて働いている人ばかり、まあ、旦那が十日やそこら留守にしても、商売にさし障りがあるような店ではないそうで……」  比較的、利兵衛とよく話をしている嘉助が居間へやって来て、東吾とるいに報告した。 「悴さんは二十三、娘さんは十八と、どちらも、一人前のお年でして、利兵衛さんにしてみればどうやら肩の荷も下りかけているところでございましょう」  だからこそ、子供の頃が、ひとしお懐かしく思い出されてならないのかも知れないと、嘉助は穿《うが》ったことをいっている。  考えてみれば、利兵衛が有頂天になるのも無理はなく、本来、妾宅の子が、本宅の兄弟から馬鹿にされたり、無視されたりが当り前のところを、実の弟のように分けへだてなくもてなしてもらえたというのは珍しいと「かわせみ」でも感心している。 「柏屋の御主人ってのは、よっぽど、よく出来た人なんですかねえ」  と、お吉は首をひねっていたが、 「まあ、利兵衛さんが横浜で立派な商家の主人になっていたからこそ、柏屋でもいい顔をされたんだ。その日暮しの貧乏人だったら、ああいうことにはなるまいよ」  嘉助のほうは醒めた目で眺めている。  たしかに、何日かは柏屋のほうで利兵衛をさまざまにもてなしていたが、利兵衛もそのおかえしといった感じで、柏屋の夫婦を料理屋へ招いたり、二人の娘に着物を買ってやったりしている。  そして五日目、利兵衛が「かわせみ」に一人の女を伴って来た。 「おかげさまで、姉がみつかりましてございます」  今日、柏屋へ、歿った長左衛門の知人が連れて来てくれたのだといい、遠慮そうに駕籠から下りたものの、「かわせみ」の中には入らずにいる女を自分から手を取って帳場へ連れて来た。 「ここがわたしが御厄介になっている御宿でね。こちらが御主人、こちらが番頭さんで……」  少し上ずった声で利兵衛が教えると、女は愛想のいい顔で会釈をした。 「利兵衛の姉でございます。いろいろとお世話さんで……」 「かわせみ」の宿帳によると利兵衛が五十二歳だから、それより三つ年上の姉さんとなると五十五歳の筈であった。女はたしかにその年頃の顔と体つきをしているのだが、全体に若作りという印象であった。化粧もろくにしていないし、粗末な木綿物を着ているが、声や姿に婀娜《あだ》っぽいものがうかがわれる。  とりあえず、利兵衛が自分の泊っている部屋へ女を案内し、お吉が茶菓子を運んで行ったのだが、戻って来て、 「やっぱり、長いこと水商売をしていたそうですよ。利兵衛さんが苦労をさせてすまなかったって頭を下げて、姉さんって人は泣いてるみたいでしたけど……」  どことなく不得要領な顔をしている。  が、やがて姉弟は一緒に「かわせみ」が支度した晩餉を食べ、その後で利兵衛が帳場へ来た。「かわせみ」へ泊る際、あずけておいた金の中から十両ほど出してもらいたいという。 「姉は随分とひどい暮しをしているそうでございます。とりあえず少々、持たせてやりたいと存じますので……」 「かわせみ」が利兵衛からあずかっている金は百両であった。その中から今までに十両ほど渡してあるので、残りは九十両になる。  嘉助にいわれて、るいは九十両の中から十両を数え、紙包みにして持たせた。  間もなく、女は駕籠を呼んでもらって帰って行き、利兵衛は改めて、 「お手数をおかけ申し、ありがとう存じました」  と、るいの部屋へ挨拶に来た。東吾はまだ帰って来て居らず、お吉が長火鉢に炭を足していたが、 「よろしゅうございましたね。お姉さんはさぞ、お喜びになったでしょう」  といったるいの言葉の尾について、 「四十年ぶりで、すぐにお姉さんだってわかったんですか」  と訊いた。 「いえ、わかりませんでした」  というのが利兵衛の正直な答えであった。 「ですが、じっと顔を見ていると、たしかに昔の記憶が戻って参りまして……」 「お姉さんはお母さん似なんですか」 「いえ、手前は子供の時から母親似だといわれましたが、姉は父に似たのかも知れません」 「女の子は、父親に似るっていいますものね」  るいが話を納め、利兵衛は、明日は浅草へ姉弟そろって墓まいりに行くのだと打ちあけて、いそいそと戻っていった。 「お墓まいりっていえば、浄念寺の執事さんも、ぼつぼつ川越から帰ってみえるんじゃありませんかね」  お吉が呟いた時、東吾の声が廊下から近づいて来た。 「おい、雨が降り出したぞ」      三  雨の中を利兵衛が駕籠で出かけて行くのを、東吾とるいは中庭越しに眺めていた。  昨夜からのどしゃ降りは朝になって小降りになったものの、今日は一日晴れそうもない。 「姉さんとは、どこで待ち合せてるんだ」  湯呑を持ったまま、東吾が訊き、 「浅草の観音様ですって……」  るいが応じた。 「観音様からだと浄念寺は、ちっと遠いな」  晴れていればなんということもないが、雨だといささか厄介な距離である。 「お姉さんが、あまり、あの辺を御存知ないんだそうで……」  口をはさんだのはお吉で、 「長助親分が蕎麦粉を届けに来たんですけど、若先生のお昼がまだなら、蕎麦を打ちましょうって……」 「長助に打てるのか」 「かわいそうなことをいわないで下さいよ、あれだって親の代からの蕎麦屋なんですから……」  くすくす笑って、台所へ走って行く。 「利兵衛が橋場の家で親子三人暮していたのは十歳《とお》ぐらいまでだろう。とすると、姉は十三か」  障子のむこうの雨の音を聞きながら東吾がいった。 「橋場と浅草はそれほど遠くもないが……忘れちまったのかな」  おみのはどこで暮していたんだ、と東吾が訊ねた。 「番頭さんには新宿で働いていて、今は四谷のほうに住んでいると、利兵衛さんが話したそうですけど……」 「宿場女郎をしていたってことか」 「十三で売られたっていいますから、転々としたのかも知れませんね」 「女は落ち出すと、どん底まで行っちまうからなあ」  渋茶を飲みながらそんな話をしているところへ、汗を拭き拭き長助がやってきた。 「どうも、たまに板場へ入《へえ》りますと、腰が痛くっていけませんや」  只今、板前が茹《ゆ》でにかかっていますからと廊下にすわり込んだ。 「浄念寺の執事はまだ帰らねえようでして、小田原へ出かけた玩具屋の内儀さんも戻りませんが……ちょっと気になる噂を小耳にはさんだものですから……」  日本橋の柏屋は、かなり身上《しんしよう》が左前になっているといった。 「なんでも小豆《あずき》相場に手を出したのがけちのつきはじめで、この二、三年は商売が行きづまってにっちもさっちも行かねえ。下手をすると暮には店じまいじゃねえかといわれているところに、横浜から大金持の弟がやって来た。柏屋の旦那は弟が助けてくれるので、もう心配ないと借金取りにいったてんですが」  東吾がるいの顔をみた。 「利兵衛は柏屋に金を出すといっているのか」 「そんな話は聞いていません。第一、利兵衛さんは御養子ですから……」  日本橋の大店が夜逃げをしようというほどの借金となると百両、二百両ですむ筈がなかった。 「まあ、とりあえず穴をふさいでというにしたところで、千両箱一つは入用でしょうかねえ」  と長助はいう。 「あたし、利兵衛さんは、柏屋にうまいこと丸められているんじゃないかと思うんですよ」  たまりかねたように、るいがいい出した。 「どう考えても、柏屋のやり方ってのは、みえすいているような気がするんです」  最初はけんもほろろに追い払っておいて、藤屋へ来て、利兵衛が横浜の大商人になっていると聞いたとたんに、掌《てのひら》を返したようにちやほやしはじめた。 「行方の知れない姉さんまで探し出して来て……ということは、柏屋じゃ、おみのさんがひどい暮しをしていたのを知っていたんじゃありませんか。今まで助けてもあげないで、利兵衛さんが出て来たとたんに恩きせがましく対面させたに違いありませんよ」  目的は金だと、長助もお吉も合点した。 「しかし、どうするんだ、利兵衛にお前の親類はお前から金をしぼり取る気でいるから、今の中《うち》に縁を切って、さっさと横浜へ帰れというのかい」  何事も、利兵衛の胸一つだと東吾はいった。 「利兵衛だって馬鹿じゃない。相手が正体をみせれば考えるだろう」  柏屋は早急に、利兵衛に金の無心をするだろうし、それを利兵衛が断ったら、どういう態度に出るか。 「柏屋は、ちっときな臭え奴らとつき合いがあるって話です。なるべく、利兵衛さんを一人で出さねえほうがようございます」  なんなら畝の旦那から町役人《ちようやくにん》のほうへ話をして柏屋に釘をさしておいてもらいましょうといい、長助は東吾が蕎麦を食べはじめたのをしおに、そそくさと深川へ帰った。  利兵衛が「かわせみ」へ戻って来たのは案外早く、八ツ下り(午後三時頃)であった。  雨はまだやまず、大川の水はかなり増している。 「若先生、どう致しましょう。利兵衛さんが話を聞いて頂きたいっていってますけど……」  お吉の声で、東吾は読んでいた書物を閉じた。 「いいとも、ここへ連れてくるがいい」  利兵衛は今朝出て行った時とは別人のような表情であった。 「なにから、お話し申してよいのか」  石のように体を固くしたのに、東吾が明るい声で訊いた。 「柏屋から金をよこせといって来たのか」  利兵衛が顔を上げた。 「どのくらい無心された。千両箱一つか」 「姉が申したのでございます」  がくがくと膝を慄《ふる》わせながら利兵衛が話し出した。 「与七義兄さんの悴の与之助の嫁に、手前の娘のおみつをもらうように勧めた。そうすれば兄弟の縁もたしかなものになるし、さきゆき、おみつは柏屋のお内儀さんになれる。この節の江戸は万事、ものの値段が上っているが、親類なら、千両の持参金で縁談がまとまる。自分の顔も立つことだから、どうか承知してくれろといわれまして……」 「あんた、それを承知したのか」 「出来るわけがございません、柏屋の与之助は三十で、娘のおみつは十八でございます。第一、娘の気持もきいてみませんことには……」 「千両の持参金とは吹っかけたな」 「法外でございます。いくら、手前が妾の子でも、あんまり人を馬鹿にした……」  それに、と利兵衛が声を落して続けた。 「今日、浅草で姉に会いましたところ、すぐに近くの料理屋へ連れて行かれまして……それはまあ時分どきではございますが、手前としては墓まいりをすませてから、なにか姉の好きなものでもと思って居りましたのに、いきなり鰻で酒をあつらえまして……」  話し出したのは早速、金のことで、これまでにあちこちに借金があり、自分を柏屋へ伴れて行ってくれた人にも礼をしなければならないので、今夜、百両を日本橋の柏屋へ届けてくれといわれて、利兵衛はまず、びっくりした。 「手前はたしかに横浜から百両、持参して居りますが、その中、二十両は使って、残るは八十両だと申しましたところ、とりあえずはその八十両でよいから、必ず、柏屋へ持って行ってくれと念を押されました」  金のことばかりいわれて、心が白けたせいかも知れないがといいわけしながら、利兵衛は遂に、とんでもないことをいい出した。 「飯をすませまして、手前は姉をうながして浄念寺へ参ったのでございますが、姉は墓地のありかも、墓の場所も、まるっきり憶えていなかったのでございます」  母が死んだ時、姉は十三にはなっていたと利兵衛はいった。 「三つ年下の手前が四十年ぶりに浄念寺へ行きまして、本堂の前へ立った時、親の墓はどっちにあるかが、ちゃんと思い出せたのでございます」  勿論、寺の名も忘れたことはなかったといった。それを、おみのは記憶していない。 「しかし、それだけで姉さんを疑うのはどうかと思うぞ。男のあんたの四十年と、女の四十年とでは苦労の中身が、随分と違ったのではないか」  おみのが親の墓の場所を忘れてしまったとしても責められないのではないかと東吾がいうと、利兵衛はじっとうつむいていた。 「次から次へと、金のことばかり持ち出されて、あんたが興醒《きようざ》めしたのはわかるが、だからといって姉さんまで疑っては気の毒だぞ。柏屋のいいなりに金を出すことはないが、折角、めぐり合った姉さんなんだ。少しずつ時をかけておたがいをわかり合うようにしてみたらどうなんだ」  利兵衛が、はっとしたようであった。 「ありがとう存じます。おっしゃることがよくわかりましてございます」  柏屋との今後のつきあいはともかく、姉だけは面倒をみていきたいといい、利兵衛は漸く落ちつきを取り戻した。  日が暮れて、雨が上った。  晩餉の膳を運んで行ったお吉が、 「利兵衛さんがもう少ししたら駕籠を呼んで下さいっていっています」  といいつけに来た。 「やっぱり、お金を届けに行くんでしょうか」  るいは手文庫を開けて、残りの八十両を包みながら東吾の顔色をみた。 「なんだか、みすみすお金を盗られてしまうような気がしますけれど……」  だが、東吾は何もいわなかった。  小半刻《こはんとき》ばかりして、利兵衛が帳場へ来た。 「お手数ばかりおかけしてまことに申しわけございませんが、明日は横浜へ帰ろうと存じます。つきましては、こちら様のお勘定をして頂きとうございます」  嘉助がいいに来て、るいは勘定書をしたためて利兵衛からあずかった八十両と共に渡した。  勘定書をみて、利兵衛はそれに一両を別に添えて嘉助に払い、七十両をひとまとめにして紙にくるみ、残りは財布に入れた。 「柏屋へこの七十両を届けて参ろうと存じます。姉は出来ることなら横浜へ連れて戻りたいと考えて居りますが、姉がなんと申しますか……」  その時、東吾が出て来た。 「柏屋へ行くなら、俺がついて行ってやろう。どういう話をするにせよ、立会人がいたほうが間違いがない」 「滅相もない。そのようなことをして頂きましては……」 「いいってことよ、どうせ乗りかかった舟だ」  嘉助が若い衆に駕籠を呼びに行かせようと立ち上ったとたん、「かわせみ」の大戸が叩かれた。 「遅くに申しわけございません。長助でございます。浄念寺の執事さんを御案内申して来ました」  嘉助が戸を開けると、ちょうど駕籠からかなり年配の老僧が下りるところであった。  浄念寺の執事、暁雲である。  無論、嘉助も顔見知りで、慌ててすすぎの水の用意にとんで行ったのは、暁雲がまだ旅姿のままだったからである。 「本日、今しがた江戸へ戻りましたところ、寺男の甚平が、今日、おはまさんの悴が姉さんと共に墓まいりに来たと申します。それについて、どうも合点が行かず、甚平が深川の長寿庵へ参れば、おはまさんの悴の居所もわかる筈だと申しますので、早速……」  長寿庵からは長助がついて、「かわせみ」へ来たという。 「早速ながら、おはまさんの悴どのにお目にかかりたいが……」  利兵衛が帳場の脇からとび出した。 「手前でございます」 「長吉か」 「はい」 「そういえば、昔の面影がある……」  暁雲の目が柔かくなった。 「ところで、今日、墓へ同行したのは、姉とのことだったが……」 「はい、甚平さんに御挨拶をいたさせました。姉のおみのでございます」 「なに……」  傍で聞いていた東吾の目が光った。 「老師、なんぞ、御不審でも……」 「おみのが江戸にいるわけがござらぬ」 「なんですと……」 「おみのは弟を探して小田原へ参って居りますそうな」  あっと低く、るいが叫んだ。 「それでは、もしや、門前町の玩具屋のお内儀さんが……」 「左様、お染と申しますのは、養女に行った先で名を変えたので、本名はおみのでございます」  利兵衛がころがるように前へ出た。 「それでは、手前の姉は……」 「ようお聞きなされ。おみのは浅草の芸者屋へ養女に出され、後に事情があって深川から芸者に出て居りました」  器量も気立てもよいので、面倒をみたいという客が少くなかったが、当人は母親の二の舞だけはしたくないといい、三十五まで芸者づとめをし、一人立ちになってから、今度はその人柄を見込まれて、向島の八百善の女中になった。 「五十になって、老いてからはせめて親の墓の近くに暮したいと、門前町の店を買って玩具屋をはじめたのじゃが、弟の長吉の行方については、どれほど心を痛めていたことか」  たまたま、事情を知っている八百善の客が、小田原で米屋をしている主人が、どうもおみのの尋ねている弟ではないかと知らせて来たので、早速、彼岸の日に旅立って行った。 「あんたのつれていた女がおみのであるわけがない。それを知ったので、こうして旅姿のまま、知らせにかけつけたと申すわけでございますよ」  暁雲の言葉に、利兵衛がまっ赤になった。 「それじゃ、やっぱり、あの女は偽者でしたか」 「驚いたな、堅気の商人が、よくそこまであくどいことをする」  別人をおみのに仕立てて、妾腹の弟をだまし、金を巻き上げようと企んだとすると、これはれっきとした悪事である。 「よく、お知らせ下さった。そういうことなら、もう柏屋へ行くことはない」  柏屋へはお上のほうからきびしく詮議をして頂こうという東吾達の言葉を、利兵衛はもう聞いてはいなかった。 「姉さんは……姉さんはいつ小田原から戻りますか……」  なんなら途中まででも迎えに行きたいと涙を浮べている。 「あせることはない、どっちみち、小田原は無駄足となった筈じゃ、すぐにも江戸へ戻って来よう」  暁雲になだめられて、利兵衛は合掌した。 「ありがたいことでございます。なにもかも仏さまのおかげ、歿ったおっ母さんが守って下すったのだと思います」  暁雲が帰り、利兵衛が部屋へひき取ってから、お吉がいった。 「若先生、どうして、利兵衛を柏屋へ連れて行き、むこうの化けの皮をはいでやらなかったんですか」  こっちには、おみのが偽者という証拠もある。  東吾が手をふった。 「素人を下手に巻き込むものではない。放っておいても、柏屋は自滅するさ」  他日、その東吾の言葉は裏付けられた。  柏屋へ勇次というならず者とその情婦がやって来て、ひとしきり主人の与七といい争ったあげく、脇差を抜いて主人夫婦を惨殺したが、かけつけた捕方によって勇次と情婦も捕縛された。  奉行所の調べに対して、勇次は柏屋から頼まれて、女を貸し一働きさせたというのに、約束の金を払わないので叩き斬ったと申し立てた。勇次は獄門になり、女は江戸払い、柏屋は闕所《けつしよ》となった。が、これは後の話。  よく晴れた江戸の午後、新堀から舟を上った利兵衛が東吾とるいにうながされて、まっしぐらに浄念寺の門前町へかけ込んで行った。  小さな店の狭い板敷の台に千代紙を並べていた女が待ちかねた視線を表にむける。 「姉さん」  とも呼べず、 「長吉」  と声が出ず、二人は息をはずませるようにして、向い合い、やがてどちらからともなく両頬に涙を流しながら漸く手を取り合った。  浄念寺の境内の銀杏《いちよう》が、ほんの僅か、黄ばみはじめている。 [#改ページ]   蝦蟇《がま》の油売《あぶらう》り      一  木枯が吹きすさぶ夕暮に、神林東吾が八丁堀の兄の屋敷を訪ねたのは、届け物があった為である。  毎年、この季節に商用で江戸へ出てくる「かわせみ」の客に、高松屋仁左衛門という者がいる。讃岐三盆白《さぬきさんぼんじろ》と呼ばれる白砂糖を扱う商人で、手土産に必ず商売物の氷砂糖を持って来てくれる。そのおすそわけであった。  もはや六ツ(午後六時頃)を過ぎているのに、兄の通之進《みちのしん》はまだ奉行所から帰っていなかったが、兄嫁の香苗《かなえ》は弟夫婦の心づくしを殊の外喜んだ。  通之進が少々、風邪気味だという。 「昨夜からお咳が出ますの。本所の宗太郎様にお薬でも頂いて参りましょうかと申し上げたのですけれど、それほどのことはないとおっしゃるので……」  とりあえず煎じ薬の用意はしたものの、咳がひどくなっているのではないかと心配していたらしい。 「この氷砂糖をすり下した生姜と共に熱湯でうすめてさし上げると、お咳によく効きますから……」 「熱はないのですか」 「今朝のお顔色では、大丈夫と思いましたが……」 「手前がこれから本所へ行って来ましょう。宗太郎には、たまたま近くを通りかかったので立ち寄ったというふうにして、兄上を診てくれるよう話します」  八丁堀からまっすぐ本所の麻生家へ行った。  宗太郎は屋敷にいて、 「そういうことなら、時刻をみはからって八丁堀へ行ってみますよ。風邪はこじらせるとあとが厄介です」  東吾さんも外から帰ったら番茶で嗽《うがい》をするのを忘れず、夜更し、深酒は慎むようにと耳にたこの忠告を聞かされ、 「これは、ちょっと寒けがした時にすぐ飲むと、実によく効きます」  散薬らしい包みを持たされた。  で、大川端の「かわせみ」へ帰って来て、るいにそのことを話すと、 「これは、本当によく効きますのですよ。夏にお吉が風邪をひきました時に、やはり宗太郎様から頂戴して、その折の残りを大事にしまっておきましたのですけれど……」  新しいのがこれだけあれば、一冬中、安心だと、いそいそと茶箪笥のひき出しに収めた。 「兄上様のお風邪、大事にならなければよろしゅうございますね」 「本所の名医が行くんだ。まず心配はなかろうよ」  夫婦でそんな話をした翌朝、東吾はやはり気になって講武所へ出かける前に、兄の屋敷へ寄ってみた。  通之進は案外、さわやかな表情をしていた。  東吾の顔をみると、 「お前のおかげで、昨夜からいろいろ飲まされて参ったよ」  と苦笑した。  たしかに、兄の前においてある筒茶碗からは生姜の匂いがしているし、部屋の中は薬くさい。  奉行所の出仕は遅いので、適当に挨拶して玄関へ出ると、兄嫁が追いかけて来た。 「昨夜、宗太郎様が来て下さいましてお薬をどっさり下さいましたの。風邪は万病の元だから油断は禁物とお説教をなさって……」 「兄上は神妙に聞いていましたか」 「宗太郎様がお帰りになってから、あいつは苦手だと笑っていらっしゃいました」  しかし、宗太郎の注意は守る気のようだし、薬もちゃんと飲んだと、香苗は嬉しそうであった。 「東吾様もお気をつけて下さいまし」 「手前には風邪の神のほうがよりつきません」  安心して講武所へ出かけたのだが、それから三、四日経って、今度は「かわせみ」に深川長寿庵の長助が、 「秩父から蕎麦粉が届きましたので……」  とやって来た。  秋蕎麦は八月なかばに種を播いて、九月の末に花が咲き、収穫は今頃になる。 「秋蕎麦は味がいいんだな」  蕎麦好きの兄に届けてやろうと東吾がいうと、 「神林の旦那様は蕎麦がきよりも、らん切か柚切《ゆずきり》がお好きのようでございます。折角ですから、そちらをお届け申します」  長助が張り切った。  らん切は卵を加えたものだし、今の季節は柚を用いた柚切も出来る。 「それでは、俺がもらいに行くよ」  蕎麦が打ち上るまで、長助の孫の長吉の手習でもみてやろうと、東吾は気軽く立ち上った。  長助と一緒に永代橋を渡ってみると、今日は深川永代寺の縁日ということで、門前町のほうが賑やかであった。  そこで、長吉は東吾に手習をみてもらうと、 「若先生、縁日、みに行こう」  と甘える。 「なにをいうんだね、この子は。若先生にむかって……」  母親が叱ったが、東吾は祭見物が決して嫌いではない。 「よし、蕎麦が出来るまで、ちょいと一廻りして来よう」  気軽く腰を上げて、長吉と外へ出た。  門前町はかなりの人出であった。  永代寺は永代嶋八幡宮ともいい、本所深川一の宮寺であった。  寛永の頃、長盛《ちようじよう》法師が霊夢によって八幡宮を勧請したという由緒を持ち、東西に門前町が広がっている。  境内には伊勢屋、松本の二軒の料理茶屋があり、祭の時には掛小屋も建つ。  長吉に山吹鉄砲や飴玉を買ってやり、境内を廻って来ると人垣の中で蝦蟇の油売りが口上をいっている。  黒の紋付に縞の袴、白鉢巻に襷《たすき》がけというものものしい恰好で、まず半紙を粉々に切って刀の切れ味を確認させ、その刀で自分の腕を切るが如くにみせ、そこへ商売物の蝦蟇の油を塗ると、傷口があとかたもなく治る。そこでびっくりしている客に油薬を売りつけるという代物で、盛り場ではよくみかけるものであった。 「若先生、お待たせ申しました」  声をかけられて、ふりむくと長助が人をかき分けて近づいて来るところであった。  蝦蟇の油売りはちょうど粉々の紙片を空中にばらまいて、落花の舞をみせたところであった。 「なかなか手ぎわがよいな」  人垣を抜けて佐賀町へ向いながら東吾がいい、長助が笑った。 「あの人のは、男前ってこともありまして、なかなか人気があります」  たしかに、黒紋付がよく似合って、口上も歯切れがよかった。 「まだ、そんな年でもなさそうだな」 「若くみえますが、三十一、二にはなっているようで……」 「役者くずれか」 「いえ、親の代からの御浪人と申すことでして……」 「ほう」  お上から扶持を頂いている御家人でも内職をしなければ暮しの立たない御時世であった。  浪人が身すぎ世すぎのために、香《や》具|師《し》に身を落しても不思議ではない。 「ですが、源八さんの油売りを見物出来るのも、もう少々でして……」 「源八というのか、あの男……」 「へえ、古橋源八さんと申すのが御本名だそうでして……」 「足を洗うのか」 「一人娘に惚れられまして、お聟《むこ》さんに入ることが決りましたようです」 「そいつは果報だな」  浅草諏訪町に墨筆硯を扱う問屋で唐古堂という大店がある。 「そこのお梅さんという娘が、奥山で源八さんを見初めまして、まあ、親は最初の中《うち》、反対したようですが、夫婦になれなければ死ぬというさわぎで、そうなりますと父親と申すものは案外、弱くなります」  根っからの香具師では困るが、幸い浪人でも、生まれは武士とわかって娘の我儘を聞き入れることになった。 「それなら、もう、あんなことをしなくてもよさそうなものだが……」  大店へ聟入りする身が大道芸人を続けている。 「源八さんというのは律義な人で、前からの約束は果さなけりゃならねえってことだそうですが、御当人も満更、ああいったのが嫌いじゃないようです」  いい調子で口上を述べれば、女子供がきゃあきゃあ騒ぐ。 「金も稼げることでして……。大店へ聟入りともなると、多少なりとも体裁を整えなけりゃあなりますまいし、なにかともの入りなんでございましょう」  話をしている中に長寿庵へたどりつき、東吾は打ちたての蕎麦の包みをもらって、八丁堀へ行った。      二  その翌日、畝源三郎が「かわせみ」へやって来た。 「長助のところへ、秩父から蕎麦粉を届けに来ていた男が行方知れずになりまして、今しがた知らせが参ったのですが、どうやら綾瀬川に死体で浮んでいたのがそれらしいのです」  これからそちらへ行くところだと聞いて、東吾はすぐに大小を腰にさした。 「かわせみ」では、とりわけ昵懇《じつこん》な長助の知り合いで、しかも、昨日、届けてもらった秋蕎麦を秩父から運んで来た男の事件ということで、口の悪いお吉も、 「畝の旦那は、なにかというとうちの若先生を捕物にひっぱり出して……」  といつもの苦情を口に出さず、 「お気をつけて、いってらっしゃいまし」  るいと一緒に見送った。  豊海橋の袂《たもと》に、長助のところの若い者が舟を用意して待っていた。 「親分は、綾瀬川のほうへ参りました」  という。  秩父から出て来たのは吾助という男で四十二、長寿庵とは古い馴染で、毎年三、四回は蕎麦粉を届けに江戸へ出て来る。 「いつもは大抵、ひと晩、親分の所へ泊めてもらって秩父へ帰るんですが、娘の嫁入りが決ったとかで、少々の買い物もあるからと二、三日厄介になるってことでございました」  昨日は夕方に、一度、戻って来たのだが、夜になってから姿がみえなくなり、更けても帰って来なかった。 「親分もお内儀さんも心配しまして、迷子にでもなってやしねえかと、俺達もあっちこっち探し廻ったんですが……」  ひょっとすると、岡場所へ遊びに行ったのかと考えたが、吾助は朝になっても戻らず、午を過ぎてから、綾瀬川に人が浮んでいると知らせが入った。 「なんでも、懐中に長寿庵の名入りの手拭を持っていたとかで、自身番が知らせてよこしたようで……」  早速、長助はふっとんで行ったとのことであった。  大川を漕ぎ上って、綾瀬川へ入る。  堀切村を右にみる土橋の上に長助が立っていて、舟に手を上げた。  岸辺へ着けると走り寄って、 「どうも、とんだ御厄介をおかけしまして申しわけございません」  恐縮そうに頭を下げる。 「吾助だったのか」  源三郎が声をかけると、低くうなずく。  死体がおかれていたのは、堀切村の菖蒲畑の脇であった。  花の季節は白に紫と色とりどりの菖蒲に埋め尽される畑も、今はすっかり水が干されて、ところどころに霜よけ雪よけの囲いがされているだけの殺風景で、無論、人の姿は全くない。  長助が死体にかけてあった菰《こも》をめくった。  死顔は瞼を閉じてあったが、それでも凄じい表情を残していた。血は大方、川水が流してしまったか、衣服には薄くなった血痕が広く染ったままみえた。 「頭を、なにかで思いきり殴りやがったようでして……」  頭の形が変るほど何度も殴りつけている。 「吾助の所持金は……」 「財布に二分少々で……」  蕎麦粉の代金は長寿庵にあずけてあった。 「二分でも盗られねえところをみると、もの盗りの仕業じゃねえな」  東吾が伝法な口調でいい、 「吾助の、江戸での知り合いは……」  と訊いた。 「あまりなかっただろうと存じます」  長寿庵の家族や奉公人とは勿論、顔馴染だが、その他にこれといって親類や知人が江戸にいるという話は聞いたことがないと長助は答えた。 「故郷《くに》への土産を門前町で買って居りましたようですが……」 「昨夜は、どこへ行くといって出かけたのだ」 「そいつが、なにもいって行きませんで……」  長寿庵の人々は出て行く吾助をみていたが、湯屋へでも出かけたのかと思っていたらしい。 「実は夜が更けても吾助どんが帰って参りませんと聞いた時に、ひょっとすると岡場所かと考えましたのは、なんにもいわずに出かけたせいでして……」  行く場所が遊び場ならば、どこそこへ行くとはいいにくい。 「つまり、こそこそと出かけたということか」  長助が、ぼんのくぼに手をやった。 「あっしはみたわけではございませんが、悴《せがれ》なんぞはあとになって、そんなようなことを申しました」 「深川佐賀町からここまで来たとなると、ちょっと遠いな」 「田舎の人は歩くことを苦にしませんが……」  それにしても日が暮れてからのことであった。 「一人で来たわけじゃあなさそうだな」 「舟ってことはございませんか」  誰かが吾助を舟に乗せ、ここまで連れて来る。 「一応、船頭を洗ってみたほうがよかろう」  源三郎が長助にいい、死体をもう一度改めてから、若い者に声をかけた。  とりあえず湯灌場《ゆかんば》へ運ばせるためである。 「秩父へ知らせてやらなければいかんな」  吾助には女房子がいる。 「いったい、どいつがこんなひでえことをしやがったのか」  人柄のいい百姓だったと、長助は鼻をつまらせている。 「なんとしても仇を討ってやりてえと存じます」 「俺も手伝う」  東吾にしてもそういわざるを得なかった。  岡っ引にしては温厚な長助が、腹の底から怒りをあらわにしている。  長助は遺体につき添い、東吾は源三郎と舟で大川を下る。 「あの殺し方は、怨恨ですな」  源三郎が呟いた。 「長助の知らない人間で、吾助の知り合いが江戸にいたのかも知れません」 「そいつが吾助を殺すほど怨んでいたというのか」 「秩父で蕎麦を作っているような人間が、殺されるほどの怨みを受けるとは思えませんがね」 「秩父の人間が、江戸まで吾助を追って来て殺したというのはどうだ」 「地元で殺すと、すぐ足がつくからですか」 「田舎から出て来た者に、綾瀬川なんて場所が思いつくかな」  今の季節、あのあたりは寂しかった。  人家は殆どないし、菖蒲畑のむこうは旗本の下屋敷と寺ぐらいのものである。 「殺す場所を探している中に、あそこまで行ったというのは、どうかな」  本所を出はずれると田畑ばかりであった。なにも綾瀬川のほとりまで来なくても人殺しの場所はいくらもありそうであった。 「秩父から家族が来れば、何か話が聞けるかも知れませんが……」  今のところ、手がかりらしいものは全くなかった。  吾助の遺骸は、長助が施主になって野辺送りをし、知り合いの寺に頼んで仮埋葬をして秩父から家族が到着するのを待つことになった。  長助は躍起になって船頭や船宿を廻り、あの日の、あの時刻に吾助らしい男を乗せて綾瀬川まで行った者はいないかと訊いているが、これというような返事にはぶつからなかった。  陽気のいい季節とは違って舟の利用客は減っている。  夜、綾瀬川の近くまで舟に乗って行くような酔狂な客があれば、船頭も不審に思う筈で、印象に残らないわけがなかった。 「やっぱり、舟じゃなかったのかも知れません」  がっかりした顔で長助が「かわせみ」へ報告に来て、東吾はそれまでに考えていたことを口にした。 「深川から本所にかけて、大川の川っぷちの道に夜出る屋台や或いは一杯飲み屋か一膳飯屋を、若い連中に当らせてみてくれないか。吾助のような男があの夜、飯を食いに立ち寄らなかったかどうか」  そして、翌日、東吾は講武所の稽古が終ると大川端を素通りして、まっすぐ深川の長寿庵へ行った。  長助は若い者と一緒に大川沿いを調べに歩いているとかで留守だったが、東吾は長助の女房に、吾助の持ち物をみせてくれと頼んだ。  店の裏の住居にしているほうの二階に吾助は泊めてもらっていたとのことで、部屋にはいつも持って来るという小さな旅行李《たびごうり》の他に、背中にしょって行けるほどの風呂敷包みがあった。包みの中は土産物らしい。 「いつもは、こんなに土産を買う人じゃありませんが、娘さんの嫁入りのためになにやかやと買ったようで、江戸はいいものが沢山あるから、金さえあればあれもこれも買って行ってやりたいが、懐具合を考えるとそういうわけにはいかないと、残念そうな口ぶりでございました」  と長助の女房がいうように、包みの中身は粗末なものばかりであった。古着屋で求めたのだろう、着物が二枚に帯が一本、新しいが安物の髪飾りと履物、それに婚家への祝物だろう桐箱に入った鰹節に木綿が二巻き。 「秩父の山里で百姓をしているのだと、暮しは楽ではないだろうな」  東吾の言葉に、長助の女房が同意した。 「お米はたいして出来ない土地だそうですから……冬の間は山へ入って炭を焼いたり、鹿や猪を獲ったりしても、家族が食べて行くのがやっとだとか」  働き手の吾助が死んで、女房子はこの先、どうするかと長寿庵ではみんなが心配しているという。 「ところで、吾助はこれらの土産物をどこの店で求めて来たかわかるか」  東吾に訊かれて、長助の女房は指を折った。古着は三吉屋、髪のものは千松屋、下駄は井筒屋、鰹節は土佐屋で木綿が万屋。 「みんな、そこの門前仲町の店でございますよ」  吾助から頼まれて自分がついて行ったり、教えてやったりしたのだという返事であった。 「すると、吾助は昨日の昼間、門前仲町を廻って買い物をしていたことになるな」  吾助が廻った通りに歩いてみたいといった東吾に長助の女房は、それなら自分が案内するといい、店で働いている悴に声をかけて東吾と外へ出た。 「すまないな。長助の留守に……」  商売のほうは大丈夫かと気を遣《つか》った東吾に、 「この節は悴夫婦がなんでもやって居りますので……」  吾助を殺した下手人を挙げる手伝いならば、どんなことでもすると、張り切っている。  まず最初が門前仲町では一番、とばくちに当る所の三吉屋であった。 「えらぶのに時間がかかるということで、あたしは先に家へ帰りました」  三吉屋は前に来た折も吾助は一、二度、買い物に寄っていることでもあり、なまじ、ずっと傍にいると値段の交渉など、やりにくいだろうと考えてのことで、 「番頭さんに、うちの知り合いだから、どうかいいものを安くしてあげておくれと頼んでは来ましたが……」  吾助が長寿庵へ戻って来たのは午すぎで、買ってきた着物と帯をみせ、値段がいくらだったかというような話をした。 「うちでお昼を食べさせまして、店のほうが一段落するのを待ってもらって、また一緒に門前仲町へ行きました」  土佐屋で鰹節の箱詰を求め、万屋で少し時間をかけて木綿物の布地を決めた。 「あとはたいしたものでもないから自分勝手にするといいますので、あたしは鰹節と反物をあずかって帰りました」  それが八ツすぎ(午後三時頃)だった。 「吾助さんは夕方、戻って来まして、千松屋と井筒屋へ行ったと申しました」 「その時の吾助の様子はどうだった。なにか変ったことはなかったか」  長助の女房が考え込んだ。 「吾助さんはすぐ二階へ上って行きましたし、あたしは店が客のたてこむ時でしたから」  これといって気がついたことはないが、 「そういえば、二階へ上って行く時に、お江戸は諸国からの人の吹きだまりだというのは本当だねえというようなことをいって居りました」 「江戸は諸国からの人の吹きだまりか」  それはその通りであった。  百姓では食って行けなくなって江戸へ奉公先を求めて出て来る者、飢饉などでその土地から逃げ出して無宿者となった連中や、時には悪事を働き、追手を逃れて江戸へまぎれこむ者もいる。  土佐屋と万屋は門前仲町では、ほぼ中心の位置にあり、千松屋と井筒屋は永代寺の前を通り越したところであった。  吾助は永代寺の前を二度、通ったことになる。 「吾助は信心深い奴だったか」 「とりわけ、そうとも思えませんでしたが、お寺さんの前を通りかかれば、お詣りぐらいはするんじゃありませんか」  門前仲町を一巡して長寿庵へ戻ったが、長助は、まだ帰って居らず、東吾は女房に礼をいって大川端の「かわせみ」へ帰った。      三  三日が過ぎた。  東吾が講武所の稽古をすませて帰って来ると「かわせみ」の帳場のところに畝源三郎の顔がみえた。  番頭の嘉助に、女中頭のお吉、そしてるいまでが集って、なにやら可笑《おか》しそうな様子であった。 「やっと帰って来ましたね。お留守にお邪魔をしています」  源三郎が立ち上り、東吾は大刀をるいに渡した。 「宿帳調べか」  定廻り同心は時折、旅籠を廻って不審な人物が投宿していないか宿帳を改めることがある。  だが、源三郎の返事は違っていた。 「秩父から吾助の娘が出て来たので、ちょっと知らせに寄ったんですが、お帰りを待つ暇つぶしに今日、奉行所で珍妙なお調べのあったことを話していたんです」 「なんだか、やけに面白そうだったな」  どっちみち、源三郎と一緒に長寿庵へ行くことになると思い、東吾は上りかまちに腰を下した。 「若先生、これをごらん下さいまし」  お吉がさし出したのは一枚の瓦版で、   蝦蟇の油売りは尾州浪人   大小捨てて筆屋に入り聟   金の鯱《しやちほこ》ならぬ、鯉(恋)の滝上り   あら、めでたや、おめでたや  などと書き散らしてある。 「こいつの話なら長助から聞いたよ。蝦蟇の油売りに一人娘がのぼせ上って聟にするっていうんだろう」  永代寺の境内でその蝦蟇の油売りをみたと東吾がいうと、お吉が目を丸くした。 「いい男でございましたか」 「田舎廻りの役者に、あんなのがいそうな感じだな」  あいつ、尾州浪人だったのか、と東吾が訊き、源三郎が笑った。 「尾州家が奉行所へねじ込んで来たのですよ。当家の侍に大道芸人に落ちる者はない、無礼至極というんですな」 「しかし、浪人したんだろう」 「古橋源八なる名前に全く心当りはないと頭から湯気を立ててお帰りになったそうで……」 「源八を調べたのか」 「一応、奉行所に呼び出して話をきいたそうですが、当人の話ですと、父が尾州浪人だというんです。源八さんは子供の頃からそう聞かされて育っただけで、真偽のほどはわからないそうでして……」 「父親は……」 「両親とも、とっくに歿《なくな》ったとのことです」 「尾州家も瓦版の書くことなんぞ、目くじら立てるまでもあるまいに……」 「蝦蟇の油売りがいけなかったようですな。痩せても枯れても御三家の侍が、ということでしょう」 「しかし、なんだって、そんなことが瓦版にのったんだ」 「唐古堂の主人が、周囲にいいふらしたらしいのですよ。娘の聟が香具師では具合が悪いが、尾州家浪人の世を忍ぶ姿なら、まあ、少しは体裁がよいということですかね」 「そんなくだらねえ尻を持ち込まれて、奉行所もいい面の皮だ」  とにかく長助のところへ行こうと、東吾が立ち上り、るいが大刀を渡した。 「吾助さんの娘さんのことで、何か私どもに出来ることがございましたら、どうぞお申しつけ下さいまし」  源三郎が丁寧に頭を下げ、東吾の後について「かわせみ」を出た。 「長助が弱り切っていますよ」  若い者の先頭に立って聞き込みに走り廻っているが、未だに全く下手人の見当がつかない。 「東吾さんの見込みはどうですか」 「吾助は門前仲町で誰かに会ったと思うんだが……」  あの日は永代寺の縁日であった。  門前仲町は人通りが多かった。参詣人の中には遠くからやって来た者も少くない筈である。 「どうにも雲を掴《つか》むようだな」  長寿庵へ行ってみると店のすみで長助が若い女と話をしていた。一目みて、それが秩父から出て来た吾助の娘とわかる。油っ気のない髪と陽に焼けた顔、粗末な衣服、だが、如何《いか》にも健康そうで、濃い眉のあたり、気が強そうにも見える。 「おろくと申しますだ」  長助にうながされて、東吾と源三郎にお辞儀をした。  男達が驚いたのは、この娘がたった一人で秩父から江戸へ出て来たことであった。 「おっ母さまは足が悪くて旅は出来ねえ。兄《あに》さんは山へ炭焼きに入っているで、村の人はおりて来るのを待てというが、おらは一刻も早く江戸へ行きてえと思って……」  まっ赤に泣き腫らした目を伏せていう。 「しかし、よく来たな。道中、怖くなかったか」  東吾がいい、おろくが少しばかり涙ぐんだ。 「川越までは村の者が炭を売りに行くのに一緒についておりて来たで……」  川越からは教えられて夜船に乗ったという。  それでも、長寿庵についてすぐに湯屋へ連れて行ってもらったという娘は、旅の疲れを忘れたような顔をしている。 「早速だが、あんたの父親がどうして殺されたのか、理由も下手人の見当も、まるでついていないんだ。もし、なにか心当りがあったら、どんなことでもいい、話してくれないか」  着いて早々、そんなことを訊くのは酷だと承知しながら東吾がいい、娘が顔を上げた。 「おらも江戸から知らせが来て、ずっとそのことを考えていたです」  父親は用心深い人だったとおろくはいった。 「江戸はとりわけ怖《おそろ》しい所だから、用心の上にも用心しているといっていたです。ここへ来て、旦那さんから話を聞いて、おらが合点の行かねえのは、なんで用心深い父っさまが夜一人で出かけたかということだ。それが、どうにも合点が行かねえ」 「吾助は江戸に知り合いはないのか。たとえば、秩父から江戸へ働きに来ている者とか」  おろくが首を振った。 「父っさまは、長寿庵の旦那さんやお内儀さんしか知り合いはねえだ。家へ帰って来ても、こちらさんの話しかしたことはねえです」 「しかし、吾助は誰かに会ったのだ。夕方、ここの家の者にも行く先を告げずに出かけたのは、その相手に会うためだと俺は思う」  東吾の言葉におろくはじっと考え込んだ。 「おらには、父っさまが誰に会ったかはわからねえです。したが、父っさまが夜だというのに出かけて行ったとしたら、それは大方、銭になることだったんでねえか」 「銭になること、か」 「父っさまは一文でも銭が欲しかったでねえかと思いますだ」  母親は体が悪いし、家は貧乏ですぐ上の兄も、まだ嫁がもらえないでいる。 「おらは兄さんが嫁をもらってから嫁入りするといったが、父っさまは、女は年をとると嫁にいけなくなると、話を決めて来たです」  相手は隣村の百姓の悴だが、やはり嫁入りとなると、金がかかる。 「家に余分の銭はねえです」  蕎麦粉の売り上げから少々の買い物をすれば、その分だけ一家の暮せる銭が足りなくなるのであった。 「誰かが、銭になる仕事だといって、吾助を呼び出したのか」  しかし、それなら吾助はどうして長助に相談しなかったのかと東吾はいった。 「馴れない江戸の中でのことなんだ。一人で決める筈がない」  おろくが目を宙に据えて、しんとした。 「もしかすると、人にいえねえようなことだったんでねえですか。ここの旦那さんはお上の親分さんだ。そういう人にはいえねえような……」  東吾が娘をみつめた。 「お前、心当りがあるのか」  おろくがゆっくり否定した。 「ねえです」  だが、その表情はまだ何かを考えているふうであった。  すでに夜であった。長寿庵に厄介になるという娘を残して、源三郎と東吾はひとまず、深川を去った。  明日は吾助の遺骸を掘り出して、荼毘《だび》に付し、改めて経を上げてもらう手筈になっていると源三郎がいい、東吾は軍艦操練所のほうが終り次第、寺へ行く旨を約束した。 「ひょっとすると、おろくの口がほぐれるかも知れないよ」 「おろくをあやすのは東吾さんにまかせますよ。何分よろしく」  豊海橋の袂で、二人は西と南へ別れた。      四  翌日、東吾が昨日、長助に教えられた霊雲院という寺へ行ってみると、方丈のところに麻生宗太郎がいた。 「源さんと長助は、吾助の遺体について、焼場へ行きましたよ」 「おぬしは、なんで、ここにいるんだ」 「娘さんが目を廻したんで、源さんが呼びに来たんです」 「娘とは……」 「吾助という人の娘ですよ」  考えてみれば、この寺は小名木川に架っている万年橋の近くで、小名木川沿いにある麻生家とは目と鼻の距離ではあった。 「おろくはなんで目を廻したんだ」 「父親の遺体をみたそうです。源さんも長助もよせといったが、相当、気の強い娘さんで、どうしても自分の目で確かめたいとがんばりましてね。早桶の中をのぞいたまではよかったのですが、とたんにひっくり返ったらしい」 「おろくはどうしている」 「薬を飲ませて寝かしています。焼場までついて行くのは無理だと納得しました」  吾助という男は、十五日の夜に殺されたそうですね、と宗太郎がいい出した。 「源さんからざっと聞いたのですが、綾瀬川に浮んでいたとか」 「そうなんだ。夕方、日が暮れてから長寿庵を出てね。綾瀬川まで下手人に連れて行かれたとしたら、おそらくこの大川沿いの道を行ったんじゃないかと思うんだが」 「十五日の宵の口ですか」 「永代寺の縁日は十五日だったな」 「もしかすると、わたしが会ったのが、その人かも知れませんよ」 「なんだと……」 「十五日の六ツ半ぐらいだったと思うのですが……」  京橋のほうの患家へ行った帰りだと宗太郎はいった。 「新大橋を渡って、御籾蔵の脇の道を我が家へ向う時に、万年橋を渡って男が二人歩いて来たのです」  宗太郎がその二人連れに注目したのは、どちらも提灯を持っていなかったからであった。 「あの日は十五夜ですが、雲が厚くて月は出ていませんでした」  大川沿いの道はまっ暗で、提灯なしでは歩けない。暗い中から男が二人、ごく普通に歩いて行くので、宗太郎はいささか奇異に感じて見送った。 「どっちへ行ったんだ」 「大川沿いの道をまっすぐですよ」  御舟蔵に沿って行くと竪川を渡り向島へ入る。更に行けば綾瀬川のふちであった。 「どんな風体だった」 「一人は田舎から出て来た人のようでしたね。もう一人はこっちの提灯のあかりに顔をそむけるようにして行きましたから……」  容貌は見えなかったが、黒紋付であった。 「武士か」 「ではないと思います。刀はさしていませんでした」  ことりと小さな音がして、宗太郎の背後の障子が開き、おろくがふらふらしながら出て来た。 「今のお話の人……父っさまです。父っさまは……いえ、秩父の村の人はみんな夜目がききます」  生まれた時からまっ暗な山里の夜に馴れて、暗くても提灯なしで歩けるといった。 「江戸の町は、秩父からくらべると、同じ夜道でも明るいような気がします」  東吾が宗太郎に確認した。 「二人とも、すいすいと歩いて行ったのだな」  とすると、一人が吾助として、 「もう一人も秩父の人間か」  おろくが思わずといった恰好で叫んだ。 「そうに違いねえと思います」 「あんた、心当りがあるのだろう。ここ何年かの中に、あんたの村か、その近くの人間で秩父を出て行った者は……」  おろくが観念したように小さく答えた。 「一人、います」  隣村の彦市という男だといった。 「五年前に、村を出て行ったです」 「なんで出て行ったんだ」 「庄屋様の御新造さんと……噂が立ったです」  不義密通であった。 「彦市は村から出て行って、そのあと、御新造さんは納屋で首をくくっただ」  東吾の目が光った。 「彦市というのは、いくつだ」 「村を出て行った時、二十六か七か……」  すると、今は三十を過ぎている。 「男前か」  庄屋の女房と不義を働くくらいだから、 「いい男なんだろうな」  おろくが顔をしかめた。 「村芝居に出ると、女がさわいだで……」 「村芝居だと……」 「百姓のくせに、役者になりたがっていたですよ」  東吾の脳裡を何かが走り抜けた。 「黒紋付か……紋所はみたか」  宗太郎が笑った。 「しっかり、みましたよ。輪違いでした」 「輪違い、か」 「ま、珍しい紋ですね」 「俺も見たんだ」  縁日の永代寺の境内で、蝦蟇の油売りの鮮やかな口上を聞いた。 「あいつの紋付の紋は、輪違いだった」  同じ日に、吾助は門前仲町で買い物をして永代寺の前を往復している。もし、参詣のために永代寺の境内へ入ったとすると、蝦蟇の油売りと出会う可能性はある。  霊雲院の門を、源三郎と長助が戻って来た。  古橋源八と名乗る蝦蟇の油売りの住み家は浅草鳥越町の長屋とわかって、まず、源三郎が番屋へ行き、町役人《ちようやくにん》に命じて源八を番屋へつれて来させた。  その留守宅へ長助が入って、壁にかかっていた黒紋付を取り出した。  黒紋付の紋は、輪違いであった。  一方、番屋に呼び出された源八を、窓からおろくが首実検した。 「あの人です。彦市に違いありません」  畝源三郎の取調べに対して最初は頑強に否定していた彦市だったが、大川沿いの道ですれ違った麻生宗太郎が証人の一人として立ち会ったあたりから動揺して、遂に万事を白状した。  やはり、吾助は永代寺の境内で一服していた彦市をみて声をかけたものであった。 「吾助にしてみれば、思いがけないところで思いがけない人間をみて、つい、声をかけたんだ。しかし、彦市にしてみれば、とんでもない相手に出会ってしまったことになる」  吾助の口から自分の素性が世間に知れれば、尾州浪人の子でないこともわかってしまうし、庄屋の女房と密通した過去も明るみに出る。 「そうなったら、折角の聟入りは駄目になるだろう」  尾州浪人の子ということで、香具師でも何とかと胸をさすった唐古堂の主人が、秩父の百姓で、不義の前科者を娘の聟にするきづかいはなかった。 「彦市にしてみれば、どうしても吾助の口をふさぐしかなかったんだ」  彦市の申し立てによると、最初は吾助に対し、江戸で自分に会ったことはどうか内緒にしてくれるようにと頼み、その口止め料にまとまった金をやると持ちかけた。 「用心深い吾助だったが、金の魅力には勝てなかっただろう。娘の嫁入りのためにも、女房の病気を考えても、一文でも余分の金が欲しいところだったんだ」  つい、彦市の口車にのって誘い出された。 「俺が見当違いだったのは、宵の口から人殺しは出来ねえだろうから、きっとどこかで腹ごしらえでもして時を稼ぎ、それからと考えたんだが、あいつはそんな余分なことはしなかったんだ」  宵の口だったから、本所を抜け向島へ入っても、時折、人通りがあって、なかなか殺人の機会がなかった。 「とうとう、綾瀬川まで行ったってことだそうだが、連れて行くほうも、行かれるほうも、よく歩いたもんだぜ」  秩父の山里育ちなればこそだろうと、東吾は「かわせみ」のみんなに話した。  彦市が処刑された翌日、秩父からおろくの兄の政吉が出て来た。 「妹が、たった一人で江戸へ行ったと聞きまして……」  山から下りて来たその足で江戸へ発って来た。  兄妹が父の遺骨を抱いて秩父へ帰る朝、江戸の町はこの冬一番の霜が下りた。  川越へ行く船まで見送った長助の気持がいくらか軽かったのは、唐古堂から、 「おかげで、世間様に大恥をかかずにすみました」  せめて、父御の供養にと十両の金が兄妹に贈られていたせいであった。  秩父の山は、ぼつぼつ初雪の頃である。 [#改ページ]   穴八幡《あなはちまん》の虫封《むしふう》じ      一  神林東吾が水道橋の袂でふと足を止めた時、秋の陽がうららかに照らしている神田川を漕ぎ上って来た猪牙《ちよき》の上から、しきりに両手をうちふる男の姿が目に入った。 「なんだ、長助じゃないか」  岸辺へ寄ると、舟もそこを目がけて漕ぎついた。  舟の上は船頭と長助の二人きりである。 「若先生は、もうお帰りで……」  長助が声をかけ、東吾は浮かない顔で苦笑した。まだ午《ひる》を少し過ぎたばかりの時刻で本来なら、講武所の道場で旗本や御家人の子弟を相手に竹刀を振っていなければならない。 「長助親分はどこへ行くんだ」  本職は深川佐賀町の長寿庵の亭主だが、定廻り同心、畝源三郎のお手先として年中、捕物に走り廻っている。で、事件かと東吾は思ったのだったが、 「穴八幡へ虫封じのお守りを授かりに行く途中なんです」  という返事であった。 「虫封じ……」 「へえ、畝の旦那のお二人目がやっぱり、相当、癇《かん》がお強いそうでして、癇の虫には、源太郎坊ちゃんの時も穴八幡の虫封じのお守りが一番効いたと御新造様がおっしゃったものですからね」  畝源三郎のところに、この秋、五年ぶりで二番目の子が誕生した。今度は女の子で早速、母親のお千絵の名から一字もらってお千代と名づけられたが、女児にしては元気がよすぎて夜泣きをするらしい。 「穴八幡というと大久保だな」  よし、俺も行こうといい、東吾は身軽く猪牙に乗り移った。 「よろしいんで……」  心配そうに訊いた長助に、東吾は軽く手を振った。 「大きな声じゃあいえないが、ここんところ、講武所のおえら方は、なにかというと会議ばかり開いているのさ、俺は道場の羽目板を叩いてる分には文句はいわないが、相談事は苦手でね、つい、口実を設けて逃げ出すことになるのさ」  気晴らしに穴八幡詣ではなによりだといわれて、長助は正直に嬉しそうな顔をした。  川の両岸が切り立った崖のようになっているこのあたりは、風もなく、日ざしが温かい。 「ちびは、そんなに夜泣きをするのかい」  源太郎が生まれた時と違って、今度は親も落ちついていたし、東吾ものんびりしていたが、いざ、生まれたと知らせがあってかけつけて行ったみんなが意外に思ったのは、てっきり男の子と決めていたのが、女の子だったことであった。 「源さんの話だと、内儀さんの腹ん中で始終、蹴っとばすだの、暴れ廻っているだのというだろう。産婆までが腹が左のほうにでっかくなっているのは間違いなく男だといいやがるから、誰だって二人目も男だと思うじゃないか」 「全く、あの時はびっくりしました。畝の旦那は源次郎と名をつけるおつもりだったそうでして……」 「お千絵さんが困ってたな。用意した産着《うぶぎ》は男の子のだし、さきざき、源太郎のお古が使えるとあてにしていたのが、駄目になっちまった」 「ですが、女の子も可愛いもので、なにしろ着飾らせるって楽しみがございます」 「冗談じゃねえぜ。春になりゃあ、お雛《ひな》さんを買わなけりゃならねえ、いくらおてんばだって鯉のぼりと五月人形でごま化すわけにゃあ行かねえんだ」  ひとしきり赤ん坊の話をしている中に舟は江戸川橋の下を通り抜けた。  川幅はこのあたりからぐんと広くなる。  駒塚橋を越え、やがて姿見橋という所で船頭は舟着場へつけた。  江戸も、このあたりまで来るとまことに閑静であった。すでに稲刈の終った田のむこうにみえる穴八幡の森は銀杏と紅葉が松の緑の中を彩って、蒼空には鳶《とび》が大きく輪を描いている。  穴八幡というのは別称で、正しくは高田八幡宮という。  三代将軍家光の寛永十三年に、御持弓組頭であった松平新五右衛門直次という人が、弓術練習のためにこの地に矢場を築き、守護神として、京都の石清水八幡神を勧請《かんじよう》し、祠を造営したのがそもそもの始まりといわれ、後に中野宝仙寺の良昌僧都が別当職として迎えられた。  その良昌僧都が山の南面の麓に草庵を作ろうとした所、ほら穴が発見され、中から金銅の阿弥陀如来像がみつかったことから、穴八幡とも呼ばれるようになったと伝えられている。  野中の道をたどって来ると、まず一の鳥居がみえた。その右側のこんもりしたところは法輪寺で山門をくぐったところには聖天様の祠があると長助がいう。 「この前に参りました時に、間違えて、そっちへ行ってしまいましたんで……」  長助が、ぼんのくぼに手をやった時、山門を出て石段を下りてきた女がいた。  手拭いを吹き流しにかぶり、縞の着物に黒繻子の帯、足許は厳重な旅ごしらえで、手に笠と杖を持っている。 「あの、少々、ものをお訊ね致しますが、穴八幡と申しますのは……」  問いかけた声が途中で変った。 「まあ、長助親分じゃございませんか。あたしですよ。分瀬川《わけせがわ》の駒吉でございます」  ばたばたと石段をかけ下りて来るのに、長助が眩《まぶ》しそうな目をした。東吾をふりむいて、 「深川仲町の芸者でございます。この春、お上から親孝行の御褒美を頂きましたんで、あっしが町役人《ちようやくにん》と一緒につきそいをつとめまして……その……」  照れくさそうにいって、再び、ぼんのくぼへ手をやった時、近づいて来て手拭いを取った女が、 「やっぱり、お連れは若先生だったんですね。むこうからお見かけして、そうじゃないかと思ったんですよ」  東吾に深々と会釈をした。 「俺を知っているのか」 「深川じゃ、知らない妓《こ》は居りません」 「嬉しがらせをいっても駄目だ。女房をもらってから、とんと御無沙汰だからなあ」 「野暮はおっしゃらないで、たまにはお出かけ下さいまし」 「あんたも穴八幡へ来たのか」 「はい、朋輩に頼まれて、虫封じのお守りを授かりに……」 「穴八幡はこっちでござんすよ」  漸く長助が割り込んで、木立のむこうの急勾配の石段を指した。 「おやまあ、どうしてとっ違えちまったんだろう」  がっかりした様子で額ぎわの汗を拭いた。  一の鳥居をくぐると左手に放生池がみえる。 「むこうが女坂でござんして、いくらか歩きようございます」  長助が駒吉をいたわった言い方をして、東吾はそっちへ歩き出した。  坂はところどころに浅く段を刻んであってすべり止めになっていた。  坂の途中に大きな松が一本、幹に注連縄《しめなわ》が巻いてあった。 「光松《ひかりまつ》というんだそうでして、昔、夜になるとこの松の木から光るものがとび出してお社のほうへ消えて行ったんだとか、坊さんから聞きました」  長助が神妙に教えたのに、東吾は、 「大方、そいつはむささびかなんかだろう」  神罰の当りそうなことをいって笑っている。 「若先生の所にも、赤ちゃんがお生まれなさいましたんで……」  駒吉がそっと訊き、長助を慌てさせたが、 「なあに、生まれたのは畝源三郎のところなんだ」  東吾の表情は変らなかった。 「畝の旦那のお子さんですか」  流石《さすが》に定廻りの旦那の名前は知っている。 「それで、やはり虫封じのお守りを……」 「女の子のくせに、ぴいぴい夜泣きをするんだとさ」 「赤ん坊は、男だって女だってぴいぴい泣きますよ。泣いてものを伝えるんですもの。お腹がすいたとか、襁褓《おしめ》がぬれたとか……」 「夜泣きは、なにを伝えたがってるんだ」 「寂しいんですよ」 「親が懐に抱いていてもか」 「赤ん坊にだって機嫌の悪い時はありますよ」  境内はかなり広かった。坂を上りきると鐘楼があり、広場のむこうに立派な拝殿とその奥に本殿が見える。  江戸城北の鎮護として将軍家の祈願所にもなっているので、幕府や諸大名からの援助がある上に崇敬者からの寄進も少くないらしい。  拝殿で虫封じの祈祷をしてもらって二枚の神符を受けた。 「なんだか、俺が虫封じをされたようだな」 「浮気の虫封じにも効くそうですよ」  東吾と冗談をいったくせに、駒吉は再び神前に座って丁寧に合掌している。 「深川じゃ、五本の指に数えられる売れっ妓でして……」  少し離れた水屋の傍で駒吉を待ちながら長助がささやいた。 「親孝行の御褒美を頂いてから人気に火がつきましてね」 「芸者は大抵、親のために身売りをして来るんじゃないのか」 「二人の母親の面倒をみて居りますんで……」 「二人……」 「生母と養母でござんす」  一軒の家に二人の女親を住まわせて女中をつけ、月々の仕送りから医者のかかり、時には物見遊山にも出してやっているという。 「まあ、そこまでは、なかなか出来ません」 「いい旦那がついているのか」 「贔屓《ひいき》は多いようですが、決ったのがいるとは聞いて居りません」 「それじゃ、いよいよ客が増えるな」 「芸も達者なんで……、祭の屋台には必ず主役を踊りますし、三味線も唄も評判なんで」 「いくつだ」 「二十二、三でございましょうか」 「女盛りだな」  駒吉が小走りに戻ってきた。 「お待たせ申しました」  坂道を下りて、一の鳥居の脇の茶店であんころ餅と茶を頼んだ。店先の縁台に茗荷《みようが》の束を売っている。駒吉は茶店の女に声をかけて、それを買っていた。 「この辺は、茗荷がよく採れますそうで、ですが、あれを食べるともの忘れをすると申しますから……」  近頃、年のせいか女房にもの忘れがひどいと責められているので、この上、茗荷を食ったらえらいことだと長助は顔をしかめている。  深川から歩いて来たという駒吉は、長助から舟に乗せてやるといわれて嬉しそうであった。 「女の足では大変だといわれて、夜明けに深川を出たんですけれど……」  道中休み休み来たので、ここへ着いたら午を過ぎてしまったという。  女連れになって帰りの舟はさぞ賑やかになるかと思ったが、駒吉は疲れ果てたのか言葉少なになって、ぼんやり川の流れを眺めている。そんな駒吉をさりげなくいたわって、東吾はもっぱら長助相手に世間話をしていた。  豊海橋の袂で東吾が舟から下りた時、秋の陽はもう落ちて、月が中天に上っていた。      二  長助と一緒に、穴八幡へ虫封じのお守りを授かりに行ったことを、なんとなく東吾はるいに話しそびれた。  東吾の友人達は、まず麻生宗太郎と七重の夫婦に一男一女が誕生している。畝源三郎のところは長らく一人っ子だったが、二人目が出来た。  夫婦になって以来、子の出来ないことを気にし続けているるいの気持を考えると、友人の赤ん坊の虫封じの話は避けてやりたいと思う。  もっとも、るいはせっせと縫い物をしていた。畝源三郎の妻のお千絵は長年の友達であり、彼女がてっきり二番目も男児と思い込んで、女児らしい衣類を全く用意していなかったので、それではお千代がかわいそうとばかり、花柄の友禅の一《ひと》つ身《み》やら、菊の模様の掛け布団だの、赤いおくるみだの、手当り次第に縫い上げては八丁堀の畝家へ運んで行き、ひとしきり、お千絵と話をしたり、赤ん坊の面倒をみたりしている。 「皆様は畝様に似ているとおっしゃいますけれど、やっぱり、お千絵様似ですよ。女の子は母親に似たほうが、さきざきよろしゅうございます」  などと東吾にもいう。 「源さんに似ると、ごつい女になるからか」 「そんなことはございませんけれど、お千絵様は娘の頃、蔵前小町と呼ばれた方ですから……」 「源さんは自分にそっくりだから、その中、八丁堀小町と呼ばれるだろうと自慢をしているよ」 「お吉が申して居りました。畝様があんな親馬鹿とは思いませんでしたって……」 「世の中、天下泰平さ」 「お千代さんをお嫁に出す時、畝様はきっとお泣きになるでしょうって……」 「それも、お吉の悪口か」 「いいえ、本気で心配して居りますの」 「その時はいってやろう、鬼の目にも涙かとさ」  るいの相手をして軽口を叩きながら、東吾の胸の底には或る思いが流れていた。  それは長助と一緒に穴八幡で虫封じの神符を受けた時から、ひそかにわだかまっているものであった。  もし、東吾の推量が当っているとしたら、この世にたった一人、東吾の血をひく男児がいる。その子の父は、その子の母の嫁いだ相手であり、両親に伴われて筑後国柳川で成長している筈であった。  成り行きとはいいながら、東吾はその子に虫封じの神符を授かって来てやることもなかったし、泣き声を聞いたこともない。  そして、おそらくは生涯、父よ子よと名乗り合う日は廻って来ないに違いない。  友人の所に子が誕生したと聞き、その子供達の成長ぶりを目のあたりにするたびに、東吾の背にしょっている寂寥は深くなっていた。  だが、それは誰に打ちあけられるものでもなかった。真実を知っているのは、その子の母と、あとは東吾の告白を聞いた麻生宗太郎だけである。  十日ばかりして、東吾は八丁堀の道場の稽古を午すぎに切りあげ、畝源三郎の長男の源太郎を伴って、豊海橋の袂から舟を出させた。  妹が出来て、大喜びしていた源太郎だが、母親がどうしても赤ん坊にかかりきりになる。  父親のほうは朝、屋敷を出たら、いつ帰って来るかわからない人間なので、源太郎は一人で本を読んでいることが多いと聞いて、たまには釣りにでも連れて行こうと思いついたせいである。  あらかじめ、舟には釣りの用意をさせておいたから、二人が乗り込むと船頭は心得て適当な釣り場へ漕いで行く。  大川は、春には鱚《きす》や白魚、夏は黒鯛、秋からは沙魚《はぜ》だの鯔《ぼら》だのがよく釣れた。  殊に永代橋附近で釣れる沙魚は旨いという評判で、東吾が「かわせみ」の庭から川っぷちへ出て釣り糸を垂らしていても、家中の晩のお菜ぐらいは鉤《はり》にかかった。  源太郎を釣りにつれて行くのは、これが初めてというわけではないので、一人で餌もつけられるし、竿の扱い方もけっこう一人前である。  船頭が馴れていて、いい漁場を心得ているせいもあって、一刻余りの中に沙魚や鯔は無論のこと、鱸《すずき》や鰻まで釣り上げた。 「こりゃあ大漁だな」  とても畝家だけでは食べ切れないので、とりあえず源太郎が土産《みやげ》に持って帰る分だけを船頭にあずけ、残りを籠に入れて長寿庵へ持って行ったのは、このところ兄の通之進が蕎麦を好み、それを知った長助が毎夜のように柚切だのらん切だのを届けてくれているのを知っていたからであった。  長寿庵の前は人だかりがしていた。  何事かと人垣の後からのぞいてみると、二人の女がおたがいの胸倉を掴んで取っ組み合い、それを長助が必死でなだめている。 「どうした、長助親分……」  東吾が声をかけ、人垣をかき分けて前へ出ると、 「若先生だ」 「八丁堀の、剣術《やつとう》の先生だ」  何人かがささやいて、二人の女もはっとしたようにふりむいた。 「どうにもこうにも、いい年をした者がつまらないことで大喧嘩を致しまして……」  長助が改めて、二人の女を睨みつけた。 「お前さん達、これ以上、お上をわずらわせると、娘の名前に傷がつくぜ。いくら娘が孝行者でも、親がろくでもねえ真似をすりゃあ世間様も黙っちゃあいねえからな」 「ですからね、親分、あたしはこの人にいっているんです、娘の恥になることだけはしてくれるなって……」 「なにをいっているんだね。娘を食いものにして、やりたい放題にやってるのは、あんたのほうじゃないか。つまらない役者に入れあげちまって……」  なんだって、なにを、と再び手が出かかるのを東吾が一喝した。 「二人とも、文句があるなら、長寿庵へ入れ。俺が話を聞こうじゃないか」  女が顔を見合せ、似たような照れ笑いを浮べた。 「お前ら、駒吉のお袋だろう。孝行娘に養ってもらって、なんの不満があるんだ。いいたいことがあるならいってみろ。俺が裁きをつけてやる」  東吾にしては珍しく脅しをかけたのは、女の喧嘩はこうでもいわないときりがないと承知していたからで、果して、一人がぶつぶつと呟いている中に、もう一人が逃げ腰になり、 「ちょいと、あんた、どこへ行くのさ」  もう一人が後を追って人垣の中へ消えた。 「どうも、とんでもねえ奴らでして……」  東吾の手から籠を受け取って、長助は目を丸くした。 「こいつは、源太郎坊ちゃんがお釣りになったんで……」 「半分、ここへ持って来たんだ。晩酌のお菜の足しにしてくれ」 「もったいねえ、罰が当りまさあ」  どうぞお入り下さいと長助に招じ入れられて、東吾は源太郎と店の敷居をまたいだ。 「二階がようございます。すぐにお好きなものを作らせますから……」  長助の女房や悴夫婦にまで礼をいわれて東吾は少々、得意そうな源太郎をつれて階段を上った。  置き炬燵《ごたつ》が出ていて、膝を入れると温かい。 「あいつら、なんだって取っ組み合いまでしてたんだ」  とりあえず、源太郎には甘酒を、東吾には熱燗を一本運んで来た長助の女房に訊くと、なんとも情ない顔をした。 「どうせ、くだらないことなんですよ」  生母のほうは体が弱いとかで、毎日のように按摩を呼び、占いに凝ってあっちこっちの易者を廻って、やれ住んでいる家の方角が悪いから方違《かたたが》えに箱根へ湯治に行くだの、厄除《やくよけ》に成田山まで行って来るのと遊び歩く。 「養母のほうは芝居だの講釈だのが大好きで贔屓に祝儀をはずむやら、幟《のぼり》を贈るやら……」 「それじゃ、いくら娘が稼いでもたまらないな」 「駒吉さんがかわいそうですよ。あの親のせいで好きな男とも添えなかったんですから」 「好きな奴がいたのか」 「浅草の大店の悴ですけど、子供まで出来たのに、むこうの親が芸者を嫁にするだけならまだしも、二人も瘤《こぶ》つきじゃ、とても承知は出来ないって……駒吉さんも気が強いから、そんなにしてまで嫁にもらって下さらなくともけっこうですと啖呵《たんか》をきっちまったそうで、結局、男とも別れちまったんです」 「子供はどうした」 「木更津のほうの大百姓さんが養女にもらいたいって。どうせなら母親の顔のわからない中に連れて行こうってんで、乳離れもしないのに迎えが来ちまったっていいますよ」  長助が種物を二つと蕎麦湯の入った湯桶《ゆとう》をお盆にのせて上って来て、女房と交替した。 「どうも、とんだお袋達だそうだな」 「駒吉がお上から御褒美を頂いたのは、自分達のおかげだなんぞといってやがるんですから始末に負えませんや」  生母も養母も、まだ五十にはなっていないが、長年、芸者暮しをしていて堅気に働く方法を知らない。 「二人は姉妹なんです。姉さんのほうが駒吉を産んで、男に捨てられる、子供は育てられねえってんで、妹のほうはちょうどいい旦那がついていて金廻りがよかったんで、駒吉をひき取って、乳母をやとって育てさせたってことでございます」  つまり養母は叔母に当るのだという。 「駒吉にしたって、人気のある中に金を貯めておかなけりゃ、さきゆき、ろくなことはねえと思うんですが……」  その金は二人の親が湯水のように費消してしまっている。 「お上からの御褒美も、とっくになくなっちまってるって話です」  愚痴っぽい長助の話を聞いて、東吾は源太郎を連れて長寿庵を出た。  外はもう暮れかけている。 「先生……」  永代橋を渡りながら、源太郎が訊いた。 「子は親に孝行をするものですね」  さっきの話を聞いていたと思い、東吾は苦笑した。 「そうだ、子は親に孝行をする、親が親らしいことをしなくとも、子は孝行するのが人の道だと教えているが、俺は親も親らしい心がまえが必要だとは思っているよ」  しかし、そんなことが駒吉の二人の母親に通用するわけはないと思い、東吾は船宿へ寄り、源太郎の釣った魚を受け取って、八丁堀へ送って行った。      三  更に数日後、東吾が軍艦操練所から帰って来ると、畝源三郎が来ていた。  ぼつぼつ暮が近づいているので、江戸の旅籠の宿帳改めが始まっているらしい。 「東吾さんは、深川の孝行娘の二人の母親を御存じですね」  長寿庵の前で大喧嘩をしているのを叱りつけておさめたそうじゃありませんか、といわれて、東吾は笑い出した。 「源太郎がいいつけたのか」 「いや、長助が話したんです」  源太郎も一緒だったのですかと逆に訊かれて、止むなく釣りの帰りに長寿庵へ寄った顛末を話した。 「あの時ですか」  その節は旨い魚を御馳走様でしたと礼をいい、るいが立って行った隙にいそいでつけ加えた。 「穴八幡で駒吉とお会いになったようですね」 「なんだと……」 「むこうは東吾さんをよく知っていたとか」 「源さん」  慌てて、声をひそめた。 「穴八幡の話は、ここでは内緒だ」 「よっぽど具合の悪いことでもあるのですか」 「そうじゃない。虫封じの話は、るいにきかせたくないんだ」 「成程」  軽く咳ばらいをして、源三郎が頭を下げた。 「その節はありがとうございました。おかげで、お千代は夜泣きをしなくなりましてね」  しかしとつけ加えた。 「東吾さんが穴八幡へ行ったこと、おるいさんは御存じですよ」 「本当か」 「家内が虫封じのお礼をいってしまいましたからね」  お吉が、これからまだ町廻りだという源三郎のために蕎麦がきを運んで来た。 「若先生、お聞きになりましたか。木更津河岸で大騒動がありましたんですよ」  八丁堀の北側を通って大川へ流れ込んでいる日本橋川は、海から江戸へやって来るさまざまの船が、大川の河口の江戸湊で小舟に荷を移し、それらの多くは日本橋川を上って江戸橋と日本橋の間の四日市に荷上げをされている。  その四日市の北岸は木更津河岸と呼ばれ、上総国の木更津へ通う舟の発着所でもあった。 「駒吉の二人の母親が、木更津河岸で取っ組み合いをしましてね、制《と》めに来た駒吉ともみ合っていたはずみに、母親のほうが川へ落ちたのです」  お吉の話を源三郎が説明し、熱い蕎麦がきをつけ汁ごとすすり上げた。 「なんだってまた、そんな所で喧嘩をしたんだ」  お茶をいれていたお吉がここぞと膝を進めた。 「長助親分の話ですと、駒吉さん、いえ本名はお駒さんっていうんだそうですが、お駒さんの養母のおくにさんって人が、木更津へ孫を取りかえしに行くといい出して、それを生母のおとりさんがやめろと反対したのが喧嘩の理由だそうです」 「まさか、川で溺れ死にはしまいな」 「深川中の人がいってるそうですよ。どうせのことなら土左衛門になってくれりゃ、お駒さんが助かるのにって……」  蕎麦がきの箸《はし》を休めた源三郎がいった。 「なにしろ、あそこは魚河岸ですし、舟も人もごまんといる前で落ちたわけですから……」  若い連中がとび込んで、あっという間に助け上げたらしい。 「駒吉は落ちなかったんだな」 「駒吉が落ちたら、日本橋川が男で埋まったでしょうよ」  源三郎が笑い、東吾が憮然とした。 「全く、ろくでもない親どもだな」 「ああいう世界で生きて来た女の考えというのは、なかなか難しいものですよ」  蕎麦がきを食べ終えて、源三郎はやがて「かわせみ」を出て行った。  やれやれと居間にくつろいで、東吾はちょっと困った。  長助について穴八幡に行ったことを、るいにかくすつもりはなかったが、それがばれているとなると、今更ながら黙っていたのはまずかったと思う。  障子が開いて、るいが顔を出した。 「どうしましょう。長助親分が上等の蕎麦粉を沢山、届けてくれましたのですけれど……」  八丁堀の屋敷へ半分、持って行ったものかどうかという。  蕎麦がきは通之進も好物であった。 「蕎麦粉の肌理《きめ》が細かくて、板前もこんな上等の蕎麦粉は珍しいと……」 「俺が届けて来るよ」  目と鼻の先だから、晩餉《ばんげ》までには帰って来るといい、東吾は蕎麦粉の包みを持って「かわせみ」を出た。  八丁堀の屋敷へ行ってみると、通之進はまだ奉行所から退出していなかったが、麻生宗太郎が七重と来ていた。 「なんだ。夫婦そろって……」 「たいしたことではありません。正月に義父上《ちちうえ》が謡の催しをするので、義兄上《あにうえ》も一番、なにか謡われぬかと、そんなような話をしに来たのです」  東吾さんも賑やかしに来て下さいといわれて、東吾は大きく手を振った。 「俺は謡を聞くとねむくなるからな」  奥の部屋には呉服屋が来ていて、香苗は妹と正月の晴れ着を見立てているらしい。  暫く、宗太郎と話をして東吾は腰を上げた。  このところ、兄の帰りは遅いらしい。 「手前は、義兄上の蕎麦がきのお相伴《しようばん》をして帰りますよ」  宗太郎に見送られて、東吾は八丁堀の組屋敷を抜け、楓川に沿って牧野河内守の上屋敷のほうへ歩いて行った。  兄が帰って来るとすれば、この道からなので、もしかすると途中で会えるかも知れないと考えてのことだったが、ふと、見ると楓川が日本橋川とまじわる江戸橋の袂に、女が立って木更津河岸のほうを眺めている。  後姿がどうも駒吉のような気がして近づいてみると、むこうがふりむいた。 「若先生、今、お帰りですか」  小腰をかがめて挨拶をした。 「先だっては、うちのおっ母さん達が、若先生にまで、失礼を申し上げたとか……」 「そんなことはどうでもいいが……」  日本橋川のむこう岸を眺めた。 「今日も、派手にやったそうじゃないか」 「お詫びに行って来たんですよ、助けて下さった方々に……なにしろ、この寒空に川へとび込んで下すったんですから……」 「魚河岸の連中はびくともしねえだろうが、おっ母さん達は無事かい」  風邪でもひかなけりゃいいが、といいかけた東吾に駒吉がふっと笑った。 「お湯屋へ行ってあったまって、行火《あんか》をがんがん入れて寝てますよ」 「医者が来てくれたか」 「二人とも、みかけより芯が強いから、この分なら、風邪もひかないだろうっていわれました」 「そいつはよかった。年寄の風邪は命取りになるというからな」  無意識に麻生宗太郎の口真似が出たのだったが、駒吉は口許をちょっとゆがめるようにしただけである。 「あんた、赤ん坊を木更津へやったんだってな」  この前、穴八幡で授かって来た虫封じの神符は、その子のためだったのかと思った。  あの時、社殿にぬかずいて熱心に祈っていた駒吉の姿が瞼に残っている。 「祖母《ばあ》さんは孫を取られて寂しくなったんだろう。あんまり腹を立てるなよ」  祖父《じい》さん祖母《ばあ》さんにとって、孫は目に入れても痛くないというじゃあないか、といいかけた東吾へ、はね返すように駒吉が押しかぶせた。 「そんなんじゃありませんよ。あの人は女の子なら十年も育てれば、一人前に稼ぐようになるから、他人にやっちまうのはもったいないって……」 「どういうことだ」 「孫を芸者にする算段をしているんです。そうすりゃあ、あたしが働けなくなったって、次がいるから……」  流石《さすが》に東吾は絶句した。  駒吉の目の中に、激しいものが浮んでいる。 「しかし、もう一人の祖母《ばあ》さんは止めてくれたんだろう」  いいようがなくて、辛うじて言葉を継いだのだったが、 「あの人は、子供が嫌いなんです。赤ん坊の泣く声を聞いただけで頭が痛くなるっていうんですから……」  駒吉の声は川面を渡る風のように冷たかった。 「お上には申しわけありませんけど、あたしは孝行娘なんかじゃないんです。さっきだって、二人の親が溺れているのを、黙ってみていたんです……」  肩が慄《ふる》え出したが、駒吉は泣かなかった。唇を噛《か》みしめるようにして、川を睨んでいる。 「よせよ」  気を取り直して、東吾はいった。 「あんたがとび込んだって、どうしようもねえだろう、ぬれねずみが三人に増えるだけだ」  日本橋川を船が入って来た。  木更津通いの船だというのは、船尾に上っている小旗でわかる。 「あんまり考え過ぎないほうがいいぞ」  肩を叩かれて、駒吉が思い直したように苦笑した。 「考えないようにしているんです。でも、赤ん坊のことは、どうしても思い出します」 「いい家に貰われて行ったそうじゃないか。行った先がはっきりしているんだ。いつか、会いに行ける日が来るかも知れない」 「行きませんよ」  静かな調子であった。 「あたしが行ったら、あの子も二人の母親で苦労するでしょうから……」  孝行娘はあたし一人で沢山、と呟き、東吾に頭を下げた。 「どうぞ、もう行って下さい。あたしはもう少し、船をみて帰ります」 「寒くなるぞ、なるべく早く深川へ帰れ」 「若先生って、案外、世話焼きなんですねえ」  笑って背をむけた。  で、日本橋川に沿った道を大川端へ歩き出して、東吾はあっと思った。  遥かむこうに、ぽつんとるいが立っている。  駒吉は、るいに気がついたのかと思い、大股に傍へ寄って行った。 「あんまり遅いので、どうなさったのかと思って……」  東吾が近づくと、るいはそんなふうにいって頭を下げた。 「兄上の所に宗太郎夫婦が来ていたんだ。つい、喋り出して遅くなった」  あそこに立っているのが駒吉だよ、と教えた。 「兄上が、もうお戻りになるかと川っぷちへ出て来たら、あいつがあそこに立っていた」  木更津通いの船を眺めて、養女にやった赤ん坊のことを思っているのだといい、東吾はるいと並んで、川っぷちの道を大川端へ歩き出した。 「世間はさまざまさ、折角、子供に恵まれても、親子で暮すことの出来ない人間もいるんだ」 「あのお方も、虫封じのお札を授かりにいらしたのですね」  るいが顔をまげるようにして東吾を眺めた。 「私、あなたがお気を悪くなさったのかと心配になって……、虫封じのお札を受けに穴八幡へいらしたこと、お千絵様からうかがいましたのに、何も申し上げませんでしたので……」 「俺は、るいにあてつけがましくみえないかと思ってね」  水道橋のところで長助と出会って、なんの気なしについて行っただけなのだと弁解した東吾に、るいが笑った。 「ついて行ってよろしかったじゃございませんか。あんな、おきれいな方とお知り合いになられて……」 「馬鹿……」 「私、お邪魔だったのじゃございませんか」 「よせやい、くだらねえ」  豊海橋の脇まで来て「かわせみ」への道をまがる時、東吾はさりげなくふりむいてみたが、駒吉の姿はもう見えなかった。 「寒くなったな」  るいの肩を抱き寄せるようにして、東吾は掛け行燈《あんどん》に灯の入っている「かわせみ」の入口へむいて急ぎ足になった。  川岸の柳は、もうすっかり葉が落ちている。  もう十日もすれば、木更津河岸の向い側に金柑やうらじろ、注連縄《しめなわ》、笹竹や松の枝など正月支度のための市が立つ。 「かわせみ」の暖簾《のれん》口に、お吉が出て来た。  るいと東吾をみつけて、大きく手を上げている。 「若先生、どこへ行ってらしたんですか、御膳がさめちまいますよ」  るいが小走りに走り出し、東吾は悠々とそのあとを追った。 [#改ページ]   阿蘭陀正月《オランダしようがつ》      一  大川端の旅籠「かわせみ」に、はじめて依田貴一郎がやって来たのは、秋のなかばのこと、応対した番頭の嘉助も、女中頭のお吉も、お医者にしては、随分と男前、だと感心したという。  もっとも、依田貴一郎は「かわせみ」に宿を求めて来たのではなく、 「こちらに、長崎屋幸太夫どのが滞在されて居る筈だが、依田貴一郎と申す医者が訪ねて来たとお伝え願えませんか」  という口上であった。  長崎屋幸太夫というのは、屋号の通り、長崎に本店を持つ鼈甲《べつこう》細工の老舗《しにせ》で、京大坂と江戸と仙台に出店を持っていた。  幸太夫は、長崎屋の主人、文右衛門の妹聟で、年に一度、主人の代理として四店を廻っては帳簿を改めたり、売り上げの様子を調べたりするのが役目であった。  もう何年も江戸では「かわせみ」を定宿にして居り「かわせみ」にとっても気心の知れた客の一人であった。  幸い、依田貴一郎が訪ねて来た時、幸太夫は出先から帰って来たばかりであった。で、お吉が取りつぐと、 「なに、依田貴一郎さんが、それは珍しい」  いそいそと自分から出て来て部屋へ通し、晩餉の膳は一人前、余分に用意してくれるようにとお吉に頼んだ。  本来、江戸の旅籠は素泊りで、飯は近くの飯屋などですませ、湯屋も近所のを利用するのだが、「かわせみ」は周囲に適当な飯屋もなく、また川っぷちであることから内湯の許しが貰いやすかったので、るいは谷中の「八百膳」や向島の「武蔵屋」が料理屋でありながら、客の都合によっては泊ることが出来るのを考えて、たてまえは旅宿だが、客がのぞめば、飯も出せるし、湯屋へ行くのもよし、内湯の用意もあるといった独自のやり方で「かわせみ」を開業した。一つには、るいの亡父が町奉行所の役人であったことと、亡父の友人達が何かと便宜をはかってくれたおかげで出来た商売の方法ともいえた。  依田貴一郎が「かわせみ」へ来たのはそれきりだったが、夜更けて彼が帰ってから長崎屋幸太夫が、 「あちらは、以前、長崎へお医者の修業をしに来ていらっしゃったのでございますよ。手前どもでは、義兄《あに》が人様の面倒をよく見るので、長崎へ勉学に来てお出での若い方はなにかにつけては長崎の店のほうへお立ち寄りになり、そこでまた同じような境遇のお方と友達になられたりして、まあいってみれば若い方々の集会所のようにもなって居ります。依田さんも、そのお一人で、あのお方は親御様が品川のほうで町医者をなさってお出でで、今はその後を継いでいらっしゃるそうでございます」  今日「かわせみ」へ来たのは、やはりその頃、長崎に留学していた市川昌庵という医者で、鍋島藩の江戸藩邸にお出入りをしているのと久しぶりに会い、彼から幸太夫が江戸へ来ているのを知ってのことだという。  長崎屋は鍋島藩の御用もつとめて居り、幸太夫は江戸へ出て来る度に必ず藩邸にも挨拶に出むいている。 「依田さんが長崎にお出での頃は、手前もまだ血気盛んで、たまには丸山へ市川先生などと御一緒に出かけたことがございましたが、皆さん、各々に御立派になられました」  丸山は長崎一の遊廓であった。  丸山の遊女は出島の阿蘭陀屋敷へ招かれて行くことがあるので、江戸の吉原の遊女が大門の外へ出るのを禁止され、籠の鳥であるのと違い、お供がつけば長崎市内をかなり自由に出歩くことが出来ると幸太夫は話した。 「それで、依田さんはよく妓としめし合せて、寿福寺の境内なぞで逢引をなすって居りましたよ」  今から七、八年も昔のことだと幸太夫がなつかしそうにいい、お吉が笑った。 「あのお方は男前ですから、さぞかし女郎衆のほうで達引《たてひ》きをなすったんでしょう」  遊女のほうが男に惚れ、金を出して逢瀬を持つことであった。 「そう申せば、依田さんに入れあげて、お内証に借金をふやした妓の話を聞いたことがございますよ」  夜になって、お吉はその話を主人夫婦の部屋でいいつけた。 「どちらかといえば、男の方にしては小柄で痩せぎすでしたから、女形にでもなったらさぞかしきれいな八重垣姫だの、顔世《かおよ》御前が出来るんじゃないかと思いますけど、お医者では、ちょっと……」  不似合な気がするというので、神林東吾が首をひねった。 「おかしなことをいうじゃないか、器量よしの医者のどこが悪い。本所の麻生宗太郎だって、あの通りの男前だぞ」 「宗太郎先生は御立派でございますよ。お若いのに、あれだけ出来たお方はそう滅多にいらっしゃるものじゃございません。御器量といい、お人柄といい……」 「長崎屋を訪ねて来た医者は人柄が悪いのか」 「そういうわけではございませんが、なんと申しますか、仁徳秀れたって感じがしないんでございますよ」 「驚いたな、お吉から儒学の講釈を聞かせられようとは思わなかったよ」  大笑いに笑って、その話はおしまいになった。なにしろ、お吉が奇妙きてれつなことをいい出すのは「かわせみ」の日常茶飯事なので、東吾はその話をすぐに忘れた。  あと十日で十一月が終ろうという日に、麻生宗太郎が「かわせみ」へやって来た。  東吾はまだ講武所から帰って来ていなかったのだが、るいが居間へ通れというにもかかわらず帳場に腰をすえて、これは体がぞくぞくして風邪をひきそうな時に煎じて飲め、とか、食いすぎでもたれたら、これが効くだのと講釈をいったあげく、嘉助にむかって、 「ぼつぼつ眼鏡を取り替えたほうがいい。老眼というのは、年々、度が進むんだ。前より見えにくくなっているだろう」  暇をみつけて、日本橋の天眼堂という眼鏡屋へ行って来るといい、なぞと世話を焼いていると、ちょうど東吾が帰って来た。 「宿屋の店先で医者がさわいでたんじゃ商売にさしつかえるだろうが。とっとと奥へ入れ」  東吾にどやされて、漸く腰を上げた。  居間の炬燵《こたつ》にさしむかいになって、早速、お吉がお膳を運んで来て、るいは長火鉢で酒の燗をはじめる。 「東吾さんは阿蘭陀正月というのを知っていますか」  余程、空腹だったとみえて酒も待たずに、お膳へ箸をのばしながら、宗太郎が訊いた。 「阿蘭陀正月だと……」 「それじゃ、海のむこうの阿蘭陀や英吉利《イギリス》の暦が、我々の使っている暦と違うことは御存じでしょう」 「それくらいは俺だってわかっているよ。早い話が俺達の暦はお月さん、むこうさんの暦はおてんとさんってことだろうが……」  土手鍋を持って来たお吉が早速、素頓狂な声を出した。 「おてんとさんの暦って、いったい、なんでございますか」  宗太郎がにやにや笑って東吾の顔を眺め、止むなく東吾が説明役に廻った。 「要するに、俺達の一カ月ってのは、月のはじめからお月さんがだんだん丸くなって満月になったのが十五日、それからまた少しずつ欠けて来て月がなくなるのが晦日《みそか》ってことだろう」 「さいでございます」 「むこうさんの暦は月は関係ないんだ。おてんとさんの位置で春夏秋冬が決って一カ月が三十日と三十一日の月と……」 「おてんとさんは満ちたり欠けたり致しませんが……」 「そりゃあそうなんだが……」  東吾がるいに注いでもらった酒をやけくそのように流し込み、宗太郎が笑いながらお吉に立ちむかった。 「お吉さんに訊くが、春ってのはなんだ」 「そりゃあお正月から三月まででございますよ。一月、二月、三月が春、睦月《むつき》、如月《きさらぎ》、弥生の三カ月のことです」 「だからさ、春ってのはどんな季節だ」 「どんなって……春が来ますとあったかくなって花が咲きまして……」 「お百姓は春になれば田をたがやしはじめるものだろうが……」  しかし、実際、一月や二月の田はまだ凍っていて、とても野良仕事は出来ないと宗太郎はいった。 「つまり、春になるとあったかくなり、夏には暑くなり、秋からはどんどん涼しくなって、寒い冬がやって来るというのは、お月さんとは関係ない。こいつは、おてんとさまの仕事なんです。少し、乱暴な言い方になりますが、そもそも大昔の人が暦を一番、必要としたのは農作のため、お百姓がいつ田をひっくり返し、いつ、田に水を張り、苗を植えるといい具合に育って、秋の稲刈りが出来るという一年の目安を知らなけりゃならないわけです。ところが、お月さんの満ち欠けは、暖かいの寒いのとは無関係です。おまけにこの暦だと、ずんずん、おてんとさまの影響とずれて来るので、年によっては三月になっても、まだ田んぼに出られない。つまり、お百姓の目安にはならないってことになりますね。そこで大昔の中国の王様が困った。なにしろ、大昔の王様の政事《まつりごと》というのは、どうやってお百姓に農作のために必要な寒さ暑さの移り変りを教えるかにあったのですから……」  あっけにとられているお吉を前に宗太郎は忍耐強く、噛んで含めるように熱弁をふるい、るいはもとより、東吾までが感心して聞いている。 「古人はすばらしい智恵の持ち主ですよ。月の満ち欠けで数える暦に、二十四|節気《せつき》というものを足すことを思いついたんです」  冬至を計算の基にして、 「おてんとさまの動き、というより、本当は我々の国のほうが、おてんとさまの周りを動いているそうなんですが、ぐるっと一まわりして来ると一年。そいつを二十四に分けて、一節気が大体十五日とする。お吉さんもよく知っている立春、雨水《うすい》、啓蟄《けいちつ》、春分、清明、穀雨、立夏、小満《しようまん》、芒種《ぼうしゆ》、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降《そうこう》、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と、これで二十四節気です」 「立春というのはお正月でございます。立春はまだ寒くても、これ以上、寒くはならない、春のはじまりってことじゃございませんか」 「その通り、雨水というのは立春から十五日目、今まで降った雪が解けはじめ水となるので、ぼつぼつ野良仕事の支度をはじめようということになります」  るいまでが膝をのり出した。 「啓蟄と申しますのは、土から冬ごもりをしていた虫が出て来る季節ということでございましょう。子供の頃、母から聞いたおぼえがあります。春雷が鳴って、虫がびっくりして地面から這《は》い出して来るのだと……」 「るいは雷が嫌いだからな」  東吾が宗太郎の盃に酒を注いだ。 「講釈はもう、そのくらいにしておけよ。どっちにしたって天文方のおえらい方々が何百年もかかってこしらえたものなんだ。俺達はただ、その上に乗っかって暮しているだけで……」 「阿蘭陀正月というのは、むこうさんの暦の正月なんですよ」  嬉しそうに酒を飲み、土手鍋に箸をのばして、宗太郎が話を元に戻した。 「そいつが、今年は今月の二十八日に当るのだそうです」 「冗談じゃありませんよ。師走にもならない中《うち》にお正月になっちまうなんて……」  お吉が口をとがらせたが、宗太郎はまあまあというふうに手を振っただけで、話を続けた。 「実は、毎年、冬至の日に漢方の医者が集って神農祭というのをやるんです。神農というのは漢方の医者の祖とされている神様でして、わたしの母の実家の今大路家でも祖父が中心になり、弟子達が集って、ちょっとした祭のようなことをしています」  その真似なのだろうか、と宗太郎は苦笑した。 「蘭方の医者が、阿蘭陀正月に依卜加拉垤《イホカラテツ》という医祖の像を掛けて祭をしているそうですが、その医者の一人が発案して長崎から江戸へ出て来て商売をしている大店の主人達が集って、飲んだり食ったりして大いに楽しもうという催しをする。御承知の通り、わたしも長崎には何年かいたことがありまして、その医者とも、大店の主人達とも満更、知らない仲ではありません。で、招かれて行くことにしたのですが、東吾さん、一緒に行きませんか」 「よせやい、長い講釈はそんなつまらねえ誘い出しの前口上だったのか」 「何事も後学のためですよ。なにせ、御時世がこういそがしく動いているのです。なんでも見ておいて損はない。おるいさん、そう思いませんか」  勧められるままに盃を干し、膳に並べられた肴を一つ残らず平げて、宗太郎は本所へ帰って行った。      二  二日ばかり経って東吾が本所の麻生家を訪ねたのは、軍艦操練所のほうから急遽、軍艦で伊豆沖へ練習に出るように指示があったからである。  今のところ、予定だと上陸は、阿蘭陀正月だという十一月二十八日の早朝となっているが、これまでの経験からいって必ずしも、予定通りとはいかないことのほうが多かった。  その旨を伝えに出かけたのだが、行ってみると、七重が珍しくおかんむりであった。 「いやなお客が来ているのですよ」  東吾を居間に請じ入れながら、眉をしかめた。 「まさか、宗太郎が吉原からつけ馬つきで帰って来たんじゃあるまいな」  兄嫁の妹だし、幼なじみだから、東吾が遠慮のない冗談をいうと、 「どなたかさんじゃございませんから、そういうことはありません」  娘の時とあまり変らない表情で口をとがらせた。 「じゃあ、借金取りか」 「長崎にお出でになった時分のお友達なのですけれど、ここのところ、よくおみえになるのです」 「おいおい……」  東吾が笑った。 「賢い奥方というものは、亭主の友達を邪険にするものじゃない。少々、気に入らない奴でも、丁寧にもてなすものだ。間違っても亭主の顔を潰すようなことはするな」 「ですから、我慢しておもてなしをしています」  不満そうな顔で茶の支度をはじめた。 「なんだ、まさか、俺のことじゃないだろうな」 「嫌なことばかり、おっしゃるのですよ」 「俺が、か」 「いいえ、依田貴一郎とおっしゃる方です」 「依田貴一郎……」  どこかで聞いたと思い、東吾は首をひねった。 「なんだというんだ」 「宗太郎様は、長崎にいらっしゃった頃、医学を学んでいる方々の間で、鶴とか、鷹とか仇名された逸材なのですって……」 「そりゃあ、賞め言葉じゃないか」 「その後がいけませんの。それほどの秀才が町医者のような仕事に甘んじているのは何事かと……何故、天野家を継いで、お上のお脈を取る身分にならなかったのか……」 「成程、それで、七重がぶんむくれというわけか」 「御自分だって品川のほうで町医者をなさっているんですよ」 「町医者のどこが悪い、困っている病人の治療をし、元気な体にしてやる。なにも御典医になるだけが医者の出世ではあるまい」 「私、そう思います。うちの旦那様のなさっていらっしゃることは本当に御立派で、神様のようなお方だと……」 「よせやい、また、のろけか」  胸の中で、依田貴一郎と呟いて思い出した。 「その、長崎の友人というのは、器量のいい医者ではないのか」 「私、ああいう人は好きません」 「お吉が、芝居の女形になったらよさそうだといっていたぞ」 「依田様は、かわせみへもいらしたんですか」 「多分、同じ奴だと思う。うちへ泊っていた長崎屋を訪ねて来たそうだ」 「東吾様はお会いになりましたの」 「いや、俺は留守だったから……」 「お吉さんはいい男だと申しましたの」 「男前だが、仁徳に欠けるといっていたよ」  笑いながらいったのに、七重は子供のように両手を叩いた。 「本当に、そうでございます。お吉さんのいう通り……」 「どうも、俺のつき合っている女達は変り者だな、器量のいい男を目の敵にする」  どんな奴かみて来ようといい、東吾が居間を出ると、ちょうど客間の障子が開いて、宗太郎が客を送って出るところであった。 「東吾さん、来ておいでだったのですか。こちらはわたしが長崎で一緒に学んでいたことのある依田貴一郎どのです。今は品川に住んで居られますが……」  廊下で挨拶をかわし、宗太郎はそのまま客を玄関へ送って行き、七重が慌てて出て行った。  東吾が居間で待っていると、やがて宗太郎だけが戻って来た。 「七重をあまり叱らないで下さい」  という。東吾は破顔した。 「あいつ、なんでも亭主にいいつけるんだな」 「七重は、よくもてなしてくれていますよ。それに依田は少々、けじめがないのです」  長崎にいた頃も、さして仲がよかったわけではなく、江戸へ戻ってからは久しく会ってもいなかったと宗太郎はいった。 「たまたま、唐津屋という薬種問屋で再会しましてね。それ以来、よく訪ねて来る。ものをはっきりいう男なので、とかく誤解を受けやすいのです。それだけに友人も少いのだが、頻繁にここへ来るのも、結局、寂しいからに違いありません」 「女房子はいないのか」  みたところ、四十に近い年齢のようであった。 「両親が長らく寝ついたきりだということです。病気というよりも、ぼけてしまったとでも申すのか、門弟に面倒をみさせているそうですが、やはり手がかかるのでしょう。門弟が逃げてしまったと今日もこぼしていましたよ」  そんな状態で、妻帯の機会もなく、未だに独り者だといった。 「気の毒だな」 「ここへ来た時ぐらいしか、心の休まる余地がないといいますからね」  阿蘭陀正月の催しは、彼から誘われたのだと宗太郎は打ちあけた。 「品川の鮟鱇《あんこう》鍋の旨い店でやるそうです」 「そのことだがな」  練習艦の予定を話すと宗太郎はがっかりした顔になった。 「それは残念ですが、予定通りなら二十八日の朝、品川の港へ入るのでしょう」 「艦を下りるのは夕方になるかも知れない」 「かえっていいじゃありませんか、どうせ、場所も同じ品川です」  川崎屋という店だから、もし間に合ったら来てくれ、といわれて、東吾は承知した。  もともと、つきあいの悪いほうではない。それに、その時の宗太郎が、何故か東吾に来てもらいたがっているのがよくわかったからでもあった。  翌日、東吾は軍艦操練所へ行き、上官の訓示を受けてから、他の練習生と共に品川沖の練習艦に乗船した。  伊豆近海から遠州灘を回遊して品川沖へ戻って来たのが予定よりも早くなって二十八日の夜あけであった。  上陸も早くて、品川の浜辺は漁を終えて帰って来た漁船で混雑している。  東吾達練習生は、止むなく漁師が荷あげをしている浜を抜けて品川宿へ向ったのだが、ふと、漁船の脇に立って漁師と話をしている男に気がついた。  依田貴一郎で、しきりに魚の籠をのぞいている。  声をかけるには距離がありすぎたし、こちらは仲間と一緒でもあったので、東吾はそのまま通りすぎた。  一度、大川端の「かわせみ」へ戻って一休みしたいところだったが、軍艦操練所へ行くと、今日中に報告書を出せという。  結局、東吾が自由の身になったのは、夕暮近くであった。  大川端へ戻る余裕はないので、そのまま品川へ行くことにして、芝口まで来るとむこうから町廻りの帰りらしい畝源三郎に出会った。  で、こうこうしかじかと話し、若党に「かわせみ」への伝言を頼んだ。 「宗太郎さんが一緒では、まさか、品川へ泊ってということもできませんね」  まあ適当に早くひき上げることですよ、と、源三郎は分別臭いことをいって烏森《からすもり》のほうへ去った。  品川の川崎屋へ行ってみると、ちょうど顔触れが揃ったところだといい、宗太郎が嬉しそうに一人一人に東吾をひき合せた。  薬種問屋の唐津屋光左衛門、海産物問屋の湊屋徳三郎、唐渡り織物問屋の岡本屋与之助、それに鍋島藩の江戸詰だという竹村広之進に医者の市川昌庵、依田貴一郎の六人、宗太郎と東吾が加わって男八人に芸者が四人、十畳の部屋はぎっしり埋まった感じであった。  床の間には一応、依卜加拉垤《イホカラテツ》の画像の掛け軸を飾り、その前に花や菓子が供えてある。  が、別に儀式めいたことはなく、すぐに盃を取った。  ギヤマンの盃に、唐津屋光左衛門が持って来たという赤い酒が注がれて、それが宴のはじまりになった。  料理のほうはもっぱら鮟鱇一色だが、酒は異国のものばかりで、とりわけ琥珀《こはく》色をしたのが強い。  勧められるままに東吾は盃をあけて、気がつくと随分、酔いが廻って来た。 「東吾さん、その酒は強いのですよ。湯か水で割って飲んだほうがよいかも知れません」  と宗太郎がいった時には、もう朦朧《もうろう》としている。  酒席は賑やかであった。誰もがよく飲み、よく食べている。  依田貴一郎は芸者を相手に長崎の廓の話をひとしきりしていたが、やがて手水《ちようず》に立って行き、戻ってきた時は大きな鉢を持っていた。 「この店の鮟鱇の肝は格別、旨いのだ。主人にいって追加をもらって来た」  たしかに、肝の煮たのは絶品といってよかった。  我も我もとおかわりを所望して、依田貴一郎はまめにみんなの小鉢に肝をすくって入れてやっている。  宗太郎は市川昌庵から訊かれて子供の喘息《ぜんそく》の治療について説明していた。その間に盃を取り、料理を食べる。  東吾はとみると、床柱によりかかってうとうとしている様子であった。  数日間、練習艦の上ではよく眠っていない筈で、そこへいきなり異国の強い酒を飲んだので酔いが廻ってしまったのだろうと、宗太郎はいささかすまない気持で脱いでいた自分の羽織を取り、東吾の肩にかけてやった。 「竹村様の様子がおかしい」  という声が聞えたのは、宗太郎が自分の席へ戻ろうとした時で、ちょうど、東吾の右隣にいた竹村広之進が盃を取り落し、体を固くしながら畳に崩れ落ちるように突っ伏した。 「竹村様、どうなされました」  竹村の右側にいた唐津屋が抱きおこすようにしたが、大柄で肥満した体の侍は、びくとも動かない。  宗太郎と市川昌庵が走り寄って様子をみた。  竹村広之進は目を開け、なにかいいたげに唇を動かすのだが、まともな声は出なかった。 「卒中でしょうか」  市川昌庵がいったが、宗太郎は気難しい表情で返事をしなかった。 「大変だ」  別の声が起った。 「依田先生が……」  本来なら宗太郎の左隣にすわっている筈の依田貴一郎がよろよろと立ち上り、そのまま、つんのめるように障子へぶつかって行った。  ひっくり返った依田貴一郎の足が痙攣《けいれん》している。  その時、東吾が床柱の前を離れた。 「宗太郎、みんなを自分の席へ戻してくれ。それから膳の上のものは、酒も肴も一切、手を触れないように……」 「東吾さん」  宗太郎が応じた。 「これは、河豚《ふぐ》の毒かも知れません」  芸者が悲鳴を上げ、東吾がきびしくいった。 「みんな、動かないでくれ」  手を叩いて女中を呼び、この店の主人にここへ来るように命じた。      三  東吾の処置は早かった。  河豚の毒で変死者が出たということになっては、この店に疵がつくので、品川宿の役人には知らせるな、といい、川崎屋の主人に命じて、八丁堀の畝源三郎へ使をやった。  畝源三郎がかけつけて来た時、竹村広之進は生きていたが、依田貴一郎はすでに冷たくなりかけていた。  同席した唐津屋、湊屋、岡本屋の三人と市川昌庵は、なんとなく気分が悪いとはいったが、それは心理的なものらしく、特に異常はなかった。  無論、東吾も宗太郎も無事である。  源三郎が来る間に、東吾が一座の人々に訊ねたのは、依田貴一郎があとから運んで来た大鉢から取った鮟鱇の肝を、どのくらい食べたかということであった。 「私は頂きましたよ」 「手前も取った分は残らず……」  結局、そこにいた全員が食べていた。食べなかったのは、床柱によりかかってうとうとしていた東吾だけであった。 「依田先生も召し上っていましたよ」  一番先に自分の小鉢に取ったと芸者の一人がいった。 「それからお隣の麻生先生の小鉢に取ってあげて、そちらの神林様のにもお取りになり、それから鉢ごと竹村様にお渡しになりましたのですよ。竹村様は御自分で、たっぷりお取りになり、次には皆さんが……」  竹村の隣は唐津屋で、次が湊屋、市川昌庵、岡本屋。輪になってすわっていたから、岡本屋の隣は依田貴一郎になる。  各々の小鉢の中に食べ残しの肝があったのは宗太郎と唐津屋、それに全く手を触れていない東吾の小鉢で、あとはみんな一切れも残さず食べてしまっている。 「河豚は種類にもよるそうですが、とりわけ肝に猛毒があるといいます。長崎でも、よく河豚の毒に当って死ぬ者がいまして、運び込まれた患者の手当をしたことがありますが、毒性が強く、殆ど手当のしようもない状態でした」  河豚の毒に当ったとわかるのは、手足がしびれ、体に痙攣が起ることで、 「鮟鱇の肝の中に、河豚の肝がまぎれ込んでいたとも考えられます」  とりあえず残っている小鉢の肝を調べてみるといった宗太郎に東吾がいった。 「他のはどうでもいいが、俺の小鉢の肝だけは充分、気をつけてくれ。うっかり口にすると、とんだことになるかも知れない」  宗太郎は東吾の顔をみたが、 「わかりました」  と答え、川崎屋の主人に頼んで河豚にくわしい者を探すように頼んだ。  江戸でも時折、河豚に当って死ぬ者がいる。  それでも河豚を食べる者があとを絶たないのは、とりわけ美味だからだといわれていた。  品川のような、海辺の町には必ず内緒に河豚を食べさせる店があったり、漁師の多くが河豚に知識がある筈である。  やがて、川崎屋の主人が一人の板前と三人の漁師を連れて来た。 「こいつは河豚の肝に間違いありません」  板前がいい、漁師もそれを認めた。 「河豚の肝というのは、鮟鱇の肝と似ているのか」  東吾が訊き、板前は、 「河豚の肝を食べたことがありませんから、味のほうはわかりませんが、切って味をつけたら、ちょっと見分けはつきにくいと思います」  と答えた。  実際、東吾の小鉢に入っていた河豚の肝と、他の食べのこしの鮟鱇の肝とでは、素人にはどっちがどっちやら判断もつかないが、東吾の小鉢に入っていたほうは河豚の肝、他のは鮟鱇の肝だと判定された。 「危いところでした。もし、東吾さんがこれを食べていたら、とんだことでした」  宗太郎は青ざめていったが、東吾は笑って手をふっただけであった。  川崎屋の主人は、どんなことがあろうとも、自分の店は鮟鱇だけしか扱っていないし、河豚がまぎれ込むわけがないと真赤になって弁明し、東吾はあっさり、それを認めた。 「そうだろう、河豚の肝は、あんたの所で間違って料理したのじゃない」 「では、いったい、どうして……」  唐津屋が目をむいていい、東吾はかけつけて来た源三郎にいった。 「なんにしても、今は、竹村どのの命を救うことが第一だ。唐津屋、湊屋、岡本屋には、いずれお上のほうから事実を知らせるということにして、各々、ひき取らせてはどうだろう」  源三郎は東吾の目の中を読むようにしていった。 「つまり、東吾さんには真相がわかっているということですね」  東吾がうなずくのをみて、三人に申し渡した。 「今日のところは自宅へ戻るがいい。但し、お上からお沙汰のあるまで、他出はひかえるように……」  なにしろ、部屋にはとりあえず運び込んだ布団に竹村広之進が寝かせられて居り、宗太郎が市川昌庵に命じて買って来させた薬を煎じては、病人に飲ませている。  竹村広之進は荒い息をしているが、それでも薬湯を飲む力だけは残っているようであった。  宗太郎と市川昌庵、東吾と畝源三郎を残して、すべての人々が部屋から遠ざけられた。  夜はかなり更けて、町の賑いも聞えなくなっている。 「助かりそうか」  東吾がそっと宗太郎にささやいた。  宗太郎が部屋のすみに、こちらも一応、布団に寝かされている依田貴一郎の死体をちらりとみて答えた。 「唯一の頼みは、竹村どのは体の大きい割に食べた量が、それほど多くないのではと思われる点です。依田は小柄で痩せています。量も竹村どのより多いのではないかと……」  東吾がいった。 「依田が食べたのは、小鉢に一杯が全部、河豚の肝だ、竹村どののほうは半分くらいは鮟鱇の肝だと思う」 「東吾さんは、大鉢の中にいくらかの河豚の肝がまじっていたと思うのですか」 「まじっていたんじゃない、すみにあとからのせて来たんだ」  源三郎が訊いた。 「誰が、そんなことをしたんです」 「出来るのは一人きりだ。あの大鉢を持って来た者、そいつは自分ののせた河豚の肝が鉢のどこにあるかがわかっている、だから、鮟鱇のとまじらない中に、いそいで自分の小鉢に鮟鱇の肝だけを入れたんだ。芸者がいったろう、依田は一番先に自分の小鉢に肝を取ったと……」 「しかし、依田は死にました」  宗太郎が東吾をみつめた。 「東吾さんはわたしの小鉢と、依田のとを取り替えたのですか」  東吾が長寿庵の長助の癖がうつったように、ぼんのくぼに手をやった。 「咽喉が渇いていたんだ、水を飲みたいと思ってね、芸者は各々、客の相手をしている。障子が開いた時、俺は女中が来たなら水を所望しようと思ってそっちをみた」  入って来たのは依田で、手に大きな鉢を持っている。 「それはいいんだが、あいつ、左手で鉢のふちをつかんでいて、しかも親指を鉢の中へ突っ込んでいるんだ。随分、行儀の悪い奴だと眺めていたら、自分の小鉢に指を突っ込んでいるのと反対側の肝を取った。そうして、次には宗太郎の小鉢に指を突っ込んでいるほうの肝を取った。それもやけにたっぷりだ、次に俺の小鉢にも指を突っ込んでるほうを取った。あとは竹村どのが自分で鉢を受け取って自分の小鉢へ、これもかなりの量を取っていたよ。考えてみると、河豚の肝は宗太郎と俺のところで大方がなくなり、少し残っていたのが鮟鱇と一緒に竹村どのの小鉢に入った。あとは鮟鱇の肝ばかりさ」 「東吾さんは、最初から、依田が河豚の肝をのせて来たと気がついたのですか」  源三郎が話を遮り、東吾が手をふった。 「そんなことはない、俺は河豚をくったことがないし、肝なんぞ見たこともない」 「では、どうして……」 「あの時は、酔っぱらっていて、ぼんやりしていたから、どうしてといわれるとよくわからないんだが、多分、手前の指を突っ込んだところを他人の鉢に取るとは何事だと思ったのかも知れない。それとも、あいつのやってることにどこか不自然なものが見えてたのかどうか。なにしろ、反射的に取り替えちまったんだ」 「わたしは、気がつきませんでしたよ。いつ、そんな早業をしたのか」  宗太郎が首をひねった。 「俺に着せようとして、自分の羽織を取りに行ったじゃないか、あの時だ」  部屋のすみに芸者がたたんでおいた羽織を、宗太郎は立ち上って取りに行った。 「東吾さんも食べなかったのですね」 「男の指がさわったものなんぞ食いたくもねえ。第一、あの時、俺はひたすら眠くてね」  今にして思うと、その日の朝、東吾は品川の浜で漁師に何かいっていた依田貴一郎を目撃している。 「明日になったら、源さん、ここらの岡っ引にいいつけて、漁師を調べさせてみろ。きっと、依田に河豚を売った奴がみつかるよ」 「依田は……」  と沈痛に、宗太郎が呟いた。 「長崎で、よく河豚に当った患者の手当をしていました。いったい、河豚のどこに毒があるのか漁師に訊いてみるといって……、そうでした、あの時、肝が一番危いらしいと話していましたよ。毒をもって毒を制することは出来ないものかと、調べてもいたようです」  宗太郎のほうは、よく河豚を食べるという漁師が唐人の医者から、もし当った時にはこれを煎じて大量に飲むといいと教えられたというのを聞いていた。 「解毒剤のようなものですが、食べた量が少くないと無理だろうと思います」  今日、竹村に飲ませたのは、それだといった。  竹村広之進は鼾《いびき》をかいて眠り出した。  結局、品川で一夜が明けた。  朝になって、竹村広之進は回復した。まだ手足にしびれは残っているものの、 「もう大丈夫です。あとは手前におまかせ下さい」  市川昌庵がいい、様子をみて駕籠で藩邸へ送ることにした。  源三郎は調査のために品川に残り、東吾と宗太郎は歩いて品川宿を出た。  徹夜をしたにしては、二人とも疲労を感じていなかった。おそらく、気持がまだ張りつめているせいだろう。 「東吾さんは、依田がわたしを殺そうとしたと考えているわけですね」  歩きながら、宗太郎が低くいった。 「何故、依田はわたしを殺そうとしたのだと思いますか」 「宗太郎には心当りがないのだろう」 「ありません。昨夜からずっと考えていますが、依田に怨まれるようなことをした記憶もなく、あいつの心を傷つける振舞もしていないと思うのですが……」 「俺も、そう思うよ」 「では、何故……」  東吾が、冬空のむこうに目をやった。高輪の海が朝の光の中に広く続いている。  白い大きな帆をあげた船が品川の沖を房州へ向っているのが見える。 「俺は易者でもないし、神様、仏様じゃないから、人の心が読めはしない」  ただ、講武所や軍艦操練所で働くようになって、妬《ねた》みということを時折、考えるようになったといい、東吾は苦笑した。 「俺は住んでいる世界が狭いし、兄上や斎藤弥九郎先生、松浦方斎先生のような立派な人格者に接して来た。源さんや宗太郎みたいな良き友人に恵まれてもいる。で、つい、うっかりしていたのだが、男の妬みというのは、下手をすると女の妬みより性質《たち》が悪い」 「妬みですか」 「その話をしたら、源さんに笑われたよ。長いこと、捕物の手伝いをしていて、そんなことにも気がつかなかったのかとね。源さんが手がけたさまざまの事件の中には妬みが原因の殺傷が、ごまんとあるそうだ」 「依田は、わたしを妬んだのですか」 「宗太郎はいったじゃないか。あいつの境遇が気の毒だと……」  両親の長患いのせいで、妻を迎えることも出来ず、家庭は暗い。 「宗太郎のところへ始終やって来たというのは患者もそう多くはなかったのだろう」  医者として繁昌もせず、人から尊敬されることもない。 「よく考えてみれば、それはあいつの心がけのせいだと思うが、当人はただ不運だ、不幸せだと、自分の境遇を呪っていただろう」  それにくらべて、宗太郎の周囲は明るかった。 「いい女房がいて、いい子がいて、ものわかりのいい舅《しゆうと》どのは、宗太郎を息子のように頼りにしている。患者は押しかけて来るし、貧乏人に高い薬料を取ることをしないから、みんな、宗太郎を神農様、いや、依卜加拉垤《イホカラテツ》だと思っている」  遂に宗太郎が笑い出した。 「調子がよすぎますよ、東吾さん」 「おまけに持つべきものは、良い友だ。酔っぱらって、ぼんやりしていたって、本能的におかしいと思ったら、宗太郎の小鉢を取り替えている」 「おかげで命拾いしましたが……」  宗太郎の表情に残っている屈託をみて、東吾は少しばかりきびしい調子になった。 「依田が死んだことを気にしているのか」 「下手をすれば、わたしも東吾さんも、あいつに殺されていたのですから、かわいそうだとは思えませんが……」 「昔の友人だと考えるから、そんな甘ったるいことがいえるんだ。殺人鬼に同情する馬鹿があるか」 「その通りです。わたしが死んだら、七重が泣きます。花世も小太郎も、義父上《ちちうえ》も……」 「俺だって死ねば、るいが泣くさ」 「おたがい、生きていてよかったですね」 「お前と話をしていると、調子が狂うよ」  金杉橋を越えると、人通りが次第に増えて来た。  大名小路は、ちょうど諸大名の登城の刻限でもある。 「神罰だな」  神明様の前を抜けて、東吾がまたいった。 「川崎屋の、あの部屋に依卜加拉垤《イホカラテツ》の画像がかけてあったじゃないか。あいつは阿蘭陀の神様なんだろう」 「神様ではなくて、大昔の大医学者です」 「なんにしたって、依卜加拉垤の罰だよ。よりによって蘭方の医者を祭る日に、医者が人殺しを企むとは、許せねえと、依卜加拉垤は判断したのさ」 「東吾さんはよくよく依卜加拉垤が気に入ったみたいですね」  大川端にたどりつくまでに、二人共、心のすみにあった重いものをなんとかふり落して、威勢よく、 「今、戻ったぞ」  まず東吾が声をかけたのだが、出迎えた嘉助が、 「お帰りなさいまし。只今、本所の麻生様から七重様がおみえになりまして、お居間でうちのお嬢さんと……」  どこか不安そうな表情で教えたのだが、東吾も宗太郎も、その時の嘉助の心配には全く気がつかなかった。 「七重が来ているのですか」 「二人とも、さぞ心配しているんだろうよ」 「昨夜は眠れなかったのかも知れません」  いそいそと居間へ入ると、向い合って話していたるいと七重が、つんとすわり直した。 「随分と、お早いお帰りでございますこと」  るいがいい、七重が、 「どうせのことなら、もそっとごゆっくり遊ばせばよろしゅうございましたのに……」  と応じた。 「なにをいってやがる、こっちは危く河豚の毒に当って死ぬところだったんだぞ」  東吾が慌て、 「その通りです。東吾さんのおかげで命拾いをしたのですよ」  宗太郎が続けたが、女二人は顔を見合せて笑っている。 「まあ、さぞかし、お美しい河豚さんでございましたろう」 「品川には龍宮の乙姫様のような妓が揃って居りますとか」 「冗談いうなよ。昨夜は俺と宗太郎と源さんと、男ばっかり、膝小僧を揃えて……」  東吾が躍気になったが、 「殿方はいざというと、必ずかばい合って、決して尻尾はみせないと申しますから、七重様、眉毛に唾をおつけになって……」 「おるい様も欺《だま》されませんように……」  まるで本気にならない。  茶を運んで来たお吉が廊下でくすくす笑い出し、遂に東吾が宗太郎にいった。 「俺もお前も、どうやら仁徳ってのに欠けているんじゃないのか」  大川のほうから物売り舟の呼び声がして、やがて師走という江戸の空は、どこまでも屈託なく明るく晴れ渡っていた。 [#改ページ]   月《つき》と狸《たぬき》      一  一カ月ほど前から、「かわせみ」の裏庭に狸が出没するようになった。  最初にみつけたのは、女中頭のお吉《きち》で、野良犬がごみ溜をあさっていると思い、若い板前を呼んで来たところ、 「たまげたなあ、ありゃあ、てっきり狸ですぜ」  この板前は、在所が上総《かずさ》で、子供の時から狸を見馴れていた。 「狸って奴は、けっこう餌を探して里へ下りて来るもんですが、江戸にも狸が居るんですねえ」  と驚いていたが、実際のところ、江戸でも狸はそう珍しくはなかった。  本所深川は新開地で、ちょっと奥へ入ると狸が棲んでいるし、上野の御山にも、千代田城の吹上の御庭にも狸がいるといわれている。  まして、山の手の武家地では、始終、何々侯の下屋敷では月夜に狸囃子が聞える、などという噂が、なんの不思議もなく語られていた。  けれども、江戸でもとりわけ繁華な日本橋、京橋界隈で狸をみることはなく、大川端の「かわせみ」でも、よもや狸が庭へ現われるとは誰も思ってもみなかった。  一つの理由は、昨年の暮に長いこと飼っていた犬が老衰のために死んだせいで、 「いくら、図々しい狸公でも、シロがいる間は怖れて出て来られなかったんだろう」  おそらく、それ以前から川っぷちの土手にでも穴を掘って棲んでいたのではないかと、お吉の報告を聞いた東吾《とうご》が笑った。  で、お吉が、 「若先生が以前、お稽古に通ってお出での松浦方斎先生の道場は狸穴《まみあな》ってところにございますんでしょう。名前からして狸の大本山じゃございませんか。ひょっとすると、うちの庭に出て来る狸は、若先生のお供をして狸穴から来たのかも知れませんよ」  といい出した。 「冗談いうなよ、狸が人間のあとをひょこひょこついて来るもんか」  東吾は相手にしなかったが、 「いいえ、昨年死んだシロだって、もとはといえば、うちのお嬢さんにくっついてここへ来ちまって、ずっと居ついていたんです。狸は犬の眷属《けんぞく》だっていいますから、あの狸は間違いなく狸穴から来たんです」  とお吉はゆずらない。  まさか狸を飼うわけにもいかないが、ひもじい思いをさせてはかわいそうだと、裏庭の灌木《かんぼく》のしげみの下に藁《わら》を敷き、その上に残飯や魚の骨などを夜になってからおいてやると朝にはきれいに失《な》くなっている。  好奇心の強いお吉のことなので、いったい、いつ食べに来るのだろうと、台所の土間の小窓を一寸ばかり開けてのぞいていると、草むらのほうから一匹の狸が姿を現わし、根気よくあたりを窺い、窺い、見ているお吉がしびれを切らすほど愚図愚図したあげくに、漸く、餌にたどりつく。 「一匹だと思ってましたら、三匹なんでございます。一匹が食べはじめますと、おそるおそる、あとの二匹がやって来まして……」  どうも最初に出て来る一匹が親狸であとの二匹の中の一匹がその女房、小さいのが夫婦の間に生まれた仔狸ではないかと、お吉は翌朝、得意になって、東吾とるいに話した。 「そうすると、俺について狸穴から来たのが牡狸で、本所のおいてけ堀から女房をみつけて、めでたく仔が出来たってことか」  と東吾は茶化したが、お吉は真剣に毎晩、餌をおいては、夜更けまで小窓の傍にへばりついている。 「狸のような山野で暮すけものに、人が餌を与えてよいものでしょうか。それが習性となって、自分で餌を取るのを忘れてしまっては、あとあと生きて行けなくなって困るのではございませんか」  と、るいは心配したが、「かわせみ」で一番、狸にくわしい板前は、 「なに、そんなことはないようで、俺が爺さんから聞いた話では、ああいうけものはいくら餌をやっても人間に馴れることはねえそうで、餌をくれりゃあそこへ行って食うが、くれなけりゃ、また自分で探す。里へ出て来て剣呑《けんのん》だと思えば、さっさと山へ帰る。そこらあたりは変幻自在だそうです」  という。  たしかに、「かわせみ」の狸は毎夜、餌を与えられていても、決してお吉になつかないばかりでなく、人間への警戒はおさおさ怠りなく、どこかで人の声がすればさっと姿をかくす。 「なつかなくたってようございます。狸ちゃん達の元気な姿をそっとみるだけで充分でございますよ」  新春早々、お吉は孫でも出来たように張り切っている。  その狸の話を、神林東吾は、たまたま町奉行所へ出仕する途中の畝源三郎に告げた。  東吾のほうは講武所へ行くところで、八丁堀から御堀端まで肩を並べた。 「まさか、東吾さんについて狸穴から来たとは思いませんが、このところ、江戸の狸は住み家を追われて右往左往しているのが少くないと思いますよ」  相変らず真面目な顔で、源三郎がとぼけたことをいった。 「昨年の秋から冬にかけて、諸方で火事が多かったでしょう」  付け火だといわれているが、未だに犯人は捕っていない。  不幸中の幸いは、今のところ、類焼しても二、三軒程度で消し止めているが、 「正月からこっち、天気が続いて乾き切っています。もし、風の強い日に火つけでもされましたことには大火になること必定です」  奉行所から各町々へお触れを出して、夜廻りの人数を増やし、燃えやすいものを軒下などに放置しないよう呼びかけているが、万全とはいい難い。 「大体、付け火の下手人というのは厄介なのですよ。以前にも女にふられた腹いせにあっちこっちに火をつけて歩いた奴がいますし、人があわてふためくのが面白くて、手当り次第に火をつけていたという酒屋の小僧を捕えたこともあります」  なかには自分で火をつけておいて、みんなと一緒に消火につとめていたという者もあるし、探索に手を焼く場合が多い。 「なんにしても、この寒空に焼け出された人の気持を考えますと、一刻も早く下手人を挙げねばと苦慮していますが……」 「かわせみ」も充分に注意して下さい、といわれ、東吾は奉行所へ向う源三郎と別れた。  その翌日、飯倉の岡っ引、仙五郎が一人の若者を伴って、大川端の「かわせみ」へやって来た。  ちょうど、東吾は軍艦操練所の練習船の航海記録の整理をしていたところだったが、るいに案内されて入ってきた仙五郎に、なつかしそうな笑顔を向けた。 「久しぶりだな、変りはなかったか」 「へえ、方月館の松浦先生も、善助さんもおとせさんも正吉も、みんな、若先生が正月にお出でになったのを、大層、喜んでお出ででございました」  東吾が方月館の代稽古に通っていた頃は必ず月の中の十日は狸穴で暮していたものだが、講武所の教授方を承るようになってからは、心ならずも無沙汰をしがちになっている。 「ところで、若先生は青山の刀屋、と申しましても古道具屋が表看板でございましたが、備前屋という店を御存じで……」  仙五郎の言葉に、東吾はうなずいた。 「松浦先生のお供をして、何度か行ったことがあるが……」 「芳太郎さんは、その備前屋の悴でございます」  東吾は仙五郎の背後に小さくなって両手を突いている若者の顔を見たが、記憶はなかった。 「芳太郎さんは、若先生にお目にかかったことはないようだと申して居ります。この人は十年ほど前に、京都の道具屋へ修業に出されて居りましたので……」 「備前屋には、確か、娘がいたな。聟を取って、店を継いでいるような話だったが……」 「お加世さんは、芳太郎さんの姉に当りますんで……」  姉と弟と、年齢が一廻りも違う。 「間に二人ほど生まれたそうですが、二人とも赤ん坊の時に歿《なくな》りまして、まあ一番上と一番下が無事に育ったってことでして……」  十五で芳太郎が京へ旅立って行った時、お加世はもう二十七になっていた。  しかも、その翌年、備前屋の主人、藤兵衛が卒中で倒れ、幸い、軽くて命に別状はなかったものの、右半身が不自由になってしまった。  店で客の応対をする程度のことならなんとかなるが、得意先を廻ったり、地方へ出かけて品物を買いつけて来たりするのは、長年、奉公して来た番頭の新兵衛にまかせるしかなくなった。 「番頭と申しましても、備前屋の奉公人は新兵衛さん一人でございます。もともとは研師《とぎし》になるつもりで、藤兵衛さんへ弟子入りしたそうで……方斎先生のお話によりますと、藤兵衛さんは備前の刀工の家に生まれた人だとか。江戸へ出て来て研師の看板を上げたが、この節、研師では商売が成り立ちませんで、刀屋になり、道具類にも手を広げていったとやらで、研師の腕はなかなかのものだったとうかがいました」  それは、東吾も松浦方斎から聞いたことがあった。 「その新兵衛というのが、娘聟だろう。方月館へ掛軸《かけじく》を届けに来たことがあった」  仙五郎が頭を下げた。 「つまり、なんでございます。藤兵衛さんが体を悪くしたものですから、新兵衛さんをお加世さんの聟にして、備前屋をやって行くようにしたわけでして……」 「しかし、備前屋の跡取りは、この芳太郎だろう」  うつむいていた芳太郎が、僅かに顔を上げた。浅黒い、頑固そうな面がまえは、東吾の記憶にある備前屋藤兵衛によく似ている。 「あの、申し上げますでございます」  東吾が笑った。 「そんなに固くなるな。俺は別に奉行所の役人じゃないんだ」  仙五郎も傍からいった。 「若先生は、ざっくばらんなお人なんだ。なんでも申し上げろ」 「実は、手前が京の大和屋へ参ります時、先方と手前の親父との間に、もし、先方が手前を気に入ったら、さきざき養子にするというような話があったのでございます」 「しかし、あんたは一人息子だろう」 「親父は姉のことを心配して居りました。姉は自分が嫁に行ってしまうと、両親が寂しがる、といって聟をとって、もし、その男が備前屋を継ぐようなことになっては、弟の手前がかわいそうだと申しまして、決して縁談に耳を貸そうと致しませんでした。両親も姉の優しさに甘えてずるずると手許においてしまい、気がついてみれば、姉は嫁《い》き遅れになって居りました。そんな姉を女房にして大事にしてくれそうな者、気心の知れた者と申しますと、新兵衛しか思い当りません。もし、手前が大和屋の養子になるのなら、手前にとっても悪い話ではなし、備前屋は姉夫婦にゆずってと考えたのだろうと存じます」  実際、芳太郎が京へ行って一年目に藤兵衛は病に倒れ、そうなると、否応なしに新兵衛に頼らなければ店は立ち行かなくなった。 「なるほど……」  東吾が視線を仙五郎へ向けた。 「そのことで、何か支障が起ったのか」  待っていたように、仙五郎が膝を進めた。 「備前屋が焼けちまったんです」 「なに……」 「暮の二十八日でございました。ありゃあ、てっきり付け火だと思いますが……店から火が出て、向う三軒両隣りが全焼しまして、藤兵衛さんと内儀のお元さん、娘のお加世さんが逃げ遅れて焼け死にました」  おそらく、体の不自由な藤兵衛を助け出そうとして煙に巻かれたのだろうと仙五郎はいう。 「新兵衛はどうしたんだ」 「留守でございました」  仕事で向島のほうへ出かけて居り、その夜は知り合いの家へ泊っていた。 「翌日、なにも知らずに帰って参りまして、仰天して居りました」  泣く泣く近所の者と野辺送りをすませた。 「芳太郎さんは、昨日、江戸へ着きまして」  幸い、仙五郎がお上の仕事で青山へ出かけて居り、町役人《ちようやくにん》の知らせで芳太郎に会った。 「あっしも、松浦先生のお供で何度か備前屋へ行って居りますし、藤兵衛さんとは知らない仲でもございません」  昨夜は芳太郎を伴って方月館へ顔を出し、方斎の計らいで、芳太郎は方月館へ泊った。 「今日、こうやって出て来ましたのは、新兵衛さんが、青山の焼け跡の片付がすんでから、向島の知り合いの家へ身を寄せていますんで、そちらへ芳太郎さんを連れて行くわけでして……今朝、方月館へ芳太郎さんを迎えがてら、お世話をおかけ申した礼をいいに参りますと、おとせさんが向島まで行くのなら、ついでにこちらへ寄って、若先生にこいつをお届けしてもらえないかと頼まれまして……」  長話の先に、仙五郎がさし出したのは、風呂敷にくるんだ木箱で、なかには筒茶碗が入っている。 「方斎先生のお手作りです」  松浦方斎はこのところ、やきものに凝っていて、庭には小さいが窯《かま》も築いてある。  正月に東吾が挨拶に行った時は火入れが終ったばかりで、もう何日かで窯を開けるが、よさそうなものが出来ていたら、一つ、つかわそうといわれ、あまりあてにもしないで、 「是非、頂きとう存じます」  と返事をしたのを、わざわざ仙五郎にことづけた師の優しさに、東吾は頭を下げた。 「かたじけない。先生には改めて御礼の文を書く」  それにしても、新兵衛の住み家は向島のどのあたりだと東吾が訊き、 「多聞寺という寺の裏側だと聞いて居ります」  と仙五郎がいささか心もとなさそうに答えた。 「向島なら、長助《ちようすけ》がくわしいな」  どっちみち用もないから俺も行こうといい、東吾は、驚き恐縮している仙五郎を制して、るいの手から大小を受け取った。      二  一月なかばの江戸は五日ばかり前に降った雪が、まだ北側の屋根や道のすみに残っていたが、陽光は春の気配を感じさせるほど温かであった。  深川の佐賀町から長寿庵の長助が同行して、男ばかり四人が大川を舟でさかのぼった。  多聞寺というのは、綾瀬川の近くらしい。 「ところで、あんたは青山の店が焼けた知らせを受けて江戸へ来たのか」  片すみにひっそりと座っている芳太郎に東吾が声をかけ、芳太郎が、いえ、と答えた。 「手前は何も知らずに、京を発ちました」 「そうだろうな」  暮の二十八日の火事の知らせが京へ行って、それから発って来たのにしては、日数から考えても早すぎた。 「それじゃあ、さぞ、びっくりなさったろう」  舟の中に用意した土瓶の茶を勧めながら、長助が気の毒そうにいう。 「よくよく運が悪いのかも知れません」  父親が最初に江戸で店を持ったのは本所の一ツ目だったと芳太郎がいった。  ちょうど、竪川が大川へ流れ込んでいるあたりを、なつかしそうに眺めている。 「手前が九つの冬に、そこが大火で焼けまして……」 「あの時の火事ですか」  長助が応じた。 「ありゃあ、十二月の二十九日の夜でしたよ。本所の岡場所から火が出て、風が強かったんで、竪川筋から横川まで、きれいさっぱり灰になっちまって、年の暮でしたから、焼け出されはみんなひどいことになりました」  身を寄せる親類や知り合いのない者達は、俄《にわ》かごしらえのお救い小屋で寒さに慄《ふる》えながら正月を迎えた。 「それで青山へ移ったのか」 「一ツ目の借家の持ち主と、うまく話し合いがつかなかったと聞いて居ります」  芳太郎が九つといえば、姉のお加世は二十一である。 「大火のせいで、住み馴れた土地をひっ越すということも、姉の縁談の障りになったのかと思います」  川の流れをみつめている芳太郎の横顔に哀愁の色が濃かった。 「あんた、姉さん思いだったらしいな」  東吾が呟き、芳太郎は涙を浮べた。 「いい姉でございました。優しくて、しっかり者で……」 「器量よしか」 「京へ参りまして、広隆寺と申すお寺の仏様を拝みました時、姉さんにそっくりだと思いました」  大川から綾瀬川へ入り、堀切橋のところで長助は船頭に声をかけ、舟を岸辺へ着けさせた。  あたりは見渡す限り田と畑で、ところどころに百姓家が見える。 「あそこにちょっとした森がみえて居りますが……」  杉木立に囲まれた中に本堂の屋根がのぞいている。  隅田山多聞寺といい、本尊が毘沙門天なので、正月の七福神まいりには、けっこう賑うと長助はいった。  田畑の間の小道を行くと、茅葺きの山門に出た。  正面に本堂、右手に方丈がある。  山門を入った左手に崖があり、ほら穴がみえた。その周辺は木立が鬱蒼としていて、穴の前に小さな石の塚が築かれている。 「狸塚と申しますんで……なんでも、その昔、狸が悪さを致しますんで、毘沙門様が封じ込めたとか、いろいろいわれがあるらしゅうございます」  寺内はひっそりしていた。  本堂の脇で松の手入れをしている植木屋に訊いてみると、 「この裏手に、寺の家作が二軒ばかりありますが……」  と教えてくれた。  境内を出ると、そこも畑地である。  ぽつん、ぽつんと家があった。  その一軒で、若い女が赤ん坊の襁褓《むつき》を干していた。  長助が走って行って声をかけると、家の中から男が出て来た。 「新兵衛でございます」  仙五郎が東吾にささやき、長助のほうへ行った。新兵衛が驚いたように仙五郎に頭を下げ、東吾と芳太郎のほうをみる。  東吾は、芳太郎が唇を噛みしめ、肩先を僅かにふるわせているのに気がついた。  新兵衛は一行を、家の中には通さなかった。 「ここは、妹の家でございまして……」  手狭だし、子供もいるのでと弁解しながら、一行を多聞寺のほうへ誘った。  山門の前に茶店がある。  そこで、新兵衛は改めて芳太郎に頭を下げた。 「なんとお詫びを申してよいか、手前が留守にしたばかりに……とんだことになってしまいまして……」  芳太郎は答えなかった。ただうつむいている。  かわりに東吾が訊いた。 「あんたは仕事でこっちに来ていたそうだが、その仕事とは、なんだったんだ」 「刀の研ぎでございます」  という返事であった。  このところ、世上不穏のせいでもあろうか、大名や旗本の家々で、刀の手入れが盛んになったと新兵衛はいった。 「備前屋は、もと本所にございましたので、あのあたりに昔のお得意が多く、そちら様から、刀の手入れをするようにとの御注文が来まして、昨年の春あたりからは、もっぱら、そうしたお屋敷に参上して居ります」  手入れをする刀は一振り、二振りの場合もあるが、 「幾振りもをいっぺんにとおっしゃるお屋敷もございまして……一々、青山へ持って帰りますのも、重いものではあり、第一、大事なお品でございます」  屋敷によっては、数日、滞在して手入れをして行けというところもあり、新兵衛は本所深川へ来ていることが多くなった。 「幸い、妹が向島に暮して居りますので、頼みまして泊らせてもらうこともございました」 「すると、暮の二十八日の夜は……」 「妹のところでございます。本所の井上俊蔵様のお屋敷で一日中、お刀の手入れを致しまして、夜になって妹の家ヘ戻りました。翌朝、青山へ戻りまして、家が焼け落ちているのを見ました時は、なんと申しましょうか、まるで、夢をみているような……」 「京の芳太郎には知らせたのだろうな」 「はい、町役人の方からいわれまして……なにしろ、頭がぼうっとしてしまって、自分が何をしているのやら、今でも仕事が手につきません」  それから、新兵衛は芳太郎に対して、焼け跡を片付けた時に灰の中から十五両ばかりの金が出て来たので、形見のつもりで取ってあるから、それを渡したいといったが、芳太郎はろくに返事もせず、東吾に、 「いろいろとお手数をおかけ申しました。事情もわかりましたので、これで戻りたいと存じます」  と挨拶した。 「芳太郎さん、今夜の宿は……」  新兵衛が訊いたのにも、芳太郎は、 「まあ、適当に致します」  そっけない調子でいい、さっさと背を向けた。東吾がそれに続き、長助と仙五郎は慌てて新兵衛と二言三言話をし、あたふたと後を追って来る。  綾瀬川の岸辺に待たせてあった舟に乗ってから、東吾は芳太郎にいった。 「あんたは、新兵衛があんたの姉さんと夫婦になったのが気に入らないらしいな」 「そういうわけではございませんが……」 「それじゃあ、どうしてあんなに冷淡な顔をしたんだ。仮にも義理の兄だろう。大事の時に、家を留守して家族を死なせちまったことで、新兵衛はどれほどつらい思いをしているか。あんたの気持はわからぬではないが、何事も不運だったのだと許してやる気になれないものか」  仙五郎もいった。 「若先生のおっしゃる通りだ。あんたが京へ行ってから備前屋を守って、あんたの両親や姉さんの暮しが立つよう働いて来たのは新兵衛さんなのだし、三人の野辺送りだって、新兵衛さんの手でちゃんとすました。本来なら、礼の一つもいうところじゃなかったのかね」  低く、一人言のように芳太郎が呟いた。 「新兵衛は位牌を寺にあずけていました」  青山の高徳寺で、藤兵衛夫婦とお加世の遺体もそこに埋葬されて白木の墓標が建っている。 「そりゃあ、自分の住む所も決っていないような有様だから、仕方がねえでしょう」  と仙五郎がいったが、芳太郎は固い表情を崩さない。 「お前、なにを考えているんだ。気になることがあるならいってみろ」  東吾にいわれて、やはり低い声で応じた。 「あいつに妹がいるなんて、聞いたことがありませんでした」  新兵衛が父の弟子になって備前屋へ住み込むようになったのは、自分がまだ五、六歳の頃だったと芳太郎は続けた。 「親は二人とも、すでに死んで天涯孤独なのだといっていたように思います」 「しかし、新兵衛は妹の家に厄介になっていたではないか」 「本当に、妹でしょうか」 「ほう……」  東吾が感嘆に似た声を出した。 「そんなことを考えていたのか」  両国橋が見えて来て、芳太郎がいった。 「申しわけありませんが、あの辺りで舟を下して下さいまし。今夜は馬喰町へ宿を取りたいと思いますので……」  仙五郎が何かいいかけたが、東吾は目くばせで制した。 「好きなようにさせてやるがよい」  船頭が竿を取り直し、柳橋の船宿の近くへ舟を寄せた。 「いろいろとお世話になりました。ありがとう存じます」  東吾と長助に礼をいい、舟を上った芳太郎に続いて仙五郎も下りた。 「ともかくも、宿をみつけるところまでついて行ってやろうと思いますので……」  東吾が笑った。 「そうしてやることだ」  岸辺に立ってお辞儀をしている芳太郎と仙五郎を残して、再び、舟は大川を下る。 「まあ、京から来てみたら、親も姉さんも死んじまって、家は灰になっていたというんですから、気がおかしくなっても仕方がございませんが、どうも、ああいうことをいい出しては、新兵衛さんが気の毒でございますね」  声が届かない距離になってから、長助が吐息まじりに話し出した。 「青山の道具屋へ聟に入った人が、向島に妾を囲っているってのは、どんなものでございましょうか」 「備前屋は、もともとは一ツ目にあったというからな」 「そんなに古くから、新兵衛に女がいたと……」 「研師の弟子の身分じゃ無理だな」  藤兵衛の許に研師の修業に入って、結局、刀屋の仕事を手伝い、道具屋もやるようになって番頭のような立場になった男であった。 「店をまかせられるようになったにせよ、余分の金が懐に入るとは思えないよ」  青山の備前屋は小さな店であった。扱っていた刀や道具類も決して高価なものではなかった。 「ただ、藤兵衛は、研師としては大層な腕を持っていると、松浦先生がおっしゃった」 「新兵衛って人も、研師の腕はいいんでございましょうか」 「そのあたりを、本所の、備前屋の得意先で聞いてみてくれないか。二十八日に仕事に行っていた井上俊蔵という旗本の屋敷で聞けばわかるだろう。ついでに、間違いなく新兵衛が二十八日に仕事に来ていたかということも確かめてくれ」  長助が緊張した。 「もう一つ、新兵衛の妹のほうも頼む。亭主がいれば問題ないが、いつからあの家にいるのか、本当に新兵衛と兄妹なのか」 「承知しました」  永代橋の近くで舟を上り、長助は深川へ、東吾は「かわせみ」へ戻った。  夕方に、仙五郎が来た。 「どうも愛想っ気のない奴で、若先生には申しわけのないことを致しました」  近頃の若い者は礼儀を知らねえようで、と詫びる仙五郎に、東吾は手をふった。 「気にすることはない、俺はなかなか面白かった」  本当は連れて帰って「かわせみ」へ泊めてやろうと思っていたと東吾がいい、仙五郎が苦笑した。 「あいつには馬喰町の木賃宿が分相応でございます」 「なんという宿へ泊ったんだ」 「まるっきり、あてがねえといいますんで、二丁目の伊豆甚というのに連れて行きました」  そこの帳場で働いているのが飯倉の者で、仙五郎の知り合いだといった。 「親の法事でもして、京へ帰るより仕方がありますまい」 「芳太郎が親分にそういったのか」 「いえ、あいつは牡蠣《かき》みてえに口をつぐんじまって、なんにもいいませんが……」  少しばかりためらって、訊いた。 「新兵衛の妹の件ですが、若先生はどうお考えになります」 「そいつは長助が調べて来るよ」  仙五郎は青山での新兵衛の評判を聞いてくれないか、といった。 「夫婦仲はどうだったのか、それから備前屋の火事は付け火だったというが……」 「そいつは間違いねえようで、火の手が上ったのは店のほうで、道をへだてた所に駿河屋という茶問屋があるんですが、そこの主人がたまたま手水《ちようず》に起きて、窓の外が赤くみえたんで、手水場からのぞいてみると備前屋の表の格子がめらめら燃えていて、男が一人逃げて行ったと申し立てて居りますんで……」 「男の顔はみえなかったのか」 「黒い布で頬かむりをしていたそうでございます。袴をはいて、刀をさしていたと……」 「一人か」 「へえ、駿河屋の主人がみたのは一人だったとのことですが……」 「青山の方で、付け火は多いのか」 「十二月に入って、赤坂のほうで一件あったと聞いていますが……」  飯倉や狸穴、麻布あたりではこの秋に火事はなく、青山でも備前屋がやられるまでは付け火というようなことはなかったと仙五郎はいう。 「ですが、長助どんの話では本所深川や日本橋では、かなり頻繁だとか……」  お吉が気をきかせて夕餉の膳を運んで来て、仙五郎は恐縮しながらも、けっこう腹がすいていたとみえ、喜んで箸を取った。 「今からだと夜道になる。なんなら泊って行かないか、どっちみち、部屋はあいているそうだ」  と東吾はいったが、 「なあに、馴れて居りますんで。岡っ引が夜道を怖れてはお上の御用がつとまりませんや」  番頭の嘉助《かすけ》から余分の蝋燭《ろうそく》をもらい、新しい草鞋《わらじ》の紐を結んで、仙五郎は飯倉へ帰って行った。      三  中三日ほどして、長助が畝源三郎と共に「かわせみ」へやって来た。 「えらいことになりました。芳太郎が火つけの下手人としてお召捕りになりましたんで」  東吾はそれほど驚いた顔をしなかった。 「芳太郎は、なんでとっつかまったんだ」  畝源三郎が長助と代った。 「昨夜、本所石原の内藤山城守様の中屋敷から出火しました」  もっとも、火は邸内の物置小屋一つを焼いただけで消し止めたのだが、 「さわぎがおさまってから御留守居役が念のため、お屋敷内を改めると、書院の違い棚の上の手文庫から五百両が紛失して居り、また、同じく書院にあった刀箱から刀剣十二振りがなくなっていたとのことです」  中屋敷には山城守の妾腹の妹がその母と共に住んで居り、その妹姫の縁組がととのったので、五百両はとりあえず嫁入り支度の入用として上屋敷から届けられたものだったと源三郎は説明した。 「察するに、物置小屋の出火は盗賊の付け火で、どさくさにまぎれて盗みを働いたものとみえます」 「それにしても、源さん、なんで、書院に十何本もの刀がおいてあったんだ。ひょっとして、研師を呼んで手入れでもさせていたんじゃないのか」  東吾の言葉に、源三郎が応じた。 「おっしゃるように、研師が刀の手入れをすることになって居りました」 「備前屋新兵衛という研師か」 「左様です。しかし、新兵衛は午すぎに参りまして刀を調べ、明日から通って来て手入れをすることにして、一刻ばかりで帰ったそうです」 「付け火は、その夜だろう」 「ですが、東吾さん、捕ったのは芳太郎なのですよ」  山城守の屋敷の物置に火の手が上った時、近くを廻っていた夜廻り達が、裏門からとび出して来た男をみつけて追いかけた。 「多聞寺の山門まで追いつめて、ふっと姿がみえなくなって、境内を探し廻ったところ、本堂の裏に芳太郎がかくれていたのをみつけ捕えて番屋へつれて来たそうです」 「で、芳太郎は五百両を持っていたのか」 「いえ」 「一人で十何本の刀は運び出せない」 「しかし、捕えた者達……定廻りの中野玄蕃どののお手先ですが、芳太郎は盗賊の手引をしたのではないかと申しています」 「内藤家へ行ったのは、新兵衛だろう」 「芳太郎は新兵衛について来たらしいのです。門番に、今、入った研師の供の者だといい、邸内に入って行き、半刻足らずで出て来たそうです。門番が新兵衛が帰る時、お前の供が来て、さっき出て行ったがと訊くと、新兵衛は不思議そうな顔をしていたという話なのですよ」 「やれやれ」  東吾が剃り残しの顎鬚《あごひげ》を指で探りながら、庭へ目を向けた。  今日はどんよりと曇って、雪になりそうな空模様である。 「芳太郎のほうは、とりあえず、その、なんといったか、定廻りの……」 「中野玄蕃どのです」 「中野の旦那にまかせておけばいいさ。御牢内にいたほうが、むしろ、安心ということもある」  視線を長助に向けた。 「新兵衛の妹の件は、わかったのか」  それが癖で、ちょっとぼんのくぼに手をやりながら、長助がにじり出た。 「あの辺りで訊きましたところ、どうも、妹に間違いはねえようでございます」  多聞寺の住職の話によると、裏の家作に入ったのは、十年ほど前のことで、それ以前は木更津の料理屋の女中をしていたという。 「なんでも旦那のお手がついて、それがお内儀さんにばれちまって、すったもんだのあげく手切金をもらってお暇になった。中に入った番頭の世話で向島の家へ入ったそうなんですが、今度はその番頭といい仲になっちまって、ただ、江戸と木更津でございますから、番頭のほうもしょっちゅうは通って来られやしません。で、子供が二人出来たところで、番頭とも切れちまったようでして……」 「赤ん坊がいたようだったな」 「昨年の暮に生まれたそうですが、その時は、もう番頭とは別れ話がついていたと、こいつは当人が多聞寺の寺男に話しています」 「上はいくつだ」 「八つと聞きました」 「二人とも、番頭の子ってことだな」 「へえ」 「その番頭って男を、見た者はいるのか」 「寺男が、二度ほど、そいつがおよねの所へ来ているのを見たといっています」  およねというのが、新兵衛の妹の名であった。  東吾が急に立ち上った。 「源さん、一緒に多聞寺まで行こうじゃないか。とんだ狸が化けて出るかも知れないぞ」  向島までは再び舟であった。 「東吾さんは、新兵衛兄妹に目をつけているようですな」  源三郎が首をひねった。 「長助から聞きましたが、芳太郎は新兵衛に妹がいるとは全く耳にしていないと申したそうですが、木更津に奉公して居り、人妻になっていたことを考えれば、新兵衛が主家に対して妹のことを黙っていたとしても不思議はありません」  長助もいった。 「青山の備前屋が付け火で焼けた昨年の暮、二十八日ですが、本所の井上俊蔵様のお屋敷の御用人に聞いたところでは、新兵衛は朝の中《うち》からお屋敷へ来て、刀の研ぎをして、仕上げて帰ったのは、夕六ツ刻だということでございます」  しかも帰りがけに新兵衛は、用人にむかって、今夜は向島の妹の家へ泊めてもらうので、もし、手入れをした刀になにか不備なことでもあれば、多聞寺裏の住居まで使を頂きたいと丁寧な挨拶をしていると長助は報告した。  多聞寺の山門をくぐるあたりから、空が重い感じになった。裏へ抜けると白いものがふわりふわりと落ちて来る。 「内藤家へ火をつけた曲者はここまで逃げて来て、追手の目から消えた。そのあげくに追手の連中は本堂の裏にいた芳太郎をみつけたわけだな」  芳太郎が、なんでこんな所へ逃げて来なけりゃあならないんだ、と、東吾がいい、 「新兵衛の家へ逃げ込むつもりだったのでは……」  と源三郎が応じた。 「芳太郎と新兵衛は仲が悪かったんだ。少くとも、京から帰って来た芳太郎は新兵衛を憎んでいた。俺達の前でも、新兵衛とはろくに口もきかない有様だったんだ」  多聞寺の裏の家へ行ってみると、およねが寝ている赤ん坊の前で縫い物をしていた。八つの子は、寺へ手習に行っているという。  新兵衛は仕事に出ているとのことであった。 「あんたと新兵衛は兄妹だそうだが、生国はどこなんだ」  東吾が訊き、およねは、 「上総でございます」  と答えた。 「親は何をしていた」 「鍛冶屋です」 「新兵衛の話だと、早くに歿ったそうだな」 「お父つぁんは村の衆と喧嘩をして、大怪我をしたのがもとで死にました。おっ母さんは男に騙されて、多分、どこかに売られたんだと思います。それで、兄さんは江戸へ出て行き、あたしは木更津へ奉公に行きました」  淡々とした話し方であった。東吾達へ向けている顔には表情というものがまるでない。 「この赤ん坊の父親は木更津の料理屋の番頭だそうだが、なんという店だ」  およねが針の手を止めた。 「上総屋ですけど、それを聞いてどうするんです」  東吾が明るく笑った。 「なあに、随分、遠くから通って来たもんだと思ってさ」 「でも、別れましたよ」  不安そうに目を光らせた。 「兄さんになんの御用なんですか」 「新兵衛が帰って来たらいってくれ。芳太郎が火つけをして捕った。なにか伝えることでもあれば、深川佐賀町の長寿庵へ来るように……」  家を出ると、ちらちら雪はやんでいる。  多聞寺へ戻って方丈にいた寺男に訊ねた。 「およねさんの旦那は木更津の人だと聞いていましたよ。今まではまるっきり姿をみたことがなかったが、昨年の……あれは家賃をもらいに行った時だから十一月の晦日だったか、みかけねえ男が来ていて、あとで新兵衛さんが、この前、妹の所へ来たのは旦那で、別れ話が進んでいると話したんで成程と思ったですよ。そのあとにもう一度、十二月のなかばすぎに、夜、およねさんの家から出て行くのをみかけたが、ありゃあ、別れ話がまとまって帰って行ったのかも知れないねえ」  年齢は五十がらみ、がっしりした体つきで、なかなかいい身なりをしていたと寺男は羨しそうな口ぶりであった。 「新兵衛は青山の家が焼ける前から、よくおよねの家へ来ていたのか」 「本所深川に得意先が多いとかで、よく泊って行くようでしたよ。なにしろ、旦那は木更津で滅多に来ないし、およねさんだって女一人で不用心だから……」  長寿庵へ帰って来て、冷えた体に熱燗を一杯、蕎麦をすすり込んでいると、新兵衛がやって来た。 「芳太郎さんが捕ったそうで……」  蒼い顔で、おどおどといった。 「なにかの間違いで……あの人が火つけなんぞするわけがありません」 「しかし、芳太郎はお前のあとから内藤家へ行って、門内へ入り暫くして出て来たというぞ」 「間違いなく、それが芳太郎さんだと……」 「内藤家の門番に、捕った芳太郎をみせたら、こいつに間違いないといったんだ」  新兵衛が途方に暮れたように下を向いた。 「俺達が芳太郎を連れてお前の家へ行った。あのあと、お前は芳太郎に会ったか」 「一度、芳太郎さんが家のまわりをうろついているので、声をかけて家ヘ入ってもらいました」 「どんな話をしたんだ」 「芳太郎さんは、備前屋の得意先を知りたがっていました。帳簿は焼けてしまいましたので、手前がおぼえている限り、お客様のお名前と所と、それからお納めした品物のことなぞを話しましたが……」 「それから……」 「店が焼けてしまい、売る物もございませんので、手前はもっぱら、お得意先を廻って、お刀の手入れをさせて頂いて糊口《ここう》をしのいで居ります。芳太郎さんはそのお得意先も教えろと申しまして、お手入れを致しました刀のこととか、お屋敷の御様子なぞを根掘り葉掘り……」 「そういうことか」  東吾がもっともらしく、源三郎をふりむいた。 「芳太郎の奴、やけくそになって火事場泥棒でもする気になったのかも知れないな」  新兵衛にいった。 「芳太郎のことはお上にまかせろ。ところであんたはこの先、どうするんだ。研ぎの仕事も、そう多くはないだろう」  一遍、手入れをしてしまえば、研師の必要は当分ない。 「知り合いを頼って、少し、田舎廻りをしてみようかと思って居ります。川越のほうの刀屋で、よければ手伝ってくれというような話もございますので……」  しょんぼりと肩を落して新兵衛が出て行くのをみてから東吾がいった。 「この節の火つけだが、火つけだけなのか、それとも内藤家のように、どさくさにまぎれて盗みを働くのか」 「両方なのですよ。以前は火をつけられるだけでしたが、秋からこっちは、むしろ、盗み目的の火つけのようで……」 「火をつけられて盗まれた家を調べてくれ。ひょっとして、その家は備前屋の得意先ではなかったのか、新兵衛が最近、出入りをしていないか。もう一つ、木更津へ人をやって、上総屋という料理屋があるかどうか、その主人なり、番頭なりについても念入りに調べてもらいたい」  その夜から、畝源三郎が動いた。  大川端の「かわせみ」には続々と知らせが入って来る。  一番手は飯倉の仙五郎であった。 「青山の備前屋ですが、近所の話ですと、新兵衛とお加世の夫婦仲は格別、悪いとも聞きませんが、どうも、お加世さんは新兵衛の女房になる気はなかった。店のため、親のために止むなく、新兵衛を亭主にしたんじゃないかというのが、もっぱらの噂でした。また、こいつは昨年の秋に、藤兵衛が向いの駿河屋に話したというんですが、京へやった芳太郎を呼び戻したい、一人息子を外へ出すのではなかったと後悔していたと申します」  続いて、木更津へ行った長助が帰って来た。 「木更津に上総屋というのはありますが、料理屋ではなく、酒問屋でございました。主人は二十八で、まだ女房は居りません。昨年歿った父親はちょうど五十だったと申しますが若い時から病身で、とても女中に手を出す元気はなかったろうと……番頭は先代からの忠義者で、こちらは六十のなかばを過ぎた鶴のような年寄でございました」  上総屋には、他に番頭は居らず、奉公人に五十がらみの男はいない。 「およねと申す女中にも心当りはないと、これは近所でも確かめて参りました」  上総屋の女中は代々、近在の者でみんな十三、四で奉公に来て、十七、八で嫁入りをしている。 「ここ十年ばかりの奉公人を残らず当って来ましたが、およねに該当する者はございません」  木更津の料理屋にもそれらしい者はいなかった、と、長助の調査は行き届いていた。  そして、源三郎が来た。 「東吾さんの勘が当りましたよ」  火をつけられて、そのさわぎの最中に賊が入って、金品を盗まれた家は、すべてが備前屋の得意先であり、この秋から冬にかけて、新兵衛が品物をみせに来たり、刀の手入れに来たりしていた。 「賊は新兵衛一人ではありませんな。おそらく、新兵衛は手引をしていたものに違いありません」  町方が新兵衛を追った。  新兵衛が近頃、出入りしている大店、旗本屋敷には、世間に知れぬよう見張り番がついた。  一月二十八日、青山の備前屋が焼けた一カ月目に、日本橋の、書画骨董の老舗《しにせ》、近江屋に付け火があり、盗賊が押入ったが、張り込んでいた町方の通報で直ちに捕方がかけつけ、一網打尽にした。  一味は五人で、首領は浪人くずれの斎藤四郎五郎という男で、多聞寺の寺男が、およねの家でみたのは、彼であった。  無論、およねの旦那ではない。 「新兵衛とおよねは、芳太郎がいったように兄妹ではありませんでした」  およねが白状した所によると、同じ上総の生まれで、幼なじみであった。 「およねが奉公したのは木更津の料理屋ではなく、吉原に女郎として売られていたのです」  新兵衛は時折、客になっておよねと逢っていたが、備前屋の商売をまかせられたのを幸い、およねを請《う》け出して多聞寺の家作に住まわせた。 「備前屋では藤兵衛はすっかり新兵衛を信用していたが、お加世は女の勘でなにかおかしいと感じていたのだろう。帳面を調べるとかなりの金が不明になっている。娘にいわれて藤兵衛も少しずつ、新兵衛を疑うようになった。  それまで、まかせっぱなしだった財布の紐も、お加世に代える。女房に金箱を握られて新兵衛は困った。およねの所には子も生まれ、それなりに金がかかる」  次第に追いつめられて来た新兵衛に声をかけたのは、斎藤四郎五郎で、彼は吉原時代のおよねの客の一人だった。 「それじゃ、新兵衛って人はお金欲しさに悪党の仲間入りをしちまったんですか」  二月になって間もなくの「かわせみ」の居間で、久しぶりに肩の荷を下したような畝源三郎と長助を囲んで夕餉の膳が出ていた。 「お恥かしい話ですが、東吾さんにいわれるまで、火つけの下手人は一つと思い込んでいたのです。まさか、一つは単にむしゃくしゃして火をつけ、人がさわぐのをみるのが面白くてやっているという、これも許し難い罪人ですが、その他にもう一組、火つけさわぎに便乗して、火をつけては盗みを働く連中がいたわけでして……」  盗まれた家だけを書き並べてみたら、新兵衛との線が浮んで来た。  斎藤四郎五郎の一味は処刑されたが、続いて、火つけだけの下手人も挙げられた。 「回向院の近くに住む鳶職で、惚れた女が他の男の嫁になったので頭に来て、恋敵の家に付け火したのが病みつきになって、手当り次第に火をつけて歩いたというのですから、とんでもない野郎です」  無論、御法通り火あぶりの刑になった。 「それにしても、新兵衛というのは悪い奴でございますね。大恩のある備前屋さんの御主人夫婦から、その娘さんまで焼き殺すとは。まして、その娘さんとは夫婦だったわけでございますから……」  東吾に盃を返しながら、長助がいった。 「おそらく、お加世に自分が悪党の手引をしていることを気づかれたと思ったんだろう。芳太郎の奴が、もっと早くにお加世の文をみせてくれれば、こんなに手間がかからなかったんだ」  芳太郎が江戸へ帰って来たのは、姉の文がきっかけであった。 「京の大和屋の主人というのは、なかなかの吝《しわ》ん坊らしいよ。娘の聟にするという餌で奉公人を釣って、ろくな給金も払わず、只働きをさせる、芳太郎も次第にそれに気がついて江戸へ帰りたいと思ったが、とにかく金がない。で、姉のお加世にそのことを文でいってやる。備前屋のほうも、それなら悴を呼び戻したいと、金を京へ送ったんだ」  その金と共に、お加世は文で新兵衛の様子が油断ならないと知らせてやった。 「芳太郎は早速、大和屋から暇を取って江戸へ帰って来てみると、店は全焼、親も姉も死んでいる。これはと考えるのが当り前だ」 「なんで、芳太郎さん、そのことを若先生や、仙五郎親分に話さなかったんですかね」  と、お酌そっちのけのお吉が口をとがらせた。 「あいつ、人を信じなくなっていたんだよ。養子にとのぞまれて行った先が、こすからい真似をしやがって……おまけに忠実な子飼いの奉公人が店を乗っとるどころか、なにか悪事を働いて、主人一家を焼き殺したに違いないとなると、そりゃあ人を信じられなくなるだろうな」  信じられるものは自分一人。 「あいつは一人で親や姉さんの敵討をしようと、新兵衛を見張っていたんだ」  だが、素人の悲しさで忽ち新兵衛に見抜かれてしまう。 「新兵衛は毎夜、芳太郎が家の近くに張り込んでいるのを承知の上で、その裏をかき、内藤家に付け火したあと、追手を芳太郎がいつもひそんでいる多聞寺へ誘い込んで自分は姿をかくす。追手は新兵衛の予測通り、芳太郎を捕える」  しかし、その芳太郎も少しは人間を見直しただろうと東吾は嬉しそうにいった。 「少くとも、お上は間違いなく悪党を捕えてお仕置にした。少くとも、正義は守られたわけだ」  長助がいった。 「仙五郎どんが青山中に奉加帳を廻して、備前屋のためにって頭を下げて歩いたんです。思いがけないほどの金が集って、なんとか芳太郎さんが商売をやって行ける足がかりくらいになるってことです」 「長助親分も、御縁だからってへそくりを出したんですよ」  お吉がすっぱ抜いて、賑やかな笑い声が起った。 「芳太郎もだが、源さんはおよねのために随分、骨を折ったそうだな」  二人の子を抱えたおよねの立場を考えて、 「男たちの悪企みを、およねは知らなかったってことにして上総へ帰らせたんだろう」  そのために、源三郎の懐から正月のこづかいがそっくり消えたと東吾は笑う。 「そんなことより、東吾さんが多聞寺へ行こう、狸の化けたのがみられるかも知れないといった時は、あっけにとられましたよ」  照れくさそうに源三郎が話をとばした。  実際、狸塚で有名な毘沙門天のお寺の裏に悪党狸のかくれ家があった。 「うちのお狸さんは、そんな悪狸じゃございませんよ」  お吉が庭のむこうの暗闇を眺めて目を細くした。 「まあ、仔狸がひと廻りも大きくなりましてね。うちの餌がいいせいですか、三匹とも毛並がふさふさして来ましたんですよ」  盃を上げて東吾がいった。 「その中、月夜の晩に腹鼓でも打って、お吉大明神にお礼をいうかも知れないな」  大川端に月はまだ細かった。  早春の夜は、それでもどこかで狸の腹鼓が聞えて来そうなのどけさがある。  夜の霧が、ゆっくりと川のほうから上って来た。 [#改ページ]   春《はる》の雪《ゆき》      一  二月にしては天気が悪いせいもあって、かなり肌寒い一日だったが、神林東吾は軽く汗をかいていた。  早朝に江戸を出て川越街道を徳丸ヶ原を巡回して松月院まで上り、赤塚不動滝へ下りてから王子へ戻って来たのだから、ちょっとした行程ではあった。  飛鳥山の近くには茶店が多い。どこかで一服して行こうかと歩行をゆるめたとたんに、すぐ横の音無川のふちを上って来た一人が、 「若先生じゃございませんか」  はずんだ大声をあげた。 「長助……なんだ、源さんも一緒か」  東吾も厳重な足ごしらえだったが、長助も畝源三郎も草鞋《わらじ》ばきで、いつもなら着流しに雪駄が決っている定廻りの旦那にしては珍しい馬乗り袴で手甲脚絆《てつこうきやはん》をつけている。 「近く、王子権現に天璋院様の御代参があるとのことで、当日の警固役の検分がありましてね。上役の方々はもう帰られたのですが……」  東吾さんはどちらへと訊かれて、 「源さんと似たようなものさ」  肩を並べて飛鳥山のほうへ歩き出した。 「今月なかばに、講武所の若い連中の行軍があるんだ」  鍛練のために徳丸ヶ原まで行き、そこで演習をして中仙道を廻って戻る。 「東吾さん一人が下見ですか」 「教授方は殿様が多いからな」  しかし、上から命ぜられなくても、東吾は下見に廻るつもりであった。仮にも先生と呼ばれている以上、大勢の子弟を引き具して出かけるのに、下見なしでは何かあった時の判断に窮する。 「八丁堀育ちは歩き馴れているから、こういう時に便利なのさ」  どこかで一休みしないかと東吾が誘い、源三郎は、 「暮れない中に飛鳥山を廻るつもりなのです。そのあとで腹ごしらえをして戻ろうと思っているのですが……」  すまなさそうな顔をした。 「いいとも、つき合うよ」  実際、空は暗くなりかけていた。  今にも雨か雪が落ちて来そうな気配である。  飛鳥山には全く人影がなかった。 「もう一月《ひとつき》もしたら、大層な人出でござんしょうが……」  まだ蕾《つぼみ》の固い桜樹の梢を仰いで長助が呟いた。そのあたりの茶店は季節はずれということもあって、みな閉っていたが、一本杉の神明宮の脇の茶店は開けていた。  店の前に木の台があって素焼のかわらけが重ねてある。  茶店のむこうの小高い所に男の姿がみえた。一人は武士で、一人はお供のようであった。  若い侍が甲高い掛け声と共に素焼のかわらけを投げている。それも乱暴で一度に三枚も五枚も重ねたまま、力まかせに宙へ投げ上げている。  そのかわらけがなくなって、若侍はお供にもっと取って来るように命じたが、茶店の前にいる東吾達をみると不快そうに顔をしかめ、むこうの坂道を下りて行った。  いつの間にか茶店の外へ出て来ていた老爺が、いそいで表に出ている素焼のかわらけをしまいはじめた。 「驚きましたね、お武家様がかわらけ投げをなさるってのは……」  長助が呟き、茶店の親父が顔をしかめた。 「どうも、ああとばされたのでは、下の村の者がたまりません。また、怪我人が出なければよいが……」 「誰か、怪我をした者がいたのか」  東吾が聞きとがめると、茶店の親父は慌てたように頭を振った。 「なんの。もう昔のことで……」  そそくさと奥へ入ってしまった。  今しがたまで若い侍のいたところへ上ってみると、下は崖でそのむこうに田畑が広がっていた。  女子供がかわらけを投げる分には間違いなく崖下へ落ちて行くだろうし、少々力のある者が思いきりとばしても田畑の所まで届くかどうか。 「しかし、心得のある者なら、とばせるかも知れませんね」  源三郎がもう暗くなりかけていた畑地を見渡した。  この季節、この時刻では田畑で働く者の姿はない。  飛鳥山を一巡して下りて来ると日が暮れた。  提灯の出ている料理屋、というより一膳飯屋といった感じの一軒へ入って草鞋を脱いだ。熱い汁に茶飯、田楽など出来るものを注文して、酒は少々。  三人とも空腹のせいもあって、出て来るものを威勢よく平げた。 「これからお帰りなさるのでは大変でございますね」  給仕をしてくれている女中がいい、東吾が、 「飛鳥山で何年か前に、かわらけ投げで怪我人が出たそうだが……」  と水を向けたが、女中の口も重かった。  腹ごしらえがすむと新しい草鞋を出してもらい、提灯に火をつけて店を出る。  空に星はないが、幸い雨も雪も降り出していない。 「東吾さんがだいぶ気になさっているようですから話しますが……」  道々、源三郎が打ちあけた。 「五年ほど前のことですが、たしかに飛鳥山のかわらけ投げで怪我人が出たのです」  素焼のかわらけならまだしも、石を投げたのだと、源三郎は憂鬱そうにいった。 「運悪く、下の畑で働いていた三人に石礫《いしつぶて》が当りまして、その中の一人は目をやられたそうで、間もなく失明してしまいました。若い女のことで世をはかなんだといいますか、思いつめて、納屋で首をくくって死んだと聞いています」 「いったい、誰がそんな馬鹿をしでかしたのだ」  素焼のかわらけでも当り所が悪ければ、けっこう危いというのに、石礫を打つというのはどういう量見かと、東吾は眉をひそめた。 「女子供じゃ、そうとばせまいが……」 「男です。それも武士でした」 「なに……」  なんとなく東吾は先刻、かわらけを何枚も重ねて投げていた侍を連想した。あの投げ方は馴れていた。かわらけだからそれほど飛んだとは思えないが、風を切る鋭い音がしていた。あれが石礫だと、鳥ぐらいは仕留めることが出来るかも知れない。 「内聞に願います。駒込に屋敷のある旗本で加納政之助という者だとわかりました」  始終、あそこへ来てはかわらけ投げに興じていて、茶店の者もその侍の名を知っていた。 「かわらけでは面白くないといって、石礫を投げるようになったので、茶店の親父は危いと思っていたそうです」  畑のほうで悲鳴が上って、茶店の親父がそのあたりにいた人々と走って行くと、加納政之助が供の者と逃げ出すところだったという。 「そいつは、おとがめを受けたんだろうな」  目撃者が居り、故意ではなかったにせよ、怪我をさせた当人の素性も知れている。 「一応、おとがめは受けたのですが、ちと厄介なことになりました」  源三郎が歯切れ悪くなった。 「要するに、裏から手を廻す者があったのですよ」 「表沙汰にしないよう働きかけたというわけか」  身分のある武士の場合、よくあることではあった。 「加納政之助は、本寿院様の御年寄の甥に当るのだそうです」  本寿院というのは十三代将軍、家定の生母であった。  千代田城大奥には、十三代家定の御台所であった天璋院と家定の生母の本寿院が居り、紀州家から入って将軍職を継いだ十四代|家茂《いえもち》はまだ年少のため、御台所がなかった。 「加納政之助の叔母は、本寿院様付の御年寄、藤尾様でして、そちらから御老中あたりにいろいろいって来たようでして、まあ、相手は百姓ということで、目付のほうもうやむやといいますか、要するに内済にせよと奉行所の上の方々へ声がかかったようです」  源三郎の声の底にも怒りがあったが、東吾も腹を立てた。 「理不尽だな」 「加納家のほうから、見舞金としていくらか出たとは聞いていますが……」 「金で人の命が買えるか」 「その通りです。それに、どうやら加納政之助は性こりもないようですな」 「さっきのが、そうなのか」 「手前は加納政之助の顔を知りませんが、なんとなく、そうではないかと思いました」  今日は石礫でなく、かわらけを投げていたが、 「仮にも人が一人死んでいるのに、どう思っているのかと腹が立ちました」  大奥の御年寄といえば、老中に匹敵するほどの権勢を持つというのは、東吾も聞いていた。御代参で出かける以外は大奥の詰所で煙草盆を前にしてすわったきりで、女中達の指図をする。御台所や御生母様に奉公する立場でありながら、自分の身の廻りの世話をする女中を何人も抱えて居り、お上から御扶持を頂き、御城外に町屋敷まで賜っている。 「大体、大奥ってのは好かねえぜ。御政道にまで口出しをしやがって……」 「東吾さん、声が大きいですよ」  源三郎がたしなめ、それからは男三人が黙々と足を早めた。      二  東吾は加納政之助のことを、「かわせみ」の誰にも話さなかったが、数日後、深川から長寿庵の長助が、信州から新しい蕎麦粉が届いたからと、自分で「かわせみ」へ背負って来た。  るいはちょうどお吉をお供につれて本町通りまで買い物に出かけていて、居間には東吾が一人、軍艦操練所から借りて来たイギリス人の航海記録を読んでいた。  障子の外に老番頭の嘉助がやって来て、 「長助親分が来て居りまして、若先生がお一人だと申しましたら、ちょっとお目にかかれないかといって居りますが……」  と取り次いだ。 「いいとも、こっちも肩が凝って、一休みしたいと思っていたところなんだ」  あまり器用とはいえない手つきで茶の支度をしていると、おそるおそる入って来た長助が、 「若先生、お茶でございましたら、あっしがいれます」  勝手知った他人の家、といった按配で、東吾の湯呑に茶を注ぎ、ついでに、 「お相伴を……」  嬉しそうに自分も茶碗を持って、下座にすわり直した。 「どうした、女達が居ちゃあ具合の悪い話なのか」  長火鉢の前から東吾がうながすと、長助はぼんのくぼに手をやって、いくらか膝を進めた。 「実は、昨日、飛鳥山まで行って参りましたんで……」 「天璋院様の御代参か」 「いえ、そいつはまだ先のことでして……昨日のは花見の下検分でございます」  三月早々、深川の旦那衆が飛鳥山へ大がかりな花見に出かけることがまとまって、長助が世話役をつとめるという。 「御承知のように、あのあたりの料理屋は花時となりますと大混雑になりますんで、今から頼んでおきませんと席が取れねえもんですから……」  苦労人の長助は早速、自分で飛鳥山まで行き、扇屋に座敷のことやら、料理万端の手配をして来たという。 「たて続けの飛鳥山通いじゃ、大変だったろう」  気がついて煙草盆を長助の前へ出してやったが、長助は腰の煙草入れを抜こうともしない。 「あの……侍に会いましたんで……」 「かわらけ投げの奴か」 「やっぱり、あいつが加納ってお旗本でござんした」 「また、投げていたのか」 「いえ、女連れでして……」 「女……」 「へえ、若い……と申しましても頭巾をかむって居りましたが、お武家のお腰元とでもいったふうの……」 「女と二人で飛鳥山を歩いていたのか」 「左様で……かわらけ投げのかわらけをおいて居りました茶店の親父に訊いてみますと、この正月あたりから、時折なんだそうで……」 「女と飛鳥山で会っているのか」 「茶店の親父、六助と申すそうですが、女のほうはどこかに奉公していて、お屋敷を抜け出して来るんじゃねえかと……たまに女が来なくて、苛々しちゃあ、かわらけをぶっとばしているそうです」 「成程、そうだったのか」  この前も女に待ちぼうけをくわされたあげくだったのかと、東吾は納得した。 「茶店の親父に鼻薬をかがせて、少々、話を聞いたんですが……」  加納政之助というのは礫打ちの名人なのだと長助はにがにがしげにいった。 「まだ餓鬼の時分、いえ、ちいせえ頃から猫だの犬だのに石を投げて当ったの当らねえのと仲間同士で競っていたそうですが、他の連中がそういった悪戯《わるさ》をやめちまった後も、鴉を打ち落したの、雀を何羽も殺したのとやっていて、それもだんだん遠くまで飛ばして自慢をしていたと、あの界隈の者はみんな知っているんだと申します」 「そういえば、以前、狸穴の方月館で聞いたことがあったな」  八代将軍の頃に目黒村に礫打ちの名人がいて、将軍の御鷹の餌にする小鳥を礫で打ち落し献上するのが役目だったが、 「そいつは空を飛んでいる小鳥まで打ちとめたというんだ」  加納政之助が礫で雀や鴉を殺したというのも嘘ではあるまいと東吾がいい、長助がうなずいた。 「もう一つ、五年前に礫が目に当って盲になり、首くくりをした娘というのは、大層な器量よしで、加納って侍は前からその娘に目をつけて、奉公に出せといっていたと申しますんで……」 「なに……」 「六助が申したことなんでございますが、父親の孫六というのは、ものがたい男で、百姓の娘が屋敷奉公に出たところで、ろくなことはない、おもちゃにされて放り出されるのがおちだと申しまして、名主に頼んで断りをいったそうでございます」  事件が起ったのは、それから間もなくのことで、 「地元の者は、それは腹いせに娘をねらって礫を打ったのだと、いまだに噂をして居りますようで……」 「驚いたな」  たまたま打った礫が人を傷つけたのではなく、最初から遺恨を持ってねらい打ちにしたのだとなると話は違って来る。しかも、加納政之助は大奥にいる叔母の力で、たいしたおとがめもなく、相変らずかわらけを飛ばしている。 「事件が起りましてから、暫くはかわらけ投げをやめるようにと、名主が申し出たそうですが、かわらけ投げってのは、そもそも願い事をかわらけに書いて、そいつを投げて祈るものなんだそうでして、信心から出たことなんだそうです。それでお寺社のほうからいって来て、元に戻したと申します」  怪我をした者はかわらけに当ったのではなく、石礫だったのだから、かわらけ投げに罪はないということらしい。 「しかし、悪い野郎だな、加納政之助って奴は……」 「全く、胸が悪くなるような話で……」  廊下を女達の足音が近づいて来た。 「長助親分って人は、本当に口運《くちうん》がいいんですよ、桔梗屋の薄皮饅頭どっさり買って来てようございました」  お吉の声が筒抜けて、長助と東吾は顔を見合せ、飛鳥山の話はそれっきりになった。  中一日おいて、東吾は講武所の野外演習に出発した。  二十人ずつが一組になって、まだ星のある中に講武所を出発し、徳丸ヶ原から松月院へ上り、その一帯で剣術組、槍術組が入り乱れて訓練をする。それから隊伍を整えて帰りは王子権現へ出て中仙道という道順であった。  予定通り、飛鳥山で日が暮れて、王子権現の境内で用意した兵糧を遣い、休息する。  僅かの暇に東吾は飛鳥山へ行った。  長助が話を訊いたという茶店の親父に少々、訊ねてみたいことがあったからだが、行ってみると茶店はもう閉って居り、親父は帰ったあとのようであった。  止むなくひき返して神明宮の前を通ると、一人の女がお百度詣りをしていた。  近所の百姓女だろう、色の黒い、骨ばった体つきで、着ているものも粗末であった。  東吾がちょっと目を止めたのは、その女があまりにも真剣にみえたからで、社前にぬかずき、頭を垂れて祈っている姿には、鬼気せまるものがある。  家に病人でもあるのかと思い、東吾は心いそぐままに石段をかけ下りて王子権現へ戻って行った。  天璋院様御代参として、御年寄の春日野が行列を仕立てて王子権現に参詣に訪れたのはその二日後のことであった。  御年寄の春日野に御中臈《おちゆうろう》のおませ、御仲居の雲井と三挺の女駕籠に十数人の女中が付き従って中仙道板橋宿に到着、本陣で休息した後に再び行列をととのえて滝野川三軒茶屋の先から権現道へ入った。  王子権現の参道でもあるこの道は両側に並木が続き周囲は田畑で時折、こんもりした林や森に入る。  道はゆるやかな上りで、前方にはまず金剛密寺の森がみえて来る。  石礫が鋭く飛んで来たのは、駕籠が林を抜けたあたりであった。  駕籠脇についていた女中が悲鳴を上げて倒れ、続いて駕籠に当った石が音をたててはね返った。  供侍は一瞬、なにが起ったのか理解出来なかった。  男達は行列の後方に従って居り、板橋宿まで出迎えて、御駕籠の先導をする僧達は行列よりかなり先を歩いていた。  女中の叫び声でかけつけた侍達はまず石礫がどっちの方角から飛んで来たのかを知るのに苦労した。女中達は仲間の一人が頭から血を流してうずくまっているのに逆上し、怯えて侍達の問いに答えられる状態ではなかった。  供侍達はとりあえず三つの駕籠を囲むようにして金剛密寺へ運び込み、警固の態勢を整えた。  女駕籠へ石礫を投げた下手人を捕えるために四方へ人が繰り出されたのは、かなりあとになってからであった。  供侍達が周章狼狽したためでもあり、てっきり何者かが駕籠を襲撃して来ると判断したせいでもあった。  投げられた石礫はいくつでもなかったようだが、当った女中は着衣の上からだというのに肩が腫れ上って腕が動かせなくなっていたり、頭皮が切れておびただしく血を流していたりした。また、春日野の駕籠を調べると、一部にまるで鉄砲で打ち抜いたような痕があって、その部分の木が砕けていた。  そして、現場からさして遠くもない田畑の中の林で、一人の侍が腹に脇差を突き立てて死んでいるのが、狩り出された村人によって発見された。  侍は加納政之助であった。      三  御年寄の春日野は、天璋院の御代参をつとめるだけあって、なかなか気丈な女性であった。  狼藉者の探索はすべて供侍にまかせ、自分は予定通り、王子権現に参詣し、その夜は拝殿におこもりをして、翌日、行列を従えて千代田城へ帰った。  春日野の報告が天璋院に届いて、大奥は蜂の巣を突ついたようなさわぎになった。  同じ大奥に暮しているが、本寿院付の女中と天璋院付の女中は犬猿の仲であった。  本寿院付の女中が、われらの御主人は前将軍の御生母様、天璋院には義母に当ると尊大ぶれば、天璋院付の女中は自分達の主人は前将軍の御台所で、左大臣近衛家の御養女様ぞと一歩も退かない。  たしかに天璋院は薩摩の太守、島津斉彬の一門、島津忠剛の娘で、十三代将軍の御台所に迎えられるに際して、まず斉彬の養女となり、更に近衛家の養女となって千代田城へ入った。しかも、この縁組に奔走したのは、老中、阿部伊勢守正弘であり、紀州家から十四代将軍として入った家茂は天璋院を養母としていた。  そうした意味で、大奥の勢力は天璋院のほうが圧倒的に強い。本寿院付の女中にとっては当然のことながら面白くはなかった。  そこへ、この事件であった。  人もあろうに、天璋院の御代参の春日野の駕籠へ石礫を投げ、お供の女中を二人も大怪我をさせた加納政之助が本寿院付の御年寄、藤尾の甥とあっては、内々で済まされるわけがなかった。  結局、藤尾は大奥を追放となり、実家へ戻って、その夜の中に病死とお届けが出た。無論、周囲が自害させたものである。  加納家は断絶となった。  東吾は、それらを畝源三郎から聞いた。  それから五日ばかり経って、源三郎が事件の後始末のために王子へ行っていると聞いて、東吾は長助と江戸を発った。  源三郎は板橋宿にいた。  訪ねて来た東吾の顔をみて、 「やっぱり、出て来ましたか」  苦笑しながら、表へ出た。 「一応、かたはつきましたが、東吾さんの意見をきいてみたいと思っていたのですよ」  滝野川三軒茶屋のところから権現道へ入った。  春日野の行列の通った道を行く。 「礫を投げた狼藉者は加納政之助だということで、みんなは納得しているのか」  東吾がそっといい、お供の長助が不思議そうな顔になった。 「無論です。女中達の怪我からしても、あんな礫のとばし方の出来る者は加納政之助の他に考えられませんし、事実、彼は切腹しています」  林を抜けたところで、源三郎が手を上げた。 「加納が切腹していた場所はむこうです」  田の畦道を行くと少し小高い所に木が茂っている。 「昔からここにお稲荷さんの古い祠がありましてね」  たしかに、林の中に小さな赤い鳥居がみえた。  東吾が立ち止って権現道をふりむいた。  礫をとばすにはいい位置であった。熟達した腕があれば、人を殺傷するほどの礫が投げられそうでもある。 「加納は、その木の下で死んでいました」  源三郎が教えたのに、東吾はふりむかなかった。 「脇差で切腹したというが、腹に突き立っていたのか」 「そうです」 「手はどうなんだ。脇差を掴んでいたのか」  源三郎がこの竹馬の友にだけ通じる返事をした。 「流石《さすが》ですな。東吾さん」  手は脇差を握っていなかったといった。 「死骸はうつぶせに倒れていました」  着衣の前ははだけられ、脇差は襦袢《じゆばん》の上から突き立てられていたとつけ加えた。 「遺書は……」 「ありません」 「そうだろうな」  金剛密寺のほうへは行かず、田の中の道を音無川に沿って行くと飛鳥山の麓に出る。 「五年前に、加納政之助が百姓の娘に目をつけて女中奉公に出せといったのを、断りに行った名主というのはこの近所か」  東吾が訊き、源三郎が指さした。  飛鳥山沿いの道を少々、奥へ入った所に如何にも大百姓らしい藁葺き屋根がみえる。  が、そこへ行くと庭で縄をなっていた下男が、 「旦那様は、孫六の家へ行きなすったが」  という。 「孫六の家はどこだね」  長助が教えてもらい、三人が畑の道をそっちへ歩いた。  音無川から分れた小川にこぢんまりした水車がかかっている。  孫六の家は水車小屋の奥であった。  水車小屋の中から若い女が出てきて、東吾達をみると、いそいで家へ声をかけ、名主と思われる白髪の老人が顔を出した。その背後から右足をひきずるようにして不安そうな表情をみせているのが孫六らしい。 「これは、お役人様……」  名主が丁寧に頭を下げた。 「御苦労様でございます」  巣鴨村、滝野川村、王子村、三カ村の名主で岡崎庄右衛門と名乗った。 「名主どのは、孫六とは親類なのか」  東吾が訊き、庄右衛門は落ちついた笑いを浮べた。 「親類と申すわけではございませんが、このあたりは家も人も少のうございますので、地主と小作は親類同然とでもいったつきあいを致して居ります」  今日はもう少しすると花見の季節になり、江戸からの人出が多くなるので、古い橋や山道などの見廻りをし、危い所があったら手早く修理をしなければならないので、一軒から何人かずつ助っ人を出してもらうよう、村を廻っているのだという。  東吾が飛鳥山のほうを眺めた。 「そうだな、もう半月もすると花見客がどっと押しかける」  水車小屋の入口に立っている娘に声をかけた。 「あんた、いつか、飛鳥山の神明宮にお百度詣りをしていたな」  娘が浅黒い顔を赤くした。 「お父つぁんの足が少しでもよくなるように、お詣りに行ってます」 「孫六の娘か」  庄右衛門が代って答えた。 「おいねと申します」 「五年前に歿《なくな》った娘の……」 「はい。おこうの妹に当りますが……」 「孫六に、他には子は……」 「おいねの下に新吉と申す男の子がございますが、奉公に出て居ります」 「奉公先は……」  孫六が庄右衛門をそっと見て、庄右衛門がうなずいた。 「手前が知り合いに頼みまして、その知り合いがみつけてくれましたのですが、品川のほうの山崎屋と申します店で……」 「商売はなんだ」 「たしか、お灸のもぐさなどを商っているように聞いて居ります」 「今年の藪入りには休みをもらって帰って来たのか」  東吾の視線が孫六に向けられ、孫六は頭を下げた。 「へえ、一日お暇を頂きまして……ですが夕方には帰りましたんで……」  おいねが肩をいからせ、太い声でいった。 「おれが板橋宿まで送って行ったです」  東吾が、この男らしい温かなまなざしでおいねを眺めた。 「すまないが、水を一杯くれないか」 「気がつかねえことで……」  おいねがうろたえて土間のほうへ行こうとした。 「ろくな茶っ葉もねえですけど……」 「いや、水のほうがいいんだ。ここらの水は江戸とくらべるとずっと旨い」  少し迷って、結局、おいねは井戸端へ行き、湯呑に水を汲んで来て、東吾にさし出した。 「すまない、厄介をかけた」  一息に飲み干して、東吾は財布から少々を出し、素早く紙に包んでおいねの手に握らせた。 「少しばかりだが、姉さんに線香でもあげてくれ。姉さんはかわいそうなことだったが、あんたは気を強く持って、お父つぁんや弟のためにもしっかり生きて行くことだ。世の中は加納政之助のような鬼ばかりじゃねえぜ」  源三郎と長助をうながして水車小屋の横から畦道へ出た。  飛鳥山のほうへは戻らず、畑の間を抜けて中仙道への近道を行く。  途中でふりむいた長助がいった。 「名主さん達が、まだ見送っていますぜ」  水車小屋の前に庄右衛門と孫六とおいねが立っていて、こっちへ揃って頭を下げた。 「どう思いました、東吾さん」  廻りは田と畑であった。  田は打ち返されて、黒い土に春の陽が当っている。 「どうとは、なんだ」 「とぼけないで下さい。加納政之助が切腹したのではないことぐらいは、手前にもわかっているのですから……」 「それでも、切腹で片をつけたんだろう」 「一番、妥当だと、みんなが考えたと思いますよ。なにしろ、五年前には煮え湯を飲まされていますから……」  本来なら然るべき罪を得て当然の人間が、叔母の縁にすがっておかまいなしになった。それどころか、自分の所業を悔いもせず、傍若無人に生きている。 「神罰か、仏罰か、いつか、あいつの頭に雷でも落ちたらいいと願っていた者は少くないだろうよ」  天璋院付の御年寄の駕籠へ礫を投げたのは、 「増上慢が昂じたのさ。自分の叔母と犬猿の仲の奥女中に一泡吹かせてやろうと思ったが、そこが大馬鹿者のことだ。礫を投げてしまってから、ことの重大さに気がついて、申しわけに切腹した」  源三郎が眼許を笑わせた。 「それで、立派に筋が通ります」 「いいではないか。筋が通れば理屈は引っ込む」 「表向きは、もう片付いたことです。蒸し返すつもりはありません」 「俺もない」  視線がぶつかって二人が笑い出した。 「ここから先は、源さんと俺の作り話だ」 「それを是非、聞きたいと思っていました」 「まず、源さんの見込みから聞かせてもらおうじゃないか」  源三郎が長助を眺め、長助が嬉しそうに加わった。 「あっしには難しいことはわかりませんが、こないだの一件が、死んだ娘さんの敵討だと、旦那も若先生もお考えなすっていなさるんで……」  東吾が明るく同意した。 「作り話ではそういうことになるよ」 「そうしますてえと、礫を投げたのは孫六か、庄右衛門か」  源三郎が否定した。 「庄右衛門は王子権現に行っていた」  大勢の女中衆の接待のために、飛鳥山の附近の料理屋から女達が手伝いに宿坊へ出かけていて、庄右衛門はそっちの責任者として立ち働いていた。 「事件が起って、女中衆が金剛密寺へ逃げ込んだ時、知らせを聞いて王子権現からかけつけてきた者の中に庄右衛門がいたのは、わたしも見ているのです」  東吾が応じた。 「孫六は足が悪い。礫を投げたあと、素早く姿をかくすなどという芸当は難しいな」  長助が手を振った。 「どうも、あっしには謎ときは無理でございます」 「新吉が、ひそかに帰っていたというのは、どうですか」  源三郎がいった。 「東吾さんが新吉の奉公先を訊いた時、庄右衛門がうろたえましたね。ひょっとすると、新吉が品川へ奉公に出たというのは嘘ではありませんか」 「しかし、お上が調べれば、いっぺんにばれるだろう。俺の見た所、名主の庄右衛門というのは、なかなか腹の出来た爺さんだった。分別のある年寄が、口から出まかせをいうかね」 「そうなると、おいねしか残りませんが……まさか、女が……」  東吾が足を止めて、王子権現の森のむこうにうっすらとのぞめる筑波山へ視線をむけた。 「俺は、何故、五年なのかと考えたのさ」  無頼の旗本に娘が目を奪われ、悲しんで自殺した。 「親も妹も弟も、さぞかし口惜しかったろう。すぐにも敵討がしたい。怨みを晴らしたいところを五年待っていた。それは五年で敵討の出来る技を誰かが身につけようとひたすら稽古をしていたからじゃないのか」  最初は三年くらいでと思ったのかも知れないと東吾はいった。 「しかし、石礫を正確にとばし、しかもその礫に殺傷力があるほどの技をおぼえるのは容易なことではなかった筈だ」  源三郎もいった。 「ですから、新吉が……」 「新吉はいくつだ」 「今年十六になったと聞いています」 「あの家にとって、たった一人の男の子だ。それに、おこうが死んだ時、まだ子供じゃないか。たいした分別があるとは思えない。第一、父親も姉も、いや、そいつを考えたのはおいねだろう。おいねはせめて弟だけは巻きぞえにしたくないと考えて、庄屋に頼んで弟を奉公に出したんだろうな」  敵討といっても、身分のある旗本を殺害するのであった。失敗する可能性は高いし、もし、やりとげても、殺人が発覚するかも知れない。 「あの娘は自分一人で姉さんの敵討をする気だったんだ」 「礫は、おいねが打ったというんですね」 「俺はあの娘に水を一杯汲んでもらった。その時に見たんだが、女の手ではなかったよ」  野良仕事だけでは、あれほど指は節くれ立たないし、手首も発達はしないだろうといった東吾に、源三郎は不承不承、顎をひいてみせた。 「東吾さんが、水をといった理由は、わたしもわかりましたがね」  どうにも合点が行かないのは、女一人で大の男をねじ伏せて、相手の脇差で腹を突くなどということが出来るだろうかと源三郎は反論した。 「相手は老人でも子供でもない。大の男です。仮にも武士ですし、礫打ちを自慢にするほど臂力《ひりよく》もある。おいねは女にしては力もありそうですし、いかつい体つきをしています。しかし……」  東吾がまた田の間の道を歩き出した。 「こいつは麻生宗太郎にでも訊いてみないとわからないが、例えば、しびれ薬のようなものを加納政之助が飲まされていたとしたらどうなんだ」 「しびれ薬ですか」 「あて推量だが、俺は新吉の奉公している品川の山崎屋というのは、薬種問屋じゃないかと思ったんだ。庄右衛門は事件があってから、おいねの敵討に違いないと悟ったろう。女が一人で大の男を始末出来るわけはない。とすると、俺と同じことを考える。だから、山崎屋を灸のもぐさを扱う店だとごま化したんだ」 「しびれ薬は、新吉が店から持って来たのですか」 「おいねが、なにか別の理由をいって、弟に藪入りの時、持って来てくれるよう頼んでおいたのだと思うよ」 「しつこいようですが、政之助がおいねからそういったものを渡されて、平気で口にしますかね。自分が殺したも同然の女の妹なのですよ」 「多分、知らなかったんだろうよ」  東吾は悪戯っ子のような笑い方をした。 「政之助は、その女をおいねとは思っていなかった。その女とおいねが同じ女だってことに気がつかなかったのさ」  長助が目を光らせた。 「もう一人、女がいたんじゃありませんか、あっしが飛鳥山であいつをみたが、若い女中と二人連れで……」 「だから、その若い女が、おいねさ」 「とんでもねえ」  長助が口をとがらせた。 「たしかに頭巾をかぶっていましたから、顔をよくみたわけじゃございませんが、体つきがまるで違います。おいねさんは骨太で肩が張っていて……ですが、その女はほっそりした、柳腰で……」 「肩はその気になって突っぱらかしていればいかつく見せられるだろう。おいねは俺達が訪ねて行った時、必要以上に男っぽくふるまっていたが、案外、なかみは長助のいうようにほっそりの柳腰かも知れないよ」  長助がしきりに首をひねり、源三郎が笑いながらいった。 「そこが中仙道です。手前は宿場役人に挨拶をして来ますが、作り話はここまでで幕としましょう」  埃を上げて走って行く源三郎を見て、東吾が長助にいった。 「どこかに蕎麦屋はないか、水っ腹じゃ江戸まで到底、保《も》たないぞ」  街道の上を鳶がゆっくり輪を描いている。      四  向島から花だよりが聞えて来る頃に、町廻りの帰りだという畝源三郎が「かわせみ」へ寄った。 「たいしたことではありませんが、長助が品川まで行ったそうですよ」  上りかまちに立ったまま、早口で告げた。 「まことに残念ですが、なにもかも、東吾さんの御推量通りでした」 「長助はへまなことはいわなかっただろうな」 「あいつのことです。ぬかりはありません。山崎屋には顔も出さないで帰って来たそうです」  暖簾をさばいて、すっと出て行った。 「おやまあ、畝の旦那はお上りにならなかったんですか」  お吉が素頓狂な声を上げ、続いて出て来たるいに、 「お気をつけにならないといけませんよ。ここんとこ、畝の旦那も長助親分も若先生とこそこそ内緒話ばっかりしていらっしゃいますからね」  といいつけた。  東吾のほうは、数日後に本所の麻生家へ出かけて、相変らず近所の貧乏人の患者に薬を作ってやっている宗太郎に、そっと訊いた。 「名医には用のない代物だと思うが、漢方にしびれ薬なんぞというものは、本当にあるのかね」  薬研の手を止めて、宗太郎が東吾の心中を見通すような目をした。 「用がないどころか、しびれ薬というのは、実に大事な薬なのですよ」  手術をする時の痛み止めに使うのだといった。 「例えば、東吾さんの腹の中に根っこのような腫物が出来たとします。そいつを除くには腹を切って取り出さなければなりませんが、これは痛いです。仮にも武士が痛い痛いと泣きわめくのは気の毒ですから、痛み止めの薬を飲ませます。そうすると体がしびれたようになってやがてぐっすりねむってしまいます。その間に医者はちょきん、ちょきんと腹を切って……」 「冗談いうな、俺が腹を切られたくらいで、痛いなんぞというものか」  そのしびれ薬というのは、薬種問屋にあるかといわれて、宗太郎が苦笑した。 「朝鮮朝顔と俗にいっているものなどは、大抵、おいてあると思いますが……」 「そいつは煎じて飲むんだろうな」 「まあ、そうです」 「苦いか」 「手前は、まだ自分で飲んだことはありませんが、処方してあるものは、そう飲みにくくはないでしょう」 「宗太郎のような友達がいると便利だな」  そそくさと帰りかける東吾に宗太郎がいった。 「わからないことがあったら、いつでも、どうぞ」  三月になって、江戸中の桜が満開になり、長助が深川の旦那衆と飛鳥山へ出かけて行った日、江戸は俄かに冷え込んだ。前夜からのしとしと雨が雪に変っている。 「まあ、なんという陽気でしょうね、桜が咲いて雪が降るなんて……」  お吉が大袈裟に慄えながら、帳場の嘉助の部屋へがんがんおこした炭を運んでいる時に、若い女が「かわせみ」の入口を入って来た。粗末な木綿物だが、赤い帯を締め、外で脱いだらしい蓑と笠を恥かしそうに後手に持っている。 「おいでなさいまし」  百姓の娘が畑のものを売りに出て来たにしてはおかしいと、そこは素早く目のきく嘉助が如才なく声をかけると、 「ここに神林様とおっしゃるお役人がおいでなさるときいて来ましたんですが……」  おどおどと、だが、しっかりした口調で訊いた。  東吾が講武所から帰って来たのがその時で、 「驚いたな、雪になったよ」  傘をつぼめて土間に入り、 「なんだ、お前か……」  おいねは思わずといった恰好で、東吾にすがりつきそうになった。 「よく、ここがわかったな」 「宿場のお役人様から畝の旦那なら、八丁堀がお住いだと教えられまして……」 「訪ねて行ったのか」 「奥方様が、御主人は奉行所へお出かけだが、飛鳥山へ御一緒に行ったお方なら、神林様に違いないと、ここを……」 「成程……」  嘉助とお吉が、すすぎの湯桶を一つずつ運んで来て、るいも居間から出て来た。 「お客様でございましたの」  どうぞ居間へと愛想よく勧めたのに、 「申しわけねえですが、お役人様と二人きりで話をさせてもらいてえです」  おいねが顔をまっ赤にしていった。  東吾はいささか慌てたが、るいのほうは落ちついていた。 「それでは、私は板場に用がございますから、旦那様と御一緒にどうぞお通り下さいまし」  目くばせされて、東吾は止むなくおいねを連れて居間へ行った。  外は冬が逆戻りしたようだが、部屋の中は温かい。 「寒かったろう。かまわないから、炬燵へお入り」  凍えている娘にいったとたんに障子が開いて、 「お出でなさいまし。これは体が温まりますから……」  甘酒の入った筒茶碗に湯呑を添えて、二人分、運んで来たお吉がそそくさと居間を出て行く。 「どうしたんだ、なにか困ったことが出来たのか」  甘酒を勧め、自分も手に取りながら、東吾はつくづく娘を眺めた。  化粧っ気はないが、浅黒い顔がけっこう愛くるしい。長助にみせたら、あっと驚くだろうと思うくらい、おいねはこの前、水車小屋に立っていた時よりも女らしくなっていた。 「あの、どうしても、胸がつかえたようで、あれからずっと考えていました」  いくらか落ちついた娘は言葉を考えるようにして話し出した。 「これで、いいのか、と思って……」  ひしと東吾をみつめて来たのを、東吾はゆったりと受け止めた。 「あんたの胸の中はわかるが、俺はこの前、あんたにいった筈だぞ。これからは気を強く持って、しっかり生きて行け……」 「それはおぼえています。忘れやしません」  その言葉一つにすがって今日まで耐えて来たといった。 「ただ、どうしても……」 「俺は飛鳥山へ行った時、神明宮にお百度詣りをしていたあんたを見ているんだ。あんたは一心不乱に神に念じていた。仏にすがっていた。鬼気迫るというか、一念、岩をも通すというか、あの祈りのひたむきさには何も知らなかった俺の心をゆり動かすものがあったんだ」  赤の他人の自分が心を動かされるほどの祈りを神仏が感応し給わない筈がないと、東吾は力をこめていった。 「神仏はあんたの願いに動かされた。だから、あんたの願いをきき入れて、姉さんの敵討をした……」 「いえ、あれは、あたしが……」 「女に出来ることじゃない。神仏なればこそやってのけたんだ。あんたはそれを夢にみたのさ」 「夢じゃありません」 「夢さ、夢でもなけりゃ、女のあんたにどうして、あんな石礫がとばせるものか」 「あたし、かわらけ投げをしたんです」 「かわらけ……」 「茶店の六助爺さんが教えてくれました。願いごとがあるなら、かわらけに願いを書いてとばすんだと、一枚とばせば、それだけ姉ちゃんの供養になると……」  口には出さなかったが、東吾は納得していた。この娘はかわらけ投げから思いついて、礫投げを会得した。 「俺のいった通りじゃないか。あんたはかわらけを投げて祈り、お百度をふんで祈ったんだ。神仏が力を貸さないわけがない」  がっくりと首を垂れている娘にいいきかせた。 「仮に、あんたが夢ではないといった所で、すべては片づいているんだ。それに、あんたに何かがあったら、年とった親父さんはどうなる。早く一人前の商人になろうと働いている弟はどうなるんだ。それこそ、死んだ姉さんも浮ばれやしないぜ」  ほろりと大粒の涙が、おいねの目からこぼれ落ちた。 「夢で……いいんでしょうか」 「神さま、仏さまから苦情が出るぜ。あの娘はどうして神仏を信じないんだ。折角、力を貸したのに、なんで素直にお礼まいりをしないんだとさ」 「ありがとうございます」  咽喉の奥から叫んで、おいねは泣いた。  が、急に涙をおさめると、ふらりと立ち上った。 「すみませんでした。あたし、帰ります」 「そりゃあいいが、飯でも食って行かないか」 「でも、お父つぁんに黙って出て来てしまいましたから……」 「そいつはいけないな」  とにかく涙を拭いて、甘酒だけでも飲むがいいと東吾にいわれて、娘は素直に茶碗を取った。 「ところで、少しだけ、あんたの夢の話を訊いていいか」  おいねがうなずくのをみていった。 「夢の中のあんたは、どうやって敵に近づいたんだ」 「今年のお正月に王子権現で、むこうから声をかけられたんです。あたし、お正月なので名主様のお嬢さんから頂いた着物を着て、髪をゆって、お化粧もしていて……」 「あんまりきれいだったんで、あいつは目をつけたのか」 「むこうが、どこかお屋敷奉公でもしているのかというんで、そうだといいました。それで、十日ごとに神明宮の茶店で会う約束をして……」 「もう一つ、薬はなんといって取り寄せたんだ」 「くすり……」 「しびれ薬をあいつに飲ませたんじゃなかったのか」  おいねが視線を伏せた。 「そのつもりでしたけど、使いませんでした」 「それじゃ、どうして……」 「思いがけないことだったんです」  あの日、自分は水車小屋で働いていたといった。 「あの人が田んぼの道をお稲荷さんのほうへ歩いて行くのを見たんです。なにか様子がおかしいと思って、そっと尾《つ》けて行きました」  おいねが驚いたのは加納政之助が行列へ向って石をたて続けに投げたことであった。 「どうして、そんなことをしたのかよくわかりません。あたし、道にあった石をつかんであいつに投げていました。あいつがひっくり返ったのをみて、傍へ行きました。あいつは起き上ろうとして起き上れないで、もがいていました。権現道のほうから人が来るようなので、あたし逃げ出して、あとは夢中で家へ帰りました」  東吾は凝然と娘をみつめた。 「本当か……」 「嘘はいいません」  そうだったのかと目から鱗が落ちた思いであった。政之助は天璋院付の女中の代参にいやがらせの礫を投げた。うまく逃げるつもりが、おいねに石を打たれて、それがどこに当ったのか、とにかく動けなくなった。そのために観念して切腹したに違いない。 「俺達は考えすぎだったよ」  よくよく思えば、大奥の事情も知らないおいねが御代参の行列へ石を投げるわけもなく、切腹をよそおわせて政之助を殺害するなどと手の込んだことをやってのけるのは無理だったに違いない。 「あたし、礫だけで敵討は出来ないと思ったんです。それで、あいつに近づけたのを幸い、薬をなんとか飲ませる機会をねらっていたんですけれど、……」 「なんてこった」  東吾が笑い出し、おいねが不安そうに東吾をみた。 「そんなことなら、くよくよ思いなやむことはなんにもない。あいつは自分で掘った落し穴に自分で落ちたんだ。そうだよ。まさに神仏のおぼしめしだ」 「でも、あたしが石を投げたから……」 「それでよかったんだ。もし、俺がそこにいたら、あいつをとっつかまえてお上に突き出す。どっちにしたってあいつは切腹だ」  もういい、もういい、と大きく手をふった。 「夢の話はもうおしまいだ。俺も忘れるから、あんたも忘れろ。つまらない夢なんぞいつまでもおぼえているもんじゃないからな」  肩を叩いてやると、おいねは漸く、笑顔を作った。 「忘れます。もし、思い出しそうになったら、ここへ来てもいいですか」 「いいとも、いつでも来い」  おいねを連れて帳場へ出ると、るいと嘉助が話していた。 「お帰りでしたら、駕籠を呼びましょう。外はかなりひどくなって来ました」  おいねは遠慮したが、るいはかまわず若い衆に駕籠を呼びに行かせた。 「知り合いの駕籠屋さんを頼みますから、心配しないで……」  お吉が真綿を一つかみ持って来た。  背中に入れて行くと温かいとか、王子まで帰るのなら、今の中にお手水《ちようず》に行って来たほうがと世話を焼き、駕籠の中でお腹がすいたら、とおむすびの包みまで持たせた。  駕籠屋には嘉助があらかじめ賃金を払い、余分な酒手もはずんだ。 「大事なお客だから、何分よろしく頼むよ」 「かわせみ」のみんなに見送られて、おいねは泣き泣き、駕籠に乗り、東吾は嘉助と一緒に外まで出て見送った。で、 「すまなかったな、あの娘は……」  土間から上りながらいいかけると、 「うちの旦那様は、若くてきれいな娘さんだと、桔梗屋のお饅頭みたいに甘くなるんですから……」  るいの手がのびて、東吾はわあっと声を上げた。  雪は夜半まで降って止んだ。  夜中に東吾が起きたついでに小窓から外をみると、空には月が出ていた。  二日ばかりして、長助がやって来た。 「お気の毒に、長助親分、折角のお花見が雪になってしまって……。だから、人間、あんまり、ふだんからやりつけないことはするもんじゃないっていいますよ」  お吉にからかわれた時は黙ってやりすごした長助が、東吾と二人だけになるといそいで話し出した。 「たしかに雪になっちまったんですが、夜中に誰かが月が出ているっていいましてね、あっしも外へ出てみたんですよ」  満開の桜の花の上に白く雪が降り積って、月光が鮮やかに照らしていた。 「雪月花ってものを、はじめて目にしましたんで……そりゃもう、この世のものとは思えませんような光景で……ああいうのは、つくづく、神仏がおつくりなさるに違いねえと、ぞくぞく慄えが来るようでござんした」  若先生にも、畝の旦那にもお見せ申したかったという長助の自慢話を聞きながら、東吾は飛鳥山を思い出していた。  あの夜、帰って行ったおいねは雪月花の風景を、どんな気持で眺めただろうと思う。 「かわせみ」の庭に陽がさして、春の雪はとっくに消えていた。 [#改ページ]   清姫《きよひめ》おりょう      一  講武所を出たとたんに稲妻が光った。  雨はまだ降り出していないが、少し間をおいてかなり大きな雷鳴が轟いた。空は西のほうから急速に暗くなりかけている。  大川端の「かわせみ」のほうはもう降り出しているかも知れないと思い、神林東吾は神田川沿いの道を大股に歩き出した。  女房が無類の雷嫌いであった。もっとも、雷が好きという人間も滅多にいないだろうが、るいの場合は子供の頃、近くの大木に落雷があって、その下に立っていた男が黒こげになったのを目撃してからのもので、誰だってそんなものを見たひには、雷を怖がらずにはいられないだろうと年下の亭主は恋女房が不愍《ふびん》で仕方がない。家にいれば、すぐにも蚊帳《かや》を吊ってその中に二人で入って、しっかり抱いていてやれるのだが、あいにく、講武所の帰り道であった。  季節はずれの稲妻と雷鳴に追い立てられて昌平橋のあたりまで来た時に雨が降り出した。忽ち、車軸を流すような大豪雨で、東吾は八辻原で立ち往生した。なにしろ、一寸先が見えない。  止むなく一軒の家の軒先へ走り込んだ。  目の前は柳原の土手で、そのむこうの神田川の水位が急に上って行くのがわかる。  人通りは全く絶え、篠《しの》つく雨の音だけが耳を圧するようである。 「おや、誰だい。そんな所から入り込んで」  雨音の中で女の声が聞え、東吾は自分のことをいわれたのかと背後をふりむいた。  そこは板壁で、上のほうに丸窓があるが障子は閉っている。  女の声は丸窓のむこう、つまり家の中である。 「いやだ。あんたなの」  含み笑いに、雷鳴が重なった。  別に耳をすませたわけではなかったが、部屋の中で何が起っているかを暗示させる妖しげな気配を聞きとって、東吾は苦笑した。  雷と色事の結びつきは、芝居や小ばなしの常套手段でもある。  具合の悪い顔で東吾は空を眺めた。雨はややおさまって来ている。思い切って軒先へ出た時、 「若先生……」  尻っぱしょりに傘をさしているものの、東吾同様、濡れねずみの長助が、 「講武所からのお帰りですか」  大声で話しかけながら傍へ来た。  雨音がうるさいから、声を大きくしないと聞えにくい。 「昌平橋のところから降り出してね、おかげで立ち往生さ」  親分は御用の筋か、と東吾が訊き、長助はぼんのくぼに手をやった。 「神田旅籠町で盗みがありましてね。畝の旦那がお調べになったんですが、どうも、はっきり致しませんで……」  神田旅籠町といえば、筋違《すじかい》橋を渡ったところであった。  神田川のほうから陽がさして来た。雨はまだ降っているが、たいしたことはない。  長助と連立って軒下を出た時、東吾は先刻の家の中の嬌声をもう忘れていた。気持が長助の話のほうに向いていたせいである。 「よろず屋という旅籠なんですが、泊り客が、金を二十両ばかり盗まれました」  遠州から出て来た茶問屋で、江戸へ運んで来た新茶の代金が、ほんの僅かの間に失せてしまった。 「盗まれた又八ですが、本来なら二、三日、江戸でゆっくりして行くところを、母親が病気で、その心配があるから用がすんだら少しも早く遠州へ帰りたい。いい具合に今日、得意先が代金を渡してくれたので、午《ひる》すぎだが、とにかく品川まででも行っておこうと旅支度をしまして、金はその間に消えちまったというんです」 「金は、いったい、どこにおいたんだ」 「二階の部屋の、振分け荷物の脇だったそうで……」 「なんだってまた、しっかり懐中しておかなかったんだ」 「全く、おっしゃる通りなんですが、又八が申しますには、その時刻、泊り客はみんな外へ用事に出てしまって一人も居らず、奉公人も掃除を終えて階下へ行っていますんで、二階には誰もいない。で、つい、うっかりしたと申すわけでして、たまたま道中の御守を届けてくれた人がいて、又八はそれをもらって、その人を送りがてら下へ来て、帳場で番頭なんぞに挨拶をし、新しい草鞋《わらじ》や蝋燭《ろうそく》をもらい、ちょうど外から帰って来た客がいたので一緒に二階へ上って手甲脚絆《てつこうきやはん》なんぞをつけまして、ひょいとみたら風呂敷に包んでおいた二十両がなくなっていたという……」  神田須田町から日本橋へ通う道は雨上りですがすがしかった。大店の小僧達が自分の店の前に出来た水たまりを帚《ほうき》で均《なら》している。 「その宿屋だが、二階へ上る梯子段は一つきりか」 「そいつが若先生、裏梯子があるんでさ」  表の梯子段は帳場の脇だから、そこから二階へ上る人は、帳場にいれば見ることが出来る。 「裏梯子は客用というよりも奉公人の便利のためについている狭い奴ですが、そっちから誰かが二階へ上って金を盗んだところで、帳場の者にはわかりゃあしません」 「奉公人達を調べたのか」 「何分にも二十両と申せば大金ですから、かなり厳重に身の廻りのもの、家の中のすみずみまで町役人立ち会いの上、お調べがありましたが……」  二十両の金も、それを包んだ風呂敷包みも発見されなかった。 「あっしは、畝の旦那のお供をして、ちょうど、あの近くを通りかかりましたもんですから、少々の手伝いをしただけでして……」  実際の調べは、定廻り同心の坂田米之進とあのあたりの岡っ引、重三というのが下っ引を指図して行っているという。 「そいつは厄介かも知れないな」  日本橋から青物市場を抜けて八丁堀へ向いながら東吾が呟き、長助も同意した。 「どうも、裏梯子から誰でも二階へ上れるというあたりが難しゅうございます」  通りすがりのこそ泥が二階へ上って、という場合も考えられた。 「宿屋の昼間ってのは、案外、無人なものでして……」 「かわせみのような、ちっぽけな宿だと用心がいいんだがな」 「あちらは格別でございますよ。鬼の番頭さんに鬼のお吉さんの目が光ってます」  首をすくめて長助は、 「畝の旦那から、お屋敷のほうへ伝言を申しつかって居りますんで……」  と八丁堀の組屋敷へ道を折れて行った。 「かわせみ」へ帰ってみると、お吉が蚊帳を片付けていて、るいはまだ少しぼんやりした表情で縁側から大川のほうを眺めていたが、庭から入って来た東吾をみると、 「お帰りなさいまし、まあ、すっかりお濡れになって……」  慌てて箪笥をあけて着替えを取り出した。  その間に東吾は汚れた足袋を脱いでお吉に渡し、大刀を手に居間へ上る。 「どの辺で雨におあいになりましたの」  前に廻って袴の紐をほどきながら訊く。 「講武所を出たとたんにぴかりと来たから、大急ぎで帰ろうとしたんだが、八辻原で降りこめられてね」  大丈夫だったか、と、まだ青い顔をしている女房をのぞき込んだ。 「こないだ、お吉が雷よけの御札《おふだ》をもらって来てくれましたの。それを持って蚊帳に入っていましたから……」  ちらと見上げた神棚の上に、金色の御札に赤の御幣《ごへい》を添えつけたのがのせてある。  上から下までさっぱり着替えて長火鉢の前へすわると、濡れた衣類を片付けに来たお吉が得意そうな顔をした。 「魚屋の辰さんに聞いたんですけど、神田連雀町の祈祷師さんの御札はよく効くっていうもんですからね」 「雷よけの祈祷師なんてのがいるのか」 「なんでもいいんですよ、厄よけ、方よけ、家内安全、商売繁昌、こっちのお願いするのを、ちゃんと御札にしてくれるんです」 「重宝な祈祷師だな」 「今日だって、あたしがあの赤い御幣をふってお祈りしたら、忽ち、雷が退散しましたもの」 「そいつは豪儀だ」  るいのいれた茶を飲んで、濡れた髪をざっと結い直してもらい、ひとしきりるいと世間話をしていると、番頭の嘉助がやって来た。 「畝の旦那がお出でなんですが、おいそぎのようでございまして」  という。  東吾は気軽く帳場へ出て行った。  あがりかまちに畝源三郎と、さっき別れたばかりの長助が立っている。 「どうした。二十両はみつかったかい」  てっきり宿屋の盗難の一件と思ったのに、 「早速ですが、東吾さんはさっきの夕立の時、どこで雨宿りをしましたか」  と訊く。 「どこって、神田須田町のはずれの……八辻原に面した……」 「長助にお会いになった所に、ずっと立っていたわけですか」 「ずっとっていったって、せいぜい煙草一服ぐらいのものだよ」  昌平橋のところからざあっと降って来て、とりあえずかけ込んだ軒下である。 「軒下に立っていて、なにか物音のようなものを聞きませんでしたか」 「物音……」  女の声を思い出した。 「源さん、なにかあったのか」 「長助が東吾さんと出会ったところの家の中で、女が殺されていたのです」 「なに……」 「多分、あのどしゃ降りの最中だと思えるのですが……」  居間へとってかえして大小を手に、東吾はそのまま「かわせみ」をとび出した。 「申しわけございません。あっしがよけいなことをいっちまいまして……」  一緒に走っている長助が詫びた。 「そんなことはかまわないが、長助は俺が雨宿りをしていた家を知っているのか」  須田町の角であった。 「へえ、別につきあいはございませんが、あそこが材木問屋、田原屋の住居のほうだってことは知って居りました」 「東吾さん」  息も切らさず源三郎がいった。 「殺されていたのは、田原屋の女主人なんですよ」  旅籠町のほうの調べを終えて神田川のふちへ出て来たところで、血相変えた田原屋の番頭につかまったといった。 「お内儀さんが殺されているってんで、凄い力で家へひっぱり込まれました」  それはともかく、と、源三郎が苦笑した。 「筋違御門のそばの番屋の親爺が、あの夕立の最中、若い侍が軒下にずっと立っていて雨の上りかけに去ったと申すのです。だんだん訊いていると、今度は田原屋の奉公人が、それらしい侍が岡っ引のような男と歩いて行くのをみたといいます。どうも、時刻からいって、一人は長助らしい。そこで、現場を重三に頼んで長助の後を追いましたところ、日本橋のところで、こっちへひき返して来る長助と出会いました」 「成程、それで雨宿りが俺だとわかったわけか」  宿屋の盗難のあとが人殺しとは源さんもついていないなと軽口を叩きながら、東吾は軒下に立っていた時に女の声を聞いたことを話した。 「最初が、誰だい、そんな所から入り込んで、といったのですね」 「雨の音がひどかったから、よく聞えなかったんだが、まあ、そんなことをいったと思う」 「次が、あんたなの、ということは、田原屋の女主人の知り合いとなりますね」  東吾も頬をゆるめた。 「そのあとの気配からして、女主人の色男だろうな」  田原屋の女主人というのは、いくつだと東吾が訊いた。 「四十六だそうです」 「婆さんじゃないか」 「芝居好きで、だいぶ役者にいれあげていたようですよ」 「もう、そんなことまで調べたのか」 「重三が耳打ちしてくれましてね。神田界隈では、かなり評判なようです」  重三という岡っ引は古顔で神田あたりの消息にはくわしいという。 「本業は、湯屋です」  さっき長助と歩いた道を須田町まで戻った。  店の前は野次馬がたかっていて、鳶頭《とびがしら》が声を嗄《か》らして追い立てている。 「旦那、こっちから、どうぞ」  重三が出迎えて、源三郎を先頭に、東吾と長助が続いて店のほうから入った。  柳原の土手に面して材木問屋の店があり、店と横並びの恰好で女主人の住居がある。  店と住居の間は材木置場になっていて、店のほうへ向って内玄関があり、その格子戸を開けるとふみこみの三畳、廊下を越えて六畳と四畳半、女主人のおすがは奥の四畳半の長火鉢の脇に倒れていた。  そのあたりの畳はまっ赤に血に染って居り、脇に半紙を敷いた上に、女主人の胸に突き立っていたという出刃庖丁が抜いたまま、血も拭わずにおいてある。  その部屋は、たしかに八辻原へ向いていた。  東吾の頭の高さに丸窓がある。  一度、部屋を出て、東吾は外から軒下へ行ってみた。 「間違いない。たしかに俺はこの部屋の外に雨宿りしていた」 「すると、どしゃ降りの最中、おすがはまだ生きていたってことになりますね」  男が来て、どうやら濡れ場となったらしい。  改めて部屋へ戻ってみると、おすがは衣紋が乱れ、しどけない恰好であった。 「あんまり、なんでございますから、裾のほうは手前が少し直しましてございます」  呼ばれたらしい医者が蒼い顔でそっと告げた。  長火鉢の上には鉄瓶がかかっているが、客に茶を出した様子はない。もっとも、東吾が耳にしたせりふからすると、相手が入って来てすぐに味な関係になったとすれば茶が出されていなくとも不思議ではなかった。 「もういい。仏さんを清めてやってくれ」  源三郎が声をかけ、六畳のほうへ出て来て、そこにひかえている番頭の正兵衛に訊いた。 「念のためだが、なにか紛失したものはないだろうな」  番頭が隣にすわっている若い男をみてから答えた。 「若旦那が昨夜、お持ちになった百両が、どこにもございませんようで……」 「なに……」  若旦那と呼ばれたのが顔を上げた。 「昨夜、おっ母さんから入用があるので百両ばかり欲しいといわれまして、店のほうからここへ届けましたので……」 「それがないのか」 「はい、おっ母さんは箪笥の上のひき出しにいつも金をしまっております。昨夜も自分でそこへ入れるのをみましたので、さっき、念のため、番頭さんと調べましたところ、百両はおろか、おっ母さんの紙入れの中も一文なしになって居りました」  おすがは大抵、紙入れの中には十両前後の金を入れていて、少くなると店のほうから持って来させるといった。 「それにしても、いっぺんに百両は多いな」  女主人といっても、商売は悴と番頭にまかせている隠居暮しのようなものであった。 「いつもは、そんなには持って参りません。大方は十両程度でして、ただ、昨夜はおっ母さんのほうから百両といわれましたので……」 「おすがはその金をなにに使うといっていたのだ」 「使い道については聞いて居りません。ただ、手前が金を渡します時に、半年も経てば二倍になるかも知れないと申しましたから、ひょっとすると無尽の金ではないかと思いました」 「おすがは無尽の仲間に入っているのか」 「今までは、聞いたことがございませんが」  無尽というのは何人かで講を作り、毎月、少々の金を積立てておいて、くじびきをし、当った者はまとまった金をもらえるといったもので、とかく問題を起しやすいので、お上からはしばしば禁止令が出ている。 「無尽にしても、金が多すぎるな」  当ったのならともかく、掛け金としては通常一回に百両などということはない。 「ところで、おすがは金遣いが荒かったと思うが……」  源三郎の言葉に悴がうつむき、番頭が答えた。 「お内儀さんは芝居好きでございまして、他様《よそさま》からみれば多少、お派手ではございましたが、商売にさしつかえるほどのことは……」 「贔屓《ひいき》は誰だ」 「さあ、役者衆の名前はよく御存じで、時折、楽屋見舞のようなことはなすっていらっしゃいましたが……」  番頭の口はあくまでも重かったが、おすがの贔屓にした役者の名は、重三からすぐにわかった。  猿若座の若女形で沢村菊之丞という今売り出し中の人気役者で、おすがは町内の芝居好きと誘い合せて、せっせと通っていたらしいが、 「何分にも素人のお内儀さんですから、せいぜい座布団を贈るとか、つけ届けをする程度で、大体、菊之丞という役者はしっかりしていて、芝居茶屋へ挨拶に行くのも断るといった按配でして……」  四十のなかばを過ぎたおすがの色事の相手をする筈がないと重三は笑っている。  念のために、猿若座を調べさせたが、あの夕立の時刻、菊之丞は「鳴神」の絶間姫をつとめていて、到底、神田須田町へ来られる筈がないとわかった。 「他におすがといい仲になっている男はいないのか」  源三郎が躍起になって調べさせたが、いささか度の過ぎた芝居好きという以外には、おすがの周辺に男の影は浮んで来ない。 「源さん、こいつはどうも、どこかで思い違いをしているような気がするぜ」  東吾が腕を組んで考え込み、最初は痴情による殺しで、すみやかに下手人が挙がるだろうと予測されていた材木問屋の後家殺しは一向に捜査が進まなくなった。      二  春雷のあった日から五日ほど経って、今度は柳橋に近い米沢町の和泉屋という旅籠で、紀州から来ていた御開帳の世話人が、御開帳で集めた金の中から五十両を盗まれるという事件が起った。  それは本所の回向院で今年の三月から催された紀州道成寺の御開帳で、寺に伝わる道成寺絵巻や、清姫が安珍を焼き殺した時に黒こげになった釣り鐘までが陳列されて江戸中の評判になり、大勢の見物客が押しかけた。  その入場料から御賽銭、芝居関係者からの御布施など、かなりの実入りがあったらしいのだが、たまたま交替で紀州へ帰る世話人がその中の五十両を持って行くことになった。それが盗難に遭ったのだという。 「それが、ちょっと神田旅籠町の一件とよく似ているんでさあ」  例によって「かわせみ」の午下り、調子に乗って喋っているのは深川長寿庵の長助で、軍艦操練所から戻って来たばかりの東吾を中心に、るいに、お吉に嘉助と、こういった騒動には人一倍、好奇心の強い顔触れが集っている。  なにしろ、三カ月余りにもなる長期の御開帳なので、紀州からついて来ている世話人は途中で交替することになって居り、ちょうど二日ばかり前に後半を受け持つ世話人三人が江戸へやって来た。で、最初に宝物について出て来た世話人五人の中の三人が紀州へ帰ることになって、集った金の中から五十両を持ち、早速、鐘楼の修理などの準備にかかる予定であった。  大金を持っての旅だから早立ちの早泊りだが、第一日目は、まず回向院へ行って金を受け取り、坊さんに道中安全のお経をあげてもらってからみんなで米沢町の和泉屋へ戻り、一緒に午餉《ひるげ》をすませて、旅立つ者を品川まで見送ることにした。 「五十両が紛失したのは、和泉屋で飯を食っている間のことなんです」  金は一同が泊っている部屋の床の間において、隣の蕎麦屋から出前をとった蕎麦を食べ、いざ出立という段になって床の間をみると五十両が消えていた。 「それこそ大さわぎになりまして、部屋中、ひっくり返して探し廻り、あげくは全員が素っ裸になって無実を証明したり、蕎麦を運んで来た女中までがとばっちりで調べられました」 「おかしいじゃありませんか。その部屋にいた人みんなを調べてお金が出ないなんて、まさか、部屋を留守にしたことはないんでしょうね」  お吉が口をはさみ、長助が大きく合点した。 「神田の旅籠の場合は、部屋に誰もいなかった時があるんですが、米沢町の場合はみんなでぞろぞろ部屋へ入って、蕎麦を食ったんですから……第一、途中で中座した者も居りませんでした」  東吾が長助をみつめた。 「誰か、来たんだろう。蕎麦の出前の他に、人が来て、帰った」  長助が首をすくめた。 「実は、そうなんで……」 「御札を届けに来たんじゃないのか、道中のお守りとか……」  ひぇっと長助が叫んだ。 「どうして、それがおわかりで……」 「最初にいったじゃないか、神田旅籠町の一件とよく似ていると……あっちはたしか、道中のお守りを届けに来た奴がいた」  がっかりした顔で長助が頭を下げた。 「実は、そうなんです。蕎麦が来るのと殆ど同時ぐらいに、女が回向院の坊さんに頼まれたといって、道中安全の御札を持って来たんです」 「女か」 「だったそうで……」 「部屋まで入ったんだな」 「へえ、ちょうど宿屋は一段落って時間でございまして、主人から番頭さんまで奥で午餉をとっていまして、その女は帳場に誰もいなかったので上って来たといったそうです」 「御札は誰が受け取ったんだ」 「まずいことに、蕎麦が来たところで、みんな食い意地がはって居りましたようでして……」  箸を片手に蕎麦猪口を取ったり、薬味を廻したりと賑やかな最中だったから、一人が、 「すまないが、そこの床の間へおいていってくれ」  と声をかけた。 「それと申しますのも、持って来たのが回向院の使《つかい》、それもまだ子供子供した若い女だったそうでして、誰も用心は致しません」  女は床の間へ御札をおいて、すぐに出て行った。 「回向院のほうじゃ、そんな使はやらなかったといったんだろうな」 「その通りでして……大さわぎになってから、誰かが気がついて御札を包んだ紙をあけてみると、御札には違いありませんが、どうも回向院のらしくない、それで人をやって問い合せると、そんな使は出したおぼえはないという返事なので……」  考えてみれば、回向院で道中安全のお経をあげてもらっているのであった。 「長助は、神田旅籠町のほうを調べたんだろうな」  東吾の言葉に長助が一膝前へ出た。 「それが若先生、よろず屋に泊っていた又八ってのは、占いが好きでして、江戸を発つ前の日も近くの祈祷師のところでみてもらったとのことで」 「出立の時刻も祈祷師の指図に従ったのか」 「左様で……」 「又八に御札を届けに来たのは……」 「その祈祷師でございます。本人が持って来たんで……」 「祈祷師というのは女か」 「二十五、六の、名はおりょうと申しますそうでして……近所の話ですと、清姫稲荷を祭っていたとか」 「あら、いやだ」  素頓狂な声を上げたのはお吉で、 「清姫稲荷って、神田連雀町の清姫稲荷のことですか」  立ち上って神棚から雷よけの御幣を下して来た。 「これ、連雀町の清姫稲荷様で授かって来たんですけど……」  たしかに、御札には清姫稲荷と書いてある。 「まさか、あの祈祷師さんが……」 「お吉は祈祷師の顔をみたのか」 「ええ、紫の頭巾をかむって、暗いところにすわっていましたけど……」  左の目の下に大きな黒子《ほくろ》があったという。 「そいつが、ずらかりました」  口惜しそうに長助が告げた。 「道成寺の世話人がやられた日の夕方から姿がみえなくなったってことでして……」  家主には本山のほうに大法要があるので留守にすると断りをいって去ったらしい。 「全く、どじな話でして、よろず屋の時は近くに住む祈祷師なんで、疑いのかけらも持ちませんでした」  長助は歯ぎしりして口惜しがっている。  翌日、東吾は講武所の帰りに神田連雀町へ寄ってみた。  通りで赤ん坊をおぶっている子守に訊いてみると、 「清姫稲荷なら、そこの路地の奥……」  と教えてくれた。  東吾が驚いたのは、そこはこの前、雨宿りをした須田町の材木問屋の女主人の住居と目と鼻の先だったからである。  路地の突き当りに銀杏の木があって、その脇に御堂があった。清姫稲荷と書いた札が柱に打ちつけてある。  東吾がのぞいていると、このあたりの家主だという五十すぎの老爺が近づいて来た。 「ここの祈祷師は本山へ出かけたそうだな」  東吾が訊くと不安げにうなずいた。 「なにか、おりょうさんが不始末でも……」 「そいつは今、お上が調べているよ」  くだけた東吾の口調に家主は肩を落した。 「よく当る、いい祈祷師だって聞いていましたが」 「いつ頃から、ここに住んでいたんだ」 「三年になりますかね」  もともと、この御堂にいたのは狐使いだという年とった女占い師だったといった。 「体を悪くして寝たり起きたりしているところへおりょうさんが来まして、そりゃあよく面倒をみて居りました」  半年ばかりで占い師は歿《なくな》り、その後、おりょうが代って占いやら祈祷などをするようになった。 「歿った婆さんの遠縁に当るといって居りましたが、自分は子供の時から本山で修行をしていたとかで……」 「本山ってのは、どこだ」 「信州の戸隠のほうだと聞いたことがございます」 「鬼女の里だな」  能の「紅葉狩」を東吾は連想したのだが、家主には通じなかったらしい。 「おりょうは左の目の下に黒子があったそうだが……」 「はい、それと、普段は頭巾でかくして居りましたが、左の頬の下から首にかけて赤いあざがありまして……生まれつき、こんなものがあるせいで嫁にも行けず、祈祷師の修行をしたと、うちの婆さんにこぼしていたそうでございます」 「黒子にあざか」  路地を出て、須田町の田原屋へ行った。  女主人を殺した下手人は、まだ挙がっていない。  店にいた番頭は、東吾を憶えていた。畝源三郎と一緒に来たせいで、八丁堀の役人と心得ている。 「つかぬことを訊くようだが、歿ったお内儀さんは、そこの清姫稲荷とつき合いはなかったか」 「それは、ございました」  というのが、正兵衛の返事で、 「三年前に旦那様が歿りまして、そのあたりからお内儀さんは清姫稲荷へ出かけて占いをみてもらったり、御祈祷を受けたりして居りました」 「なにか心配事でもあったのか」 「そうではございませんが、若旦那は歿った旦那の甥に当りますので……」  子供がなかったので、先代が生きている時分、正式に養子にした。 「お内儀さんにしてみれば、血の続きがございません。その中《うち》に若旦那がお内儀さんをおもらいになりますと、御自分の立場が不安だったのかも知れません」 「おりょうっていう祈祷師は、この家に来たことはあるのか」 「お内儀さんが時折、話し相手にお呼びになりました。いつも夜で、頭巾をかむっていらっしゃいますので、手前どもはあまり挨拶も致しませんで……」  顔にあざのある女ということで、男達は遠慮していたといった。 「歿ったお内儀さんが、清姫稲荷に貢いでいたということはないのか」 「それはございませんでしょう。御祈祷料などは充分、さし上げていたとは思いますが」  いいさして、番頭が思い出した。 「そう申せば、お内儀さんが、清姫稲荷様は死んだ人の霊を呼び出す力があるそうだが、それをすると祈祷師は三年も寿命が縮まるので、よくよくのことでもないとひき受けないのだと話をなすったことがございます」 「歿った亭主の霊でも呼び出したいと考えていたのかな」 「それは……大方……」  番頭が少し憂鬱そうに答えた。 「若旦那の御縁談のことでも、歿った旦那に相談なさりたかったのかも知れません」 「どこから嫁が来るんだ」 「深川の吉野屋さんの娘さんで……」  材木問屋としては、江戸で五本の指に入る。 「悪くない話だろうが……」 「ですが、お内儀さんはそうなったら、この店が吉野屋さんに支配されてしまうだろうと御心配でございました」  どっちにしても、あんな不幸のあった後では、当分、若旦那の嫁とりは無理だと、忠義者らしい番頭は暗い表情をしている。  聞くだけのことは聞いたと思い、東吾は須田町を後にした。      三 「かわせみ」に滞在している客が、根岸の円光寺の藤を見物に行って、それは見事だったと話したのがきっかけで、珍しくるいの気持が動いた。  宿屋商売の因果なところは一年中、これといって休みがない。  もっとも、「かわせみ」の場合、奉公人がしっかりしているから、るいが町内の連中と花見に出ようが、芝居見物をしようが、なんということもないのだが、るいはどうもそういった近所づきあいが苦手であった。  となると、亭主がどこかへ連れて行ってくれない限り、物見遊山には出かけられない。  東吾もその辺りは心得ていて、るいから円光寺の藤の話を聞いたとたんに、 「それなら、お吉を連れて行って来いよ、俺も講武所の帰りにそっちへ廻る。円光寺で待っていてくれ」  と約束した。 「かわせみ」の客の話だと藤はもう盛りとのことなので、慌てて翌日、東吾が講武所へ出かけるのを見送ったあとに、るいは支度をととのえて、お吉と共に豊海橋の袂から屋根舟で大川を上った。  向島の桜はもう終ったが、春は今がたけなわといった感じで、大川の堤の上には草摘みをする人の姿もみえるし、上り下りの舟も、どこかのどかな風情がある。  お吉は舟に乗る前から浮かれ気分で、今朝、出来たてを走って買いに行って来たとかいう団子の包みを開いて、るいに勧め、自分も嬉しそうに大口をあいて食べている。  流れにさからって行く舟の進み具合は決して早くはなく、女二人も急ぐ旅ではないので川風に目を細め、両岸の景色を眺めていたが、両国橋が近づいてお吉が思い出した。 「道成寺の御開帳は、とんだことでしたけど、あのあと、どうなっているんですかね」  船頭二人は、いずれも深川の長助の息のかかった若い衆で、その中の勇次というのがお吉に返事をした。 「お寺のほうじゃ、あんなさわぎでけちがつかなけりゃよいがとだいぶ心配をしたそうですが、いい具合に未だに大入りでして、この分なら五十両の穴埋めも出来そうだということです」  猿若座も今月からは「京鹿子娘道成寺」が上演されているし、その初日に「花子」をつとめる沢村菊之丞が御開帳をみに来たとかで、回向院のほうも、芝居も、客の入りは極めて好調だという。 「そりゃあ結構だけど、あたしが気になっているのは、道成寺の釣り鐘なんですよ。清姫が大蛇に化けて七重八重に鐘にとぐろを巻いて、鐘が火のようになって気の毒に安珍さんは死んでしまったわけでしょう」  使いものにもならなくなった釣り鐘をよく今まで取っておいたものだとお吉は盛大に首をひねった。 「まさか御開帳に使おうと、昔の坊さんが考えたわけでもありませんよね」  お吉の話し相手をしていた勇次が笑った。 「それより、うちの近所のもの知りの先生が御開帳をみに行って、あの鐘をよくよく見たところ、天保何年とかに作ったと裏のほうに彫ってあるのがわかったそうで、とんでもねえ話だと怒ってましたよ」 「それがどうだってのさ、勇さん」 「いやだねえ、お吉さん、天保っていやあ、つい、ひとむかし前じゃないですか。安珍清姫の話ってのは大昔も大昔、権現様より古いんだそうですよ」  まだ、きょとんとしているお吉の横顔に春の陽がうららかであった。  やがて舟は大川が宮戸川と名を変えて呼ばれるあたりを越えてゆるやかに弧を描きながら千住大橋を過ぎる。  舟はそのあたりで下りて、あとは勇次が案内役で下谷新通町を過ぎると小川沿いの道は田んぼの間になった。  田は打ち返され、水の入っている所もあった。そのむこうには菜の花畑が黄色く続いている。  五行松の間の小道を行くと石の塔があって宝鏡山《ほうきようざん》円光寺と刻まれている。  臨済宗妙心寺派の寺で、元禄十二年の創建であった。  本堂は茅葺きの大屋根で境内は広い。  参詣をすませて、同じく茅葺き屋根の方丈へ向って行くと枝折戸《しおりど》があった。そこを入ると松の木の間から一面の藤棚が見渡せる。 「まあ、お嬢さん、なんてきれいな……」  お吉がそこまでいって先頭に立って池のふちまで歩いて行った。  かなり大きな池で鯉が泳いでいる。  池の面にも藤の花房が映っていた。  藤の枝の長さはおよそ三、四尺もあろうか。  池のこちらにも、むこう側にも大きな藤棚が続いている。そして松の林のあたりにも、長く紫の花が雲か霞のようにたなびいてみえた。  藤棚の下を一巡して来てから、方丈の片すみを借りて弁当を遣《つか》った。 「若先生はすませておいでになるとおっしゃっていましたから……」  なんとなくすまなさそうにお吉がいい、るいは重箱に箸をのばした。  池には水浴びをしている鳥がいる。いささか遅くなった午餉をゆっくりすませた頃に、東吾が到着した。  途中で蕎麦を食って来たといいながら、お吉が別にしておいた肴で、これも持参の酒を少し飲む。 「講武所に源さんが来てね。実は上野の近くまで一緒だったんだ」  何人か藤見の客が来ていて、やはり方丈で弁当を食べていたが、東吾が来たあたりからは食事を終えて外へ出て行った。  若い女が客に出した茶碗を片づけている。  住職らしいのが女に声をかけた。 「婆さんの具合はどうかね」 「おかげさまで、やっとお粥が食べられるようになりました」 「それはよかった。藤の季節で参詣客が多いのに人手が足りなくて困ったものだと思っていたのだよ、あんたが来てくれて助かったよ」  若い女は会釈をして方丈を下りて行くと、池のほとりの茶店に入って、湯を沸かしはじめた。  風のない午下りは、花の香が境内のすみずみまで漂っている。 「面白い話を源さんに聞いたよ」  清姫のおりょうと仇名のある女盗賊のことであった。 「生まれは紀州で、寺の坊主といい仲になって、手に手を取ってかけ落ちをしたまではよかったが、相手の坊主は体が弱かったのか旅の途中で死んじまった。女にしたら今更、故郷へも帰れず、まあ、その間には人に欺《だま》されたり、ひどい奴に遭ったんだろうな。床の間稼ぎから始まって、だんだん本物の盗っ人になっちまった。けっこうな凄腕らしいが、仲間は作らず、いつも一人だそうだ」  紀州生まれなのと、坊さんとかけ落ちしたというので、盗っ人たちから清姫のおりょうと呼ばれている。 「連雀町の祈祷師さんですね」  お吉が目を光らせた。 「そんな盗っ人とも知らないで、お嬢さんに雷よけの御札なんぞをもらって来てすみませんでした」  口でいうほどすまなさそうでもないが、信じられないという顔をしている。 「江戸は広いよ」  三年前に品川宿界隈を荒し廻り、その前は板橋と新宿がやられた。 「稼げるだけ稼いで、まあ盗っ人の一休みとでもいうのか、連雀町の占い師のところへもぐり込んで、清姫稲荷なんぞで手堅くお布施を集めやがった。ほとぼりのさめた所でまた荒稼ぎして、どろんをきめたというところかな」  畝源三郎が奉行所の記録を調べて、どうやら同じ女らしいと判ったが、すでに後の祭である。 「ただ、俺が少しばかり気になるのは、以前の清姫おりょうは大胆な盗みを働いてはいるが人殺しをしちゃあいない。しかし、今度は田原屋の女主人を殺しているんだ」  お吉が仰天した。 「それじゃ、材木問屋のお内儀さんを殺してお金を盗んだのも、清姫おりょうなんですか」  東吾が重いうなずき方をした。 「そう考えると平仄《ひようそく》が合うんだ」  俺は欺されたよ、と改めて苦笑した。  季節はずれの春雷で、田原屋の軒先に雨宿りした時に、家の中から女の声が聞えて来た。 「誰だい、そんな所から入り込んで……」  といった女の声を東吾は田原屋の女主人のおすがだと思い込んだ。 「いいわけするんじゃないが、俺は田原屋の女主人の声なんぞ聞いたことがないんだ」  あとからここの住居は女主人のものだと聞かされて、そこで女主人が殺されていたと聞けば、ああ先刻の声は女主人のものだったのかと判断する。 「おすがさんの声じゃありませんでしたの」  るいが不安そうに訊いた。 「俺の推量だが、俺が軒下にとび込んだ時、下手人はおすがを殺して金を懐中し、あそこから逃げ出そうとしていたんだと思う」  東吾が軒下に立ってしまうと、あの家の造りから考えて、どうしても東吾の前を通らねばならなくなる。 「反対の方角へ行こうにも、あそこは店と住居が横に一並びだ。軒にいる俺の目に触れないじゃすまない。で、下手人は一人芝居をしたんだ」  さも男が入って来て、色事になったような声や物音を外の男に聞かせる。 「一つは、あとでおすがが殺されているのが発見された時、外にいた奴が、どうも部屋に男が来ていたようだと証言するかも知れない。もう一つは家の内の様子に好奇心を持った外の奴が、どこか家の中をのぞける所はないかと反対側のほうへ移動する、それをねらって逃げ出そうって寸法だ」  更にいえば、おすがの殺された時刻の判断を狂わせることにもなる。 「実際、俺達はそいつにひっかかった。俺が長助と会って、軒下をはなれる。下手人は大いそぎで、まだ降っている雨の中を走って連雀町のお堂へ帰る。雨が上りかけた時、神妙にお堂の掃除なんぞしていれば、知らない者はずっとお堂にいたと思う。おすがの死体がみつかったのは雨が上ってから、番頭がえらい雷でしたと様子をみに行っての上だったんだ」  お吉が肩で大きな息をした。 「なんてことでしょう、祈祷師が人殺しだなんて……」 「証拠はなんにもないのさ。ただ、清姫稲荷と、おりょうって名前で、源さんが三年前の事件と結びつけた。あとはおりょうって女をとっつかまえて、あっちこっちで首実検をさせる。品川じゃ夜泣き蕎麦の屋台を手伝っていたというし、板橋じゃ老夫婦でやっていた草鞋だの笠だの、旅に持って歩く品物や薬なんぞをおいていた茶店に住み込んでいたというからね。顔に見憶えのある奴も何人かは出て来るだろう」 「すぐわかりますよ」  お吉が意気込んだ。 「左の目の下に大きな黒子があって、頬から首にかけて赤あざがあるんですから……」  東吾が笑った。 「残念ながら、清姫おりょうには黒子もあざもなさそうだ。品川じゃ十五、六にみえたというし、板橋のほうは三十すぎた大年増だったといっている」 「化けるのが上手《うま》いってことですか」 「おそらく、黒子もあざも描いたものだろうよ」 「それじゃあ、容易にみつかりませんね」 「源さんもがっくりしていたよ。おりょうというのは口がうまくて、年寄を丸め込むのが得意だそうだ。大方、今頃は江戸からちょいと離れた所で、身よりのない年寄の面倒をみながら、盗っ人の昼寝をきめこんでいるんだろう」  東吾が盃をおき、お吉が重箱を風呂敷包みにした。  藤棚の下を歩いて帰りかける。 「藤の花の匂いって、こんなに強いんですねえ、まるで酔ってしまいそう……」  東吾に寄り添って行くるいの呟きは、茶店のところで洗いものをしている女の耳にも入ったようであった。  たった今、清姫おりょうの噂をした男と女の一行が池を廻って山門のほうへ出て行くのを見送って、茶店の女は立ち上った。  すたすたと方丈の裏の小屋へ行く。  そこは円光寺の茶店で参詣客相手に団子や甘酒を売っている老婆の住みかであった。  亭主の寺男は前年に歿って、身よりのない老婆は住職の情で、ここを終の棲家と決めている。  若い女は数日前にふらりとやって来て病気の老婆の面倒をみ、茶店で働いている。住職には老婆の昔の知り合いの娘だといっているらしいが、そんなことは老婆にとってどうでもよかった。苦しい時に背中をさすってくれたり、粥を親切に養ってくれるのが、なによりもありがたい。  女は奥に寝ている老婆の様子をちょっとのぞいてみてから、自分が寝泊りしている屋根裏部屋へ梯子をかけて上って行った。  部屋のすみに四角い風呂敷包みがあった。  中には骨壺が入っている。骨壺の上のほうの骨は女の恋人のものであった。骨の半分は捨て、半分は残した。その骨の下に白紙に包んで盗みためた金がかくしてある。  もう少しだと、女は骨壺を眺めて考えた。  旅に死んだ恋人は、紀州の小さな寺の跡継ぎであった。諸国を行脚し、浄財を集めて、自分の寺に釣り鐘を寄進するのが夢であった。  小さな村の小さな寺から朝夕、打ちならされる鐘の音を二人で静かに聞きながら、共に年をとりたいと口癖のようにいっていた。  もう一働きすれば、恋人の寺に釣り鐘の寄進が出来る。  それが死んだ人への自分が出来る唯一の供養だと女は信じていた。  釣り鐘の寄進がすんだら、女の行く先は決っていた。  恋人と幼い日から一緒に遊んだ美しい紀ノ川には、身を沈めるに充分の深さがある。  けれども、自分がたどりつくのは恋人のいる極楽浄土ではない。盗みを働き、人を殺した罪人は無間《むげん》地獄へ落ちて行く。  雨がいけなかった、と女は呟いた。  あの日、死者の口《くち》よせが出来ると材木問屋の女主人をだまして百両用意させ、出かけたのはよかったが、突然の雨で顔の黒子が流れてしまった。 「あんたの黒子、描いてたの、それじゃあ、そのあざも……」  女主人が大声を出した時、女は逆上して台所から出刃庖丁を取って来た。稲妻と雷鳴の中で人殺しはあっという間だったと思う。  清姫おりょうが人殺しをしたなんて、他人事のように女は頭をふって、その思い出を消した。  下で寝ている老婆のために、粥の用意をしなければ、と、女は骨壺をしまい、身軽く梯子を下りた。  夕風が小屋の外にまで、藤の花の香を運んで来る。  井戸のほとりで、女は米を洗いはじめた。 [#改ページ]   猿若町《さるわかちよう》の殺人《さつじん》      一  この春、江戸の芝居好きが仰天したのは、猿若町の森田勘弥座で上演中の「天竺徳兵衛」の芝居で、桟敷で見物していた武士がいきなり舞台へかけ上って刀を抜き、徳兵衛に扮していた市川市蔵に斬りつけるという事件が起ったからである。  幸い、市蔵は厚い衣裳のせいで肩先と腕に浅手を負った程度ですんだが、慌てて武士を取り押えようとした舞台裏の者が二人、大怪我をした。  大勢によってたかって殴られたり蹴られたりしたあげく刀を奪われて、漸くかけつけて来た役人に捕えられた武士は、熊本藩士で小倉力次郎といい、殿様のお供で江戸へ出て来たばかりだったが、知人に誘われて生まれて初めての芝居見物だった。  取調べの役人があっけにとられたのは、小倉力次郎が、芝居で天竺徳兵衛が母親を殺すのを、本当に母親殺しをするのだと思い込み、立腹して徳兵衛を打ち果そうとしたと申し立てたからである。 「それじゃ、その浅葱裏《あさぎうら》は芝居を実際のこととかんちがいしたってんですか」  事件が瓦版に出て、たまたま、信州から今年の蕎麦粉が届きましたんで、と、長寿庵の長助が「かわせみ」へやって来たのを、女中頭のお吉がつかまえて、東吾とるいがくつろいでいる居間へひっぱって来た。 「あっしも、実は畝の旦那からお訊きしたんでござんすが、芝居を本物と思い違えたってのは本当のところだそうです」  奉行所での取調べが進むにつれて、純朴な熊本藩士は茫然としているといった。 「田舎じゃ、芝居なんてものはないんですかねえ」  お吉が信じられない顔をした。 「村芝居なんてものはあるそうですが、お侍がみるものじゃねえんだとか……」 「芝居を真実のことと間違えたのは、それだけ役者がうまかったってわけだろう」  東吾が笑い、るいが、 「その、細川様の御家中の方は、おとがめを受けたのでしょうか」  心配そうに訊いた。 「いえ、畝の旦那のお話では、なんとか話がついて内済に出来たそうで、まあ、死人が出なかったのが幸いでございました」  一人でも殺していれば、武士とはいえ内々ではすまされない。 「世の中、変った人もいるもんですねえ。うっかり芝居も見に行けないじゃありませんか」  例によってお吉が大袈裟に嘆息をつき、長助がぼんのくぼに手をやった。  間もなく、江戸は五月になった。  町々では山王祭の話題でもちきりになっている最中に、猿若町の旦那衆の素人芝居の噂が割り込んで来た。  その素人芝居はもう十年も続いているもので、最初は芝居好き、芸事好きの大店の主人達が集って、清元や義太夫を披露したり、所作事でお茶を濁したりしていたのが、次第に本格的になって、本職の役者に指導を頼み、下座《げざ》のお囃子や狂言方までを動員し、そうなると料理屋の広間を舞台にしてというのでは間に合わなくなって、芝居小屋の休みの日を貸切りにしてもらうという途方もない大がかりなものに発展した。  無論、衣裳やかつらもつけるし、大道具も飾るから演《や》っているのが素人だというだけの、あとは本興行とそっくり同じで、桟敷に招かれる客の大半はお義理の見物だが、これも弁当や酒、菓子などがくばられるので、なかにはそれをめあてに出かけて来る者もある。  素人芝居といっても、毎年やっていると演るほうも欲が出て来て、贔屓の役者にあれこれと教えを受けたりして素人なりに上達するので、見物客の中には、 「そういっちゃあなんですが、せりふをとちったり、ぎくしゃく動いてた頃のほうが面白うござんしたね」  などと演っている当人が聞いたら目をむきそうなことをいう輩もいる。  その猿若町の素人芝居が今年は「仮名手本忠臣蔵」の通しをやるというので、遊び好きの江戸っ子もへえっとばかりに驚いた。  忠臣蔵の通しとなると大役が揃っているし、上演時間も長い。 「まあ、役者と橋の下のものもらいは三日やったらやめられないっていいますが、勘平や由良之助をやる旦那は正月頃から商売をほったらかしにして稽古に夢中だったそうですから、どんな忠臣蔵になりますか……」  たまたま山王祭を見物するために江戸へ出て来ていた越後の織物問屋の主人、鈴木庄兵衛というのが「かわせみ」に滞在していて、江戸の知り合いから、その猿若町の素人芝居に招かれたと話をした。  すると今度は、本所から麻生宗太郎がやって来て、 「実は、わたしの患家で、猿若町の料理茶屋、春日屋というのから、今度の素人芝居に娘が出るので是非、見物してもらいたいといって来たんですがね。東吾さん、おるいさんと一緒に出かけませんか」  という。 「宗太郎も行くのか」  東吾が訊くと、 「冗談ではありません。手前はそれほど藪ではないので、朝から晩まで患者が押しかけて、とても芝居見物の余地はないです」  但し、女房の七重と娘の花世はすっかりその気になって喜んでいるので、なんとか同行してもらえないかと熱心に勧める。 「先方が用意した席は五人分だそうですから、なんならお吉さんもどうですか」  患家を三軒廻って来て午餉《ひるげ》を食べそこねているという宗太郎のために、俄かごしらえの膳を運んで来たお吉にまで声をかけた。 「あきれた奴だな。要するに、俺に花世の子守をしろってことじゃあないか」  鰹《かつお》のたたきに木の芽田楽、青菜の胡麻あえに、大好物の蕪《かぶ》の一夜漬に浅蜊《あさり》の味噌汁で飯を三杯お代りし、本所の名医が満足して立ち去ってから、東吾が笑った。 「こっちこそ冗談じゃないぜ。宗太郎の奴、俺が宿屋の用心棒で暇を持て余していると思ってやがるのか」  憎まれ口を叩きながら、東吾は女達につき合ってやる気になっていた。  るいもお吉も商売柄、まず、のんきらしい芝居見物とは縁がない。素人芝居はとにかく、久しぶりに猿若町あたりを歩いて、芝居の絵看板をみたり、華やかな芝居の雰囲気を味わうだけでも、さぞかし気晴しになるだろうと、そういうところはまことに察しのいい男で、早速、講武所の稽古のやりくりをして来た。  お吉はもとより、るいにしても、そうした東吾の思いやりが嬉しくて、なににせよ女のこと、まず当日の着るものに心がとんで、宿屋稼業がつい上の空になる。 「かわせみ」の夫婦も猿若町の素人芝居に出かけると知って喜んだのは、泊り客の鈴木庄兵衛で、こちらは招待を受けた側から、なにかと素人芝居の情報が入ってくるらしく、勘平をやるのは、芝居茶屋の「うめもと」の主人で三左衛門といい、成田屋に似た、なかなかの男前で芝居の腕も役者顔まけだと評判だとか、定九郎をやるのは三左衛門の遠縁で、苦み走ったいい器量だが、口跡がよくないのが玉にきずだなぞと、お吉を相手にまだ見もしない芝居話に夢中になっている。  やがて当日が来た。  芝居は朝の五ツ(午前八時頃)に開いて、暮六ツ(午後六時)には終る予定ときいているので「かわせみ」では明け六ツ(午前六時)からそわそわと支度をし、鈴木庄兵衛と女達は駕籠でまず本所の麻生邸へ行き、七重と花世が合流して、 「東吾さん、何分よろしく頼みますよ」  女四人に囲まれて行く東吾を、宗太郎がおかしそうに眺めて声をかけた。  芝居小屋へ着くと、宗太郎を招いた春日屋の主人夫婦が待ちかねていて、 「おいそがしいところを、娘のためにお出かけ下さいまして、ありがとう存じます」  すぐに桟敷へ案内し、茶だの菓子だのを運ばせる。  鈴木庄兵衛の席も東吾達と比較的、近い所で、こちらは日本橋あたりの呉服屋だろう、上方言葉の番頭や手代がつきっきりで面倒をみている。 「おい、春日屋の娘ってのは、何をやるんだ」  桟敷に落ちついてから、東吾が訊き、七重が、 「三段目の道行のお軽と、一力茶屋の力弥でございますとか」  俄か作りの番付をめくってみせた。 「そりゃあ、いい役なのか」  芝居とは無縁の東吾が大声を出し、背後に小さくなってひかえていたお吉が慌てて、 「大役でございます。そりゃもう、一座の若女形がやる役でございますから……」  生半可通で教えた。 「それじゃあ親馬鹿になっても仕様がないな」  東吾が呟くように、春日屋の主人夫婦は自分達が招いた客が到着するたびに丁寧に挨拶をし、もてなしに気をくばっている。  待つほどもなく幕があいた。  成程、万事が本格的でよくよく稽古を積んだのだろう、出演者も素人とは思えないほど堂々としている。  客席からは各々、招かれた客が舞台へ声をかけるのだが、 「成田屋」 「音羽屋」  なぞといった役者の屋号のかわりに、その役に扮している旦那の店の名を呼んでいる。 「そうすると、春日屋の娘が出て来たら、春日屋と声をかけりゃあいいんだな」  花世を膝にのせて東吾がいい出し、 「およしなさいませ。お侍が声なんぞおかけになったら、他の方々がびっくりなさいます」  七重がすかさず釘をさした。  春日屋の娘のおきぬがお軽をつとめる三段目道行の場は華麗な舞台であった。  緋縮緬の襦袢に黒紋付を東《あずま》からげに着こなした勘平と矢絣の腰元姿のお軽が、清元の美声にのってしっとりと踊る所作事に、客席は息を呑んで見とれている。  やがて鷺坂伴内と花四天が出て勘平の立ち廻りとなり、賑やかな中に定式幕がひかれた。 「春日屋」  という声と、 「うめもと」  というかけ声が乱れとんだ。 「今の勘平をおやりになったのが、芝居茶屋|うめもと《ヽヽヽヽ》の御主人の三左衛門さんとおっしゃるお方でございますよ。たしかに男前で役者はだしじゃございませんか」  すっかり興奮したお吉がいい、七重もるいも上気した顔をしている。  三段目が終ったところで短い休憩があり、春日屋夫婦が手代に弁当や酒を運ばせながらやって来た。 「お見事でございました。おきれいなお軽さんで……」 「さぞかし、おたのしみでございましょう」  るいと七重がお愛想をいい、春日屋夫婦は、 「いえいえ、うめもとの御主人が、娘をひきたてて下さったおかげでございますよ」  相好を崩しながらも、へりくだった挨拶をした。  弁当を食べながら、周囲の話に耳をすませていると、どうやらこの素人芝居の座頭格なのが「うめもと」の主人の三左衛門らしく、もう一人の由良之助役の「浜田屋」の主人の安之助と人気を二分しているとわかった。 「うめもとの御主人はお若くみえますけど、おいくつぐらいなんですか」  ちゃっかり、お吉は隣の桟敷の客に訊き、 「たしか四十そこそこの筈ですよ」  と教えられて感心している。  再び幕があいた。  山崎街道の場である。  聟の勘平が主君の敵討の仲間に加わるのに必要な金を得るために、祇園の遊廓へ娘のお軽を売る算段をつけ、半金の五十両を懐中にして、与市兵衛が山崎街道を我が家へ向けて戻って来る。たまたま出会った定九郎に斬殺され金を奪われるが、折柄、猪を追って来た勘平の鉄砲が定九郎に当り、暗闇の中で勘平はそれとは知らず定九郎が舅《しゆうと》から奪った財布を手にするという、次の場の勘平切腹の原因となる大事な場であった。  与市兵衛に扮したのは三河屋という質屋の旦那で徳之助といい、この人は老け役を得意とするらしい。勘平は三段目に続いて、同じく「うめもと」の三左衛門、定九郎は三左衛門の親類の和三郎で、こちらはまだ二十五、六、噂通りの苦み走った色男であった。  で、定九郎の花道の出で、女達の嬌声がとび、小屋の中が俄かに熱くなった。その定九郎が与市兵衛の来るのをみて稲叢《いなむら》のかげにかくれ、続いて与市兵衛が出て、定九郎に斬殺されて稲叢のかげにひきずり込まれる。と、猪のこしらえものをかぶったのが舞台を走り抜け、追って来た勘平が鉄砲を放って、定九郎に命中し、のけぞって倒れる。勘平は猪と思って人を撃ってしまったことに気づき、驚きあきれるが、大望のある身なので止むなく立ち去ろうとし、足にひっかかった財布をこれぞ天の与えと懐中にして退場する。  幕が下りて客はひとしきりざわめいた。 「定九郎をやった和三郎さんって人はせりふが駄目なんですって。うまい配役じゃありませんか。この幕の定九郎なら、せりふは鉄砲玉に当った時のぎゃあっとかいうのだけですからねえ」  お吉が得意になって喋り出した時、幕の中で再びぎゃあっという声が起った。 「いやですよ。いくら一言しかないからって、幕がしまってからもう一ぺん……」  だが、東吾は花世を膝から下して立ち上っていた。幕の中の騒ぎが只事ではないと気がついたからである。 「医者だ、医者だ」  と叫ぶ声が幕のむこうで聞え、客は漸く異常に気がついた。      二  猿若町の素人芝居で、与市兵衛に扮していた三河屋徳之助が、舞台の稲叢のかげで胸を一突きにされて死んでいた。芝居小屋中が蜂の巣を突っついたような騒ぎの中にかけつけて来た定廻りの旦那が畝源三郎だったことに、東吾はほっとしていた。  もっとも、町奉行所の同心の大方が、吟味方与力を兄に持つ神林東吾を知ってはいたが、やはり子供の頃からの親友のほうが、何かと具合がよい。 「驚きましたね。東吾さんが芝居見物ですか」  案内されて舞台の袖から上って来た源三郎がいい、東吾が苦笑した。 「なにも好きで来たわけじゃない」 「お侍が死体を動かすなと指図をしていると聞いたのですが、それが東吾さんとは思いませんでした」  てきぱきと徳之助の体をあらため、若党に命じて死体を舞台から運び出させた。 「刀で突き刺した傷ですが、その刀がありませんね」  東吾が稲叢のかげから抜き身を拾い上げた。 「こいつだと思うが……」  刃から柄糸まで血まみれになっているのが、東吾の指図で舞台に運ばれた燭台の灯でみえた。 「この刀ですか」  二人の侍のやりとりを遠巻きにしてみていた人々の中から、ささやきが起った。すかさず、東吾が、 「誰のだか、わかるか」  と訊く。  何人かが顔を見合せるようにして、その中の一人が止むなくといった顔で小さく答えた。 「そこにあったんでしたら、定九郎の刀の筈で……」 「芝居で本身《ほんみ》の刀を使うのか」  と東吾。 「とんでもないことでございます。芝居のは小道具で……」 「定九郎をやった者は、どこにいる」  源三郎の声で、おずおずと若い男が前に出た。定九郎の扮装のままだが、衣裳が血まみれなのは、 「こいつは血糊でございます」  あらかじめ、血糊を仕込んだものを持っていて、鉄砲に撃たれた時にさも本当の血が流れたようにみせかけるのだと、慄えながら釈明した。  とはいえ、みた限りでは本物の血か、血糊か見分けはつかない。  なんにせよ、もはや芝居が続けられないのはわかり切っていた。  源三郎が芝居の関係者を呼び、その指図に従って足止めされていた客は小屋の外へ出て行った。  猿若町界隈は噂をきいてかけつけて来た野次馬でごった返している。  東吾が「かわせみ」へ戻って来たのはるいが着替えをすませた時で、 「あとから源さんが来ると思うよ」  といった通り、夜になってから源三郎が「かわせみ」の暖簾をくぐった。  早速、お吉が膳を運び、 「やっぱり、定九郎をやった和三郎って人が下手人でございますか」  勢い込んで訊いた。源三郎はそれには答えず、 「東吾さんはどう思われますか」  例によって慎重に訊ねた。 「定九郎の小道具のほうの刀は、どこにあったんだ」 「楽屋です。和三郎の化粧前の脇においてありました」 「和三郎は、なんといっているんだ」 「自分が腰にさしていたのは小道具の刀に間違いはない。もし、本物の刀ならば重さが違うから、すぐにわかる筈だと……」 「俺も、そう思ったよ」 「しかし、ああいった素人が俄か役者になって舞台に上る時は、馴れているようで、やはり随分とあがるものだそうです。逆上しているので、普段なら重さのわかる刀を、ただもう夢中で腰にさしてしまって、本物を小道具と思い込むということはあるようですな」 「それは源さんの智恵かい」 「芝居に出ている者の話です。以前にも他人の小道具を思い違いで持って舞台ヘ出てしまったとか、楽屋草履のまま、鎧《よろい》を着て出たとか、いろいろと失敗《しくじり》があるそうです」 「誰に聞いたんだ」 「由良之助役の浜田屋安之助です。猿若町では老舗の芝居茶屋の主人ですが……」 「勘平をやったのも、芝居茶屋の主人だろう」 「あちらは浜田屋の分家に当るそうです」  芝居茶屋としては新参だが、主人の三左衛門の気風《きつぷ》がよく、派手好きなので、むしろ人気は本家の浜田屋を凌ぐほどだと源三郎はいった。 「すると、浜田屋の安之助と、うめもとの三左衛門はあまり仲がよくないと考えたほうがいいのか」 「そうでもないようです。ああやって一緒に素人芝居をやるくらいですから……ただ、時折、役のことで揉めるそうですよ」  今回も、どちらが勘平をやり、どちらが由良之助へ廻るかで、多少、すったもんだがあったらしい。 「勘平も由良之助もいい役じゃないのか」 「三左衛門よりも安之助のほうが五つばかり若いんですが、安之助は由良之助をやりたいといったらしい。本来なら、柄からいっても三左衛門の由良之助が妥当なんだそうです」 「三左衛門がゆずったのか」 「どっちかといえば、勘平のほうが若い女がきゃあきゃあいいますからね」 「そうだろう。うちの内儀《かみ》さんも本所の七重の奴も、三左衛門の勘平に、ぼうっとなってやがった」 「白塗りにすると、誰でもきれいにみえるんです」  お吉が、るいの顔色を読んで弁解した。 「畝の旦那だって、あれだけまっ白に塗ったら、女形でも出来ますよ」  東吾が大声で笑い出した。 「よせやい。源さんが女形なんぞやったら、客がみんなひきつけを起すぞ」  源三郎がさらさらと湯漬けをかき込んだ。 「そんなことはどうでもいいですが、東吾さんは、やっぱり下手人は和三郎だと思いますか」 「和三郎に、三河屋徳之助を殺す理由があるのか」 「今のところ、まだ、何も浮んでいません。三河屋は質屋ですが、あの界隈では指折りの金持です」  殺された徳之助の祖父は生まれつき目が悪く、按摩をして徳の市と名乗っていたが、 「療治がうまく、熱心なので旦那衆からかわいがられ、遂に検校《けんぎよう》にまで成り上ったという話です」  その徳の市の悴の彦太郎の時に質屋の店を持ち、徳之助で二代目になる。 「御承知のように、検校はお上から金貸し業のお許しを得ています。その影響もあるのか、質屋になっても、多少の金の融通はしているようですから、案外、そのあたりで怨みを持たれているかも知れません」  それにしても、衆人環視の中での殺人だと源三郎はいった。 「東吾さん達がみていて、和三郎の定九郎が徳之助を殺したようにみえましたか」 「無理だよ、源さん」  るいとお吉の顔を見廻すようにして東吾がいった。 「芝居の上で、定九郎は与市兵衛を殺すんだ。和三郎が徳之助を殺したようにみえて当り前じゃないか」  ただ、定九郎は与市兵衛の死体を稲叢のかげにひきずり込む。 「客の目からは与市兵衛の姿がみえなくなって、定九郎一人が奪った財布の金を数える芝居があって、それから猪の出、ずどんと鉄砲の音がして定九郎が死んで勘平の出になった。つまり、舞台でそういったことが行われている間に稲叢のむこうで誰かが徳之助を殺したというのも考えられなくはない」  下手人が舞台の袖から出て来れば、勿論、客の目に触れるが、 「稲叢の後は黒い幕が下りている。ちょうど稲叢のかげになるところに、黒幕の切れめがあるんだ。そこから殺され役の役者なんぞが客に知れないよう舞台裏へ抜けるんだそうだが、逆に誰かが舞台裏から稲叢の後へ入って来て、与市兵衛の徳之助を殺して去っても客にはわかるまい」  客は定九郎の凄絶な死と、勘平の芝居に見とれていて、稲叢のむこうに何が起っているかなぞ全く気づきもしない。 「おまけに、山崎街道の場は夜の出来事だから、舞台も暗い。舞台裏も暗い。下手人にとっては都合のいい条件が揃っていたんだ」  源三郎が箸の手を休めた。 「すると、舞台裏にいた人々、つまり、あの素人芝居にかかわり合っていた人々の中に下手人がいると思いますか」 「断言は出来ないが、芝居にかかわり合いのない人間が舞台裏をうろうろしたら、必ず人目につくだろう。徳之助殺しを芝居の中であれだけうまくやりとげるというのも、あの芝居をよく心得ている者でないとむつかしい」  お吉が指を折った。 「そう致しますと、舞台に出ていた人は下手人じゃないわけで……」  定九郎役の和三郎が殺したのではない場合、客の目の前で芝居をしていた和三郎と勘平役の三左衛門に、 「猪も居りますでしょう」  るいがいった。猪のこしらえものの中に入っていたのは、 「春日屋の丁稚の梅吉です」  お吉がつけ加えた。  少くとも、勘平と猪役は、与市兵衛の徳之助を殺せる筈がなかった。 「どうも、思ったより厄介な事件になるような気がします」  取調べが進んだら、また、御相談に来ますといい、源三郎は「かわせみ」を立ち去った。  翌日、瓦版が江戸の町々に舞った。  先月の「天竺徳兵衛」の折の熊本藩士の刃傷に続いての猿若町の事件だけに、芝居関係者の衝撃は大きく、こうしたことがたて続けに起ると、また、お上が芝居の取締りをきびしくするのではないかといった流言飛語もとんで関係者は青い顔をしている。  大川端の柳に燕が飛ぶようになった午後に「かわせみ」へ駕籠がついた。  下りたのは若い女で、 「私、猿若町の春日屋の娘でおきぬと申します。だしぬけではございますが、神林東吾様とおっしゃるお方にお目にかからせては頂けますまいか」  思いつめた表情でいわれて、番頭の嘉助はすぐにこの間の事件にかかわり合いのある話と見当がついたが、あいにく東吾はまだ講武所から戻って来ていない。  それをいうと、 「御迷惑でもこちらで待たせて下さいまし」  梃子《てこ》でも動かない気配である。折柄、るいは築地の茶の湯の師匠の家の茶事の手伝いに出かけていて留守であった。で、お吉を呼んで相談すると、 「三段目のお軽を踊ったお嬢さんですよ。若先生がお帰りまで、楓の間にでもお通ししておきましょう」  と、帳場に一番近い客間へ案内した。  半刻ばかりで東吾が帰り、嘉助の話をきくと早速、楓の間へ行ったが、少し遅れて新しい茶と菓子を運んで行ったお吉があたふたと帳場へ戻って来て、 「どうしましょう、番頭さん、おきぬさんって娘が若先生の膝にすがりついて、お父つぁんを助けてくれと泣いているんですよ」  あんな恰好をもし、るいがみたら、ただではすまないし、 「万に一つも、若先生にそんな気がなくとも、木石じゃないんですから……」  それとなく嘉助が部屋へ行って、傍にすわっていたほうがいいなぞといっているところへ、当の東吾が娘を伴って楓の間から出て来た。 「ちょっと、この人と猿若町へ行って来る」  待っていた駕籠へおきぬを乗せ、 「もしかすると遅くなるかも知れないよ」  颯爽と出かけて行った。  一足違いで、深川の長寿庵の長助が来た。おきぬが来たと聞くと、 「実はおきぬさんの父親の長兵衛さんに疑いがかかっているんです」  という。 「つまり、直接の下手人ってわけじゃありませんが、長兵衛さんが定九郎の小道具の刀を本物に取り替えたんじゃねえかと……」  与市兵衛の徳之助を殺した刀を調べたところ、それは春日屋長兵衛の持ち物と判明したらしい。  長助は畝源三郎の指図で猿若町の素人芝居の関係者から話をきいて歩いているのだが、 「徳之助を殺すのに使われた刀は、昨年、猿若町の有志の連中が大山詣りに出かけてまして、その際、長兵衛が道中差にさして行ったものに間違えねえ。鍔《つば》に瓢箪の彫物がしてあるのが面白いと、みんなで見たおぼえがあるってんです」  鬼の首でも取ったように説明した。 「長兵衛さんは、なんていってるんです」  とお吉。 「たしかに自分のものに違いねえが、普段は家においてあるもので、誰が持ち出したのか見当もつかねえと青くなって居りやした」 「長兵衛さんに、三河屋徳之助さんを殺すわけがあったのかね」  嘉助が訊ね、 「三河屋徳之助にはねえんですが、和三郎にはあるんです」  長助が胸を張った。 「ひょっとして、おきぬさんにちょっかいでも出したんですか」  お吉が女の勘を働かした。 「和三郎って人は、男前だけど、ああいう男に惚れると、女は泣くことになるんじゃないかって気がしましたよ」 「流石《さすが》、お吉さん、お目が高いや」  長助がおだてるような賞め方をした。 「おっしゃる通り、和三郎はおきぬちゃんをくどきゃあがって、そのくせ、おきぬちゃんがのぼせ上ると、さっと手をひいちまったってわけなんですよ。当人は女のほうが勝手に熱を上げたといってやがって……」 「それじゃ、春日屋さんは怒りなさるだろう」 「おきぬさんは一人娘で、父親は町内でも有名な子煩悩だそうですから、今度の芝居だって、和三郎が出ないというから娘を出したんだ、最初から和三郎が出ると知っていたら、どんなに頼まれても娘は出さなかったと、そりゃあ立腹していたといいます」  長助が、「かわせみ」で嘉助とお吉を相手に熱弁をふるっている頃、東吾は大川を舟で浅草へ向っていた。そのほうが、おきぬの口から話が聞けると思ったからだが、実際、舟の中のおきぬは「かわせみ」で取り乱したのを恥じるように、東吾の問いになんでもはきはきと答えた。 「そうすると、あんたの親父さんは、和三郎があんたを誑《たぶら》かしたことに腹を立て、小道具の刀をすり替えて、和三郎を人殺しに仕立てようとしたと、世間はいっているのか」  おきぬが唇を噛んだ。 「お父つぁんが、そんなややこしいことをするわけがありません。もし、そうした企みをするんだったら、どうして自分の刀なんぞを持ち出しますか。自分で自分のしたことを白状しているようなものじゃありませんか」 「あんた、頭がいいな」  東吾が微笑し、初々しい緋鹿の子の結綿《ゆいわた》がよく似合うおきぬを眺めた。 「芸事は子供の頃から習っているのか」 「踊りは六つの六月六日に藤間のお師匠さんの所へ弟子入りしました。他に、清元の三味線をお稽古しています」  父親が清元を習っていたので、その相手が出来るようにと、三味線をおぼえたという。 「仲のいい親子なんだな」 「あたし、お父つぁんにいったんです。和三郎にいいよられて、ほんの少しでもその気になったのは、馬鹿もいいところだったって。あの人はあたしを捨てたように町内で得意そうに喋っていますけど、あたしはあの人が本当は誰を好いているのかがわかった時、自分の心が冷《さ》めたんです。だから、あの男に未練もなにもありません。今度の芝居で、あの人が定九郎で出るってきいても、なんとも思いませんでした、本当なんです」  川波が舟ばたにひたひたと寄せて来るのをおきぬはみつめていた。その表情には口とは反対に失った恋の痛手が、まだこの娘を苦しめているのがよくわかる。おそらく父親にもそうした娘の本心はみえているのだろうと東吾は推量した。 「ところで、問題の刀なんだが、いつも、どこにおいてあるんだ」 「帳場の神棚の脇です」  芝居町の料理屋にはよくならず者が銭もらいに来たり、酔っぱらいが暴れ込んだりすることがあるという。 「この節はなにかと物騒なんで、お父つぁんが用心のためだといって……」 「帳場に来れば、刀がおいてあるのは見えるんだな」 「ええ」 「芝居の前日、あんたの家に芝居の関係者が誰か来たか」 「みんな、来ました」  下ざらいが終って、明日が本番という日であった。 「うちの二階で、皆さん揃って景気づけに一杯飲み、最後の打ち合せをしましたから……」 「和三郎も来ていたんだな」 「はい、浜田屋さんも、うめもとの旦那も、殺された三河屋さんも……」  流石に口が重くなった。 「もう一つだけ、教えてくれ」  舟が浅草に近づいたのをみて、東吾はいった。 「和三郎には、本当に好きな女がいるとあんたはいったが、それは誰なんだ」  おきぬが下をむいた。 「和三郎というのは、うめもとの三左衛門の遠縁に当るんだそうだな。うめもとで働いているのか」 「帳つけなんぞをしています」 「あんたの口ぶりだと、相手の女は玄人じゃなさそうだな」  吉原や、いわゆる岡場所にいる女とは思えなかった。 「うめもとで働いている女か」 「申し上げなければいけませんか」 「あんたのお父つぁんに人殺しの濡れ衣を着せたくなければの話だが……」  おきぬが小さくいった。 「お島さんです」 「なに……」 「うめもとのお内儀さん……」 「三左衛門の女房か」  目を伏せたまま、おきぬが肯定した。 「三左衛門は、そのことを知っているのか」 「知らないと思います。知っていれば、お芝居に和三郎を出すことはしなかった筈です」 「和三郎に定九郎の役をふったのは、三左衛門なのか」 「和三郎が、定九郎ならせりふがないし、見せ場のあるいい役だからって……」  本当はやはり芝居好きの伊勢屋の主人がやる筈だったと教えた。 「すると、急に変ったんだな」 「三左衛門さんが、伊勢屋さんに判官の役をあげたんです」  浅野内匠頭に当る塩谷《えんや》判官の役であった。 「三左衛門は判官と勘平と二役つとめる筈だったのか」 「そうしないと、三左衛門さんと浜田屋さんが舞台で顔を合せるところがないからなんです。お客様はあのお二人が顔を合せるのを期待してますから……」  判官の切腹の場に由良之助がかけつけて来る。 「芝居というのは、ややこしいんだな」  軽く首をすくめて、東吾は近づいて来る舟着場へ視線を向けた。      三  おきぬを春日屋へ送り届けて、ついでに帳場をみせてもらった。成程、神棚の脇に小さな床の間があって、今はなにもおいてないが、そこに刀があれば、帳場へ入って来た人の目には容易に入る。おきぬの父の長兵衛は芝居小屋のほうで役人の取調べを受けているときき、東吾は春日屋を出るとすぐ筋向いの三河屋へ行った。  すでに野辺送りは済んでいたが、店の前には忌中の張り紙がしてある。  店をのぞくと、東吾も顔見知りの岡っ引で通称、桶屋の定吉というのが、しきりに帳面をめくっている。東吾をみて、 「これは、若先生」  と立ち上って挨拶をした。 「畝の旦那のお指図で、今度の事件にかかわり合った者の中に、三河屋から大きな借金をしている者はないか調べて居りますんで……」 「源さんだけあって、急所ははずしていないな」  なにか大事なものを抵当にして三河屋から金を借り、返せなくなって徳之助と悶着を起し、怨んだ末に凶行に及んだという線である。 「なにか、出て来たか」  定吉が顔をしかめた。 「それが、素人芝居に派手な金を費《つか》うような旦那方は質屋とは無縁のようで……」  帳面に出てくるのは、芝居小屋の下座の三味線弾きが博打の借金に困って、商売物の三味線を質草にしたのだとか、裏長屋に住む駕籠屋が冬物の袷《あわせ》や布団を質入れして、その代金で昨年の秋に質草にした蚊帳を請出《うけだ》したとか、 「まあ、かわいいもんばっかりで……」  がっかりしている定吉の手から、東吾が帳面を取り上げた。 「こいつは昨年の分だな」 「へえ、旦那が昨年はおろか、二、三年前までさかのぼって調べろとおっしゃいましたんで」 「御用聞は根気のいる仕事さ」  ざっとめくってみると、月日の下に質草、持って来た当人の姓名、それでいくら用立てたかが、細かく記されている。たしかに定吉のいうように、これといって目立つような質草もなく、大枚の金を貸してもいない。 「三河屋は質屋の商売よりも、地所持ちでそっちからの地代や家賃なんぞで充分やって行けるんだそうです」  帳面をめくっていた東吾の手が止った。  裏表紙の内側に、小さな文字があった。  仁木 十両 まさおか 五両 細川 三十両 荒獅子 五両といったふうに、名と金額がぎっしりつめて書いてある。 「なんだ。これは……」  名前の上には日付があった。同じ名前の者が毎月、或いは何回か出て来る。 「質草なしで金を貸していたんじゃありませんかね」  定吉が帳面に顔をつけるようにして、同じ名前を拾い出しては、その下の数字を足した。 「驚きましたね。細川って奴は一年で三百五十両も借りているんですか」  徳之助の女房を呼んで帳面をみせたが、 「商売のことは、うちの人がなにもかも一人でやっていて、あたしはなんにも知りません」  という。奉公人は二人いたが、一人はもっぱら家賃や地代を集めに廻るのが仕事、もう一人は質草の整理をするだけで、帳面のことはまるでわからない。 「細川っていいますと、熊本の細川様ですかねえ」  定吉の頭には先月、刃傷沙汰を起した熊本藩士のことが浮んでいるらしい。 「一昨年《おととし》の帳面をみせてくれ」  東吾は別の一冊をめくった。それも、裏表紙の内側にやはり細字で月日と人名と金額が出ているが、名前は昨年と同じのが一つもなかった。  松、梅、さくら、源などという文字が何度も出て来る。これも一番、金額が多いのが松で四百両に近かった。 「今年のは、どうなんだ」  東吾の言葉に、定吉が新しい帳面にとびついたが、 「なんにも書いちゃあございません」  あてのはずれた顔で裏表紙をみせた。そこは、まるっきりの白紙であった。 「いってえ、なんでござんしょう。一昨年のは花札の符牒みてえですし、昨年のはお大名の名前のようで……」  定吉が首をひねり、東吾は気落ちしたようにすわり込んでいる徳之助の女房に訊ねた。 「歿《なくな》った徳之助は芝居好きだったのか」 「若い時から芝居町で暮していますからねえ」  江戸の芝居小屋が猿若町へ移転を命ぜられたのは天保十三年のことだが、一丁目に中村勘三郎座、二丁目に市村羽左衛門座、三丁目に森田勘弥座と江戸三座が並んでその周囲に芝居茶屋や料理屋が軒をつらねて、華やかにも賑々《にぎにぎ》しい芝居町が出来上った。 「うちは子供もいませんし、これといって亭主に道楽もなかったから、芝居見物ぐらいしか、たのしみはありゃしません。それが、皆さんに誘われて役者の真似なんぞするようになっちまって、あげくの果に、こんな死に方をするなんて……」  思い出したように涙を拭いた。 「徳之助は老け役が得意だったのか」  定吉のいうところの、花札の符牒のような、大名の名前のような細字の書き出しが、今度の事件のいとぐちになるような気がして、東吾はねばり強く、徳之助の女房に訊いた。 「うちの人は若くもないし、二枚目って柄じゃありませんから……」  でも一昨年は天神様の役をやったんですよ、と思い出したように声がはずんだ。 「天神様というと、菅原道真か」 「そうですよ。芝居じゃ菅原伝授手習鑑《すがわらでんじゆてならいかがみ》っていうんですけどね」 「いい役なのか」 「そりゃもう、天神様になったお方に扮するんですから、精進潔斎してつとめたんです」 「素人芝居とも思えないな」  昨年の役はなんだったのかと訊いた。 「昨年は伽羅先代萩《めいぼくせんだいはぎ》で渡辺|外記《げき》をやりました」  まるでわからないような東吾をみて、定吉がそっといった。 「政岡っていう忠義なお乳母さんが若君を守るんですよ。伊達の殿様のところに本当に起ったお家騒動を芝居にしたもんだって話です」 「伊達騒動か」  寛文十一年の伊達家の事件ならば知っている。 「渡辺外記というのはいい役なんだな」 「本物は伊達安芸って人だそうですよ」  徳之助の女房は芝居に関しては大智識のようであった。 「仁木弾正ってのが悪い奴で、うちの人の役は、若君を守って悪い奴と戦うんですよ。最後に仁木に殺されるんですけど、今度の与市兵衛みたいにただ出て来て殺されるのと違って、死に甲斐があるっていうか、そりゃあ芝居のしどころがありますよ」  東吾の頭の中で、何かが大きく動いた。 「昨年も一昨年もいい役がついたのに、なんで今年は与市兵衛だったんだ」  徳之助の女房が情ない表情に戻った。 「知りませんけど、うちの人がいってました。いい気分になるには金がかかりすぎる。頭に血が上ってる中《うち》はわからないものだって」 「素人芝居に金がかかるってことなのか」 「そりゃ、いい役の人は御祝儀もはずまなけりゃならないでしょうけれど……」 「一回に何百両もかかるのか」 「冗談じゃありませんよ。いくらなんだって、たかが素人芝居ですから……」 「しかし、浜田屋やうめもとの旦那なんぞはどうだろうな」 「まあ、あの方々は派手ですからねえ」  昨年のと、一昨年のと二冊の帳面を借りて東吾は外へ出た。 「あんたは芝居にくわしいのか」  ついて来た定吉に訊く。 「たいしたことは知りません」 「それじゃ、春日屋へ行くか」  別れたばかりのおきぬを呼び出した。 「猿若町の素人芝居だが、一昨年は菅原伝授なんとかだそうだな」  おきぬが微笑した。 「菅原伝授手習鑑です」 「その主な役をいってみてくれ。ついでにその役をやった奴の名前も頼む」 「役ですか」  ちょっと考えて、おきぬが指を折った。 「大事な役といったら、最初のほうだと、松王丸、梅王丸、桜丸の三兄弟で、松王丸が三左衛門さん、梅王丸が浜田屋さん、桜丸が和泉屋さんの若旦那で……」 「昨年は……」 「伽羅先代萩ですよ」 「仁木弾正に、政岡ってのが出るだろう。細川ってのは出ないか」 「いい役ですよ、細川勝元……」 「誰がやった」 「三左衛門さんです」  東吾が視線を宙に浮かした。 「やってみるか」  と一人言をいい、おきぬに念を押した。 「三左衛門っていうのは、勘平をやった奴だな」 「そうですけど……」  あっけにとられているおきぬを残して、東吾はまっしぐらに芝居小屋へ行った。  畝源三郎が浜田屋安之助と「うめもと」の三左衛門、それに五、六人の男女を前にしてしきりに何か訊ねている。 「源さん、すまないが、ちょっと芝居をみせてもらいたいんだ」  源三郎が東吾を見、ゆっくり顎をひいた。 「なんの芝居ですか」 「忠臣蔵だよ。山崎街道、与市兵衛殺しの場だ」  殺された徳之助以外は、この前の通りでやってくれといい加えた。  勘平が三左衛門、定九郎が和三郎、猪が梅吉、与市兵衛は、 「誰彼と申すより、手前がつとめましょう」  と浜田屋が申し出た。  無論、衣裳もかつらもなしで、ただ芝居だけは正確に、この前やった通りにと東吾が念を押す。  本職の三味線弾きや狂言方までが集って来て、舞台の幕があいた。大道具だけは黒幕がひかれ、稲叢が中央に飾られている。  定九郎の出から、続いて与市兵衛が花道を出て、定九郎の与市兵衛殺しがあって、猪が走り抜け、勘平の鉄砲で定九郎が死んで、勘平が花道から出る。 「そこまででいい」  どこにいたのか、東吾が花道の脇に立って声をかけた。 「徳之助殺しの下手人の取調べに、三左衛門は除外されていたが、改めて、調べ直しをしてもらいたい」  花道の出のところにいた三左衛門が叫んだ。 「なにを、おっしゃいます。手前は舞台にいて、到底、徳之助さんを殺せません。それは御見物の皆様が……」 「殺せたなあ、浜田屋」  東吾が舞台に声をかけ、稲叢のかげから小道具の刀を胸に突き立てた恰好の浜田屋安之助が出て来た。 「充分、間に合いましてございます」  定九郎に殺されて稲叢のかげに入ってから、 「そちらにいらっしゃる神林様が手前をこの刀で突くそぶりをなさいました。手前が倒れてから、神林様は花道の下を通って、三左衛門さんの所までいらっしゃったのですが、そこへ着いても、まだ定九郎の死ぬところまで舞台は進んで居りませんでした」  つまり、三左衛門が舞台裏にいて、定九郎に殺された与市兵衛が黒幕の切れ目から外へ出るところを突き殺し、そのまま、花道の下を走って揚げ幕の中へたどりついても、勘平の出には充分、間に合うことが立証されたものである。 「源さん、三左衛門は徳之助に大層な借金がある。おまけに今年になって徳之助からこの上の借金は困る、今まで用立てた分も早急に返済してもらいたいといわれて進退きわまっていた。証拠はこの三河屋の帳面だ」  蒼白になった三左衛門の前で、定九郎の和三郎が叫んだ。 「三左衛門、あんたは俺に徳之助殺しの罪を着せようとしやがったんだな。どうも、おかしいと思っていたんだ。定九郎が鉄砲に当って死ぬところを、見せどころだから、ゆっくり充分やるようにって、くどいくらいに教えたのは、自分が花道の出に間に合わないといけないと思って……」 「黙れ。お前がわたしに何かいえた義理か。人の女房を寝とっておいて……。大方、二人してわたしの寝首をかくつもりだったのだろう……」 「畜生……」  ののしり合いながら組みついた二人を、源三郎が突きはなした。 「神妙に致せ。話は番屋で聞こう」 「うめもと」の三左衛門が徳之助殺しを白状してお仕置になり、一件落着したという知らせが「かわせみ」に届いて、お吉が何度も嘆息をついた。 「あんな男前の旦那が、借金を何百両もこしらえて、あげくの果に人殺しをするなんて、信じられませんね」  猿若町でも気風のいい、江戸っ子肌の旦那と評判がよかった。 「素人がおだてられて芝居なんぞに夢中になると、ろくなことがないんだ」  千両役者になった気分で派手な散財をしている中にそれが当り前になってしまう。  浜田屋と張り合って、町内の人気者になろうとしたのが間違いだと東吾は女達を見廻して、もったいらしくいった。 「いくら、女達がきゃあきゃあいったって、天下の成田屋にはかなわないんだ。身の程もわきまえず……」 「考えてみれば、かわいそうな人ですね」  るいが呟くようにいった。 「お内儀さんは、和三郎といい仲になっていて、もし、そんなことが世間へ知れたら、三左衛門って人は男の面目丸つぶれだと思ったんでしょう」 「だから、芝居なんぞに熱中しないで、もっと女房を大事にしてりゃあよかったんだ」  うっかりいってしまって、東吾がはっとしたとたん、お吉が嬉しそうに立ち上りながらいった。 「おっしゃる通りでございますよ。ですから、若先生も、せいぜいお内儀さんを大事になさって下さいまし」  さてと御膳の支度でもしましょうか、と廊下へ出て行くお吉のあとから、るいも少しはしゃいだ調子で応じた。 「うちの旦那様は、毎年のように来年こそは天下祭を見物に行こうとおっしゃってましたけど、今年はどうなりますことやら……」  女達のいなくなった「かわせみ」の居間で、東吾はいささか憮然としてあたりを見廻した。  障子はすっかり簾戸《すど》に入れかわり、軒には新しい風鈴が吊るしてある。  廊下においた蚊やり線香がゆるく煙をたなびかせているのが、如何にも夏らしかった。  天下祭、日吉《ひえ》山王祭は翌日のことであった。  初 出 「オール讀物」平成7年10月号〜8年6月号(5月号をのぞく)  単行本 平成8年10月 文藝春秋刊 〈底 本〉文春文庫 平成十一年十一月十日刊